ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑯
さて、ここから犯人、ではなくネフェルネフェルウアテン候補者を絞っていくわけなのだが、六人の候補者のなかで簡単に落とせる者から始めよう。
アクエンアテンの側室キヤ。
たしかにアクエンアテン治世後期を示す日付とともにキヤの記録はない。
そして、ネフェルネフェルウアテンが現れたのはアクエンアテンの治世後期。
だが、それを理由にキヤがネフェルネフェルウアテンと名を変えて王位に就いたというのは無理がある。
さらに、ラムセス2世がアマルナの建築物を解体し自らの建築プロジェクトのために運び込んだアシュムネインで発見された石材ブロックに刻まれたキヤの名をアクエンアテンの娘の名に書き換えられたものが多数発見されている。
もし、本当にキヤが王位に就いたのなら、そこはネフェルネフェルウアテンとなるはず。
ということで、キヤが候補者から消える。
続いて、アクエンアテンの四女ネフェルネフェルアテンタァシェリト。
この根拠であるネフェルネフェルウアテンと名が似通っているからというのなら、ネフェルティティはさらにその上を行く。
ネフェルネフェルウアテンが女性の王でネフェルネフェルアテンタァシェリトと同一人物であった場合に、前述した「1k」に記されたものと矛盾が生じる。
姉妹が結婚するおかしさについては、形式的なものとして同意するにしても、姉であるメリトアテンを差し置いて、四女が王になると主張するのは無理がある。
しかも、その姉が娘たちの中で圧倒的に地位が高かったメリトアテンとなればなおさらである。
ということで、ネフェルネフェルアテンタァシェリトも消える。
続いて、メリトアテンの夫になった、その一点だけで王位に就いた誰か。
たしかにメリトアテンはアクエンアテンの娘の中で特別な地位にあったのはレリーフからでも伺える。
だが、血の濃さを重要視する古代エジプトの王族、その中で自身と自身の家族を神聖視していたように思えるアクエンアテンの後継者が、それまでまったく姿を現わさなかったどこの馬の骨ともわからぬ男とは言わぬがアクエンアテンと関りが非常に薄い男が、王の息子であることが確定しているツタンカーメンを差し置いて王位に就けるというのは話が出来過ぎる。
では、なぜこんな話になるのかといえば、アクエンアテンの周辺にそれにふさわしい男性の王族が見つからないからだ。
たとえば、アクエンアテンの父アメンヘテプ3世。
彼には娘は多数いるが、息子となるとアクエンアテンにトトメスという名の男子がいた。
ただし、本来王位を継ぐはずだったトトメスは亡くなり、代わりにアクエンアテンが王位を継承する経緯があったのだから、このトトメスがネフェルネフェルウアテンである可能性は低い。
アクエンアテンについても息子として確認できるのはツタンカーメンのみ。
ネフェルネフェルウアテンを男性の王、そしてアクエンアテンの長女メリトアテンをその妃とする記述を、言葉どおり男女のカップルで当てはめる場合には名も知らぬ者を王位につける必要があるとはそういう事情からである。
先ほどネフェルネフェルウアテンがアクエンアテンの実子であるツタンカーメンを差し置いて王になるのは不自然と言ったわけなのだが、逆にこうは言えないだろうか?
実際に妃を伴った王であるネフェルネフェルウアテンが存在する証拠があるのだから、ネフェルネフェルウアテンという名の男性の王がいた。
だから、いるか、いないかを論じるのではなく、どのような状況になれば、それが可能になるのかを考えるべきではないのか?
そして、そうなると考えられるが、現在のところはその存在は確認できていないがアメンヘテプ3世には知られている以外にもうひとり男子が存在した。
その男子がメリトアテンとの婚姻によって王位に就く根拠を得た。
つまり、アクエンアテンの弟がネフェルネフェルウアテンとなったというものである。
折角なので、ネフェルネフェルアテンタァシェリトについておもしろい話を披露しよう。
アマルナにある貴族の墓にはアクエンアテンの家族をモチーフとしてレリーフが多数残っている。
そのなかのひとつ「アマルナ第4号墓」のレリーフで、ネフェルネフェルアテンタァシェリトは正妃を示す称号「偉大なる王妃」が与えられている。
この記述が正しいのかどうかという根本問題はある。
だが、もしこれが正しいということであれば、彼女の夫は誰になるのか非常に気になるところである。




