ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑱
アクエンアテンが長女メリトアテンにふさわしい者と思った男であるが、実を言えば、多くの専門家がその候補者としてその名を挙げる者がいるのである。
しかも、有名人。
アクエンアテン。
つまり、メリトアテンの父。
父と娘が婚姻関係を結ぶなど現代では考えられないのだが、血の濃さを重要視した古代エジプトではありえないことではなかった。
さらに、娘たちの母である王妃が亡くなったりした場合にはその役割を受け継ぐという形式的な意味もあったと思われている。
よく知られているところでは、第19王朝の王ラムセス2世も娘数人を妃としている。
ただし、前述したように母親の代わりに王妃の役割を果たすというための形式的な婚姻だった可能性はなくはない。
では、アクエンアテンとメリトアテンの婚姻関係も形式的なものだったのかといえば、そうではないという証拠が存在する。
メリトアテン・タァシェリトという娘の存在である。
ちなみにタァシェリトとはわかりやすくいえばジュニアということである。
メリトアテン・ジュニアである。
しかも、このメリトアテン・ジュニアが持つ肩書は「王の娘」となる。
彼女の時代の娘といえば、アクエンアテン。
つまり、彼女は父親の子を産んでいたということになる。
ここから導かれる話はこうなる。
待望の男子が生まれた。
当然、その王子を嫁がせるのは娘のうちの誰か。
本来であれば第一候補であるメリトアテンにすべきだが、彼女は自分が妻としているので、第二候補であるアンケセパァテンとした。
だが、筋が通っているかに思えるこの話は問題点を数多く抱えていたのである。




