「1章-第10話:還火祭の夜」
空が茜に染まりはじめる頃、ファルネイラ郷の空気はひんやりと肌を撫で、どこか神聖な気配を孕んでいた。
町の家々の軒先には、赤い灯籠がひとつ、またひとつと吊るされ、静かに揺れている。その光はまるで、遠い記憶の断片が浮かび上がっては消えていくようだった。
丘の上には、古より続く祭事場が鎮座していた。いくつかの階層に分かれて整備された石段が、まるで時を越えて導く参道のように、そこへと続いている。
ふもとの町並みの合間からは、巨大なトウモロコシの塔がその姿をのぞかせていた。塔は祭事場を背にそびえ立ち、夕焼けに照らされながら、この郷の象徴として静かに存在を主張していた。
祭事場の各層では、色とりどりの屋台が並び、焼き菓子や蜜菓、細やかな手仕事の品々を売る声が風に乗って耳をくすぐる。点々と灯された篝火が、赤々とした炎を揺らめかせ、地元の木や石の温かな色味を照らし出していた。
日が沈むたび、郷全体がゆっくりと、まるで古の物語の中に沈んでいくようだった。
人々は皆、浴衣に身を包み、それぞれの時間を楽しんでいる。
(なんだろう……この感じ。ずっと昔、仕事帰りに寄った、小さな商店街の……あのにおいと似てる……)
ノーアの鼻先をくすぐるのは、焼きたての菓子と、人いきれの混ざる空気。そして、遠くから漂ってくる木の香り。
「わたがし作るの!はやくぅ〜!」
ハミルが小さな手を振り上げ、ノーアの袖をぐいと引っ張る。
「行こっか、ハミル!」
(こういうテンション、昔なら疲れてたけど……悪くないな)
カーラがにっこりと笑い、二人の子どもを連れて綿菓子屋の屋台へと向かう。
その背後では、階段を上りながらリディアが背筋をしゃんと伸ばしていた。隣には、セルジュがビンエールを片手に、のんびりとついてきている。
「うーん、こうやって炎にさらされてると、自然と――たぎってくるよねぇ!!」
「はいはい、巻き込まないでね……」
セルジュは苦笑しつつ、姉のテンションに付き合っている。
「よーし、あとは食って飲んで締めるだけだねっ!」
「獣串とか、いっとく?」
「いいね~♪」
笑い声が重なり、篝火の明かりの中、ノーアたち一行はそれぞれに祭を楽しんでいた。
綿菓子屋台の前で、ハミルとノーアが木製の台に上がっていた。綿菓子機の中では、細く甘い糸がくるくると回りながらふわふわと巻きついていく。
「いっぱいだよ、いっぱいだよ!」
棒を回すハミルの目はきらきらと輝き、笑顔がこぼれている。
(綿菓子は知ってたけど……こうやって自分で作ると、新鮮だな)
甘く香る空気の中で、ノーアも一本の棒を手に取った。だが――
「べとべとするなこれ……こんなにべとつくん?」
思わず指先を見て苦笑するノーア。
その隣で、カーラがハミルを優しく抱き上げ、台から降ろす。
「この綿菓子、たぶん蜂蜜入りですね。だからちょっとべとつくの、気になるのかも。」
そう言って、カーラはハミルの指をそっとなめてやる。
「ですが、こういうのも、子どもが甘えるきっかけになるって考えられてるの。大事なことなのかもね。」
「日ごろから社会を知らない子供たちが、学業や遊びに時間を費やしている中、祭りという特別な日に親に甘えるきっかけをつくろうと先人たちが考えたのでしょうね。」
(……それ、ただの甘やかしを正当化してるようにも聞こえるんだけど)
ノーアが内心でツッコミを入れると、カーラはさらりと続けた。
「ここファルネイラは先人思想である故、家族のつながりを大切にする風潮が多いのです。」
(たしかに……負の効果で、ハミルが嫌になるときがある)
(それは子供が無邪気であるからこそ……それに俺たち大人が、まだ目の見えない世界を教える責任はあるはず)
(そういったことが面倒でイラつく時はあるけど、それを笑って伝えられるようにしたいのかも)
「べとべと……」
ハミルが恥ずかしそうに指先を見つめると、カーラはくすっと笑いながらその手を包み込んだ。
「カーラ、くすぐったいよ……きゃははっ!」
くすぐられたハミルが笑い声を上げ、カーラも嬉しそうに頷いた。
そこへ、香ばしい匂いとともにリディアとセルジュが戻ってくる。リディアの手には、炭火で焼かれた串がいくつも握られていた。
「綿菓子はおいしいでちゅかノーア君!」
いたずらっぽく笑いながら、リディアは串の一本をノーアに差し出す。
「ほいっ!」
「え!?……めちゃくちゃうまい!」
「でしょー!だってこれ、ワイバーンの肉だもん♪」
(へーワイバーンか……ワイバーン?!いたのかいこの世界に!!)
「それに、モンスターの肉は他国では高級食材なんだよ……もぐもぐ……」
二本目に手を伸ばしながら、リディアは満足げに言った。
「でもここでは、現地の人が先祖からの贈り物として、こうやってふるまうんだよ。」
「過去、地上で外来種が出るのはまれだったんだけど、命知らずの密猟者が後を絶たなく増えてきてるんだ。」
(それどこから!)
ノーアの疑問に答えるように、カーラが柔らかく口を開く。
「未開の地、イレヴァース大陸……」
(え?!なんか聞いたことある!)
「同じ大陸のお友達?」
無邪気なハミルがそう尋ねると、カーラは苦笑して首を振った。
「お友達とは呼べないかもですね。その大きさは、ここカーディア大陸より大きいといわれているの。」
「そこには多くの巨大生物が生息していて、それを持ち帰る悪い人たちが増えたってこと。」
「しかし、人間が住める環境ではなく、そもそも大陸周辺は“濃霧の海”に囲まれていて航路自体が存在しない。」
「島着も難しいといわれてるのに、帰ってこれるって……何かが変わってきたのかもしれない……」
「何か今までにないEX級スクリプトが覚醒されたのかもね……もぐもぐ……」
三本目を口に運ぶリディアを、ハミルが呆れたように見上げる。
「お姉ちゃん、食べすぎだよ?」
「ごめんごめん。はい、あ~ん」
「もぐもぐ……おいひ~♪」
小さな幸せと、どこか遠い世界の片鱗が混ざりあう、にぎやかな祭の夜だった。
祭事場の中心に据えられた、巨大なトウモロコシの灯篭。黄金色に光るその姿を背に、町の人々と来訪者が入り混じった輪が、にぎやかな音楽にあわせて舞い踊っていた。
フォークダンスの輪に交じって、子どもたちも手をつないで飛び跳ねる。揃えられた振り付けのはずが、それぞれの動きには妙なばらつきがあり──けれど、それがかえってこの空間に「個性」という名の調和を生み出していた。
スピーカーから流れる古風な旋律は、この幻想的な風景のせいか、どこか滑稽にも、異国めいても感じられる。
ふと視線をめぐらせれば──
姉のリディアが、嬉しそうに両手を広げて回っていた。
カーラは控えめなステップで、穏やかな笑みを浮かべながら輪の流れに身を預けている。
ハミルは無邪気な笑顔で、音楽にあわせて飛び跳ねていた。
喉が乾いたノーアは、近くの屋台で買ったソーダを一口。泡の弾ける音とともに、冷たい炭酸が喉を潤していく。
(……なんだろう、この感覚)
空を見上げれば、灯篭の光が夜空を染め、音楽と歓声が空気を満たしていた。
それはほんのひとときの幻のようで──けれど確かに、今この瞬間だけは、世界がひとつの色に染まっている気がした。
きっとこれが、「本物」のように思えてしまう瞬間なのだ。
──音楽が終わり、最後の一拍が空に溶ける。
手を振る姉のリディアの声が、ひときわ元気に響いた。
「二人で行ってきな! 気をつけるんだからね!」
小さく頷くノーアとハミル。
「絶対手を離さないこと! いい?」
「は~い!」
ふたりの声が重なり、笑顔のまま、夜の風が少しだけ通り抜けた。
祭事場を離れ、ノーアはハミルの手を引いて屋台へ向かっていた。
通り道に選んだのは、祭事場の裏手へと続く石段。広場へ戻るには遠回りになるが、この道を抜ければ屋台のある通りに早く出られる。何より、人波の隙間がちらほらと見えた。
(まあ、大人の目線なら手を離さなければ問題ないし──行っちゃうかな)
「ハミル、しっかりつかまって。いくよ」
「うん!」
小さな手が無邪気に握り返してくる。ほんの少し、勇気をもらったような気がした。
しかし──
石段の中腹あたり、また別の流れと人波がぶつかる。その拍子に視界がかき消された。
気づいたときには、もう──
「……ハミル?」
手のひらが空を切る。
脳の奥で何かがはじけた。
鼓動が一瞬で跳ね上がる。
「ハミル!!」
叫んだその声さえ、祭りの喧騒に呑まれていく。屋台の掛け声、太鼓のリズム、人々の笑い声──それらすべてが、遠い世界の音に思えた。
(いない……どこにもいない……!)
焦りが全身を包み、罪悪感が胸の奥を焼いた。
(おい、どこだ……?いない……いない……うそだろ……)
心の中で、必死に名前を呼び続ける。だが次第に、その声すら自分のものでなくなる。
脳裏のどこかにもうひとりの自分が浮かび上がる。
空から俯瞰するように、焦る自分を見下ろしていた。
(……何やってんだ俺……神頼みしてんのか……)
昔の記憶がよみがえる。受験勉強中、集中できず、神社で意味もなく祈った日々。
今の自分も──あのときと同じだった。
(……また他力本願かよ。バカか俺は……!)
立ち止まり、深く、息を吸った。
(そんなものに意味があるわけない……落ち着け……見るんだ……今は、“見る”んだ)
目を凝らし、視線を泳がせる。
そのときだった。
ふいに、小さな手が自分の手を握り返してきた。
「……!」
ノーアは、はっとして振り返った。
「ハミル!!」
そこには、あっけらかんとした笑顔があった。
「大丈夫だよ?」
「すまない……手を、離してしまって……!」
ノーアが言葉をつまらせると、ハミルは小さく笑って首を振った。
「知ってるよ。がんばって探してるって、思ってた」
ノーアの目頭が熱くなる。
こらえるようにして、もう一度その手を強く握りしめた。
「ありがとう……いこっか」
「うん!」
ふたりの手が、確かに結ばれた。




