ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑭
最終的な結論を述べる前にいくつか語っておきたいことがある。
まずネフェルネフェルウアテンについて。
この無名かつ謎の多い王であるが、多くの証拠がこの王とアクエンアテンの妃ネフェルティティが同一人物であることを示している。
ただし、それを否定する証拠も多数存在している。
その否定する証拠のうち、専門家でなくても納得できるものを挙げておこう。
まず、その前提として、ネフェルネフェルウアテンを王、そしてアクエンアテンの長女メリトアテンをその妃として記されている品がツタンカーメン王墓から見つかっていることを頭に入れてもらいたい。
この墓の発見者ハワード・カーターが墓で発見されたものを分類しやすいよう用意した遺物番号が「1k」とつけられた見栄えの悪く、観光客には素通りされる木製の持ち手。
実は、この遺物には王ネフェルネフェルウアテンと妃メリトアテンのほか、王アクエンアテンが並列するように記されている。
これがネフェルネフェルウアテンはアクエンアテンと共同統治をおこなっていたとされていた証拠とされ、ルクソール西岸にある貴族の墓に残されていたネフェルネフェルウアテンの治世年数3年はアクエンアテンとの共同統治期間であると多くの専門家は結論付けている。
そして、もうひとつ注目すべきはこの持ち手にはアクエンアテンの妃ネフェルティティの名がないこと。
この解釈については専門家の意見は二分している。
ネフェルティティが死亡している証拠。
ネフェルティティがネフェルネフェルウアテンと名乗り共同統治者になった証拠。
ギャラリーがどちらに与するかはわからないが、それを単純に眺めれば、ネフェルティティを失ったアクエンアテンが長女メリトアテンと結婚したネフェルネフェルウアテンと共同統治したようにしか見えない。
実際のところ前者を支持する割合は多く、これだけでネフェルティティがネフェルネフェルウアテンと名を変え共同統治者になったと主張するのは困難に思えた。
まあ、それでもツタンカーメン王墓から発見された遺物に記されたネフェルネフェルウアテンに関わる碑文が女性形で書かれていたという証拠を加えてそう主張する者も多かったのも事実なのだが。
だが、今世紀になってそんな論争を嘲藁るかのように、過去からとんでもないメッセージが送られてくる。
アクエンアテンの治世最末期と日付とともにネフェルティティの名前が記されたものが見つかったのだ。
つまり、これによってそれまでアクエンアテン治世最後の数年前に死亡していたとされていたネフェルティティが生きていたことが確定されてしまったのである。
これによって、何がどうなったのか?
まずネフェルティティ死亡説を唱えた二択のうちひとつが消えた。
さらに、残ったもうひとつも、アクエンアテン共同統治説を維持するために共同統治期間3年というものを取り下げなければならないうえに、同一人物がネフェルティティとネフェルネフェルウアテンを名乗ることを多くの者に納得させるだけのものを示さなければならなくなったのだ。
Deir Abu Hinnis。
アマルナの北30キロにある採石場内に残された労働者の落書きに日付とネフェルティティの名が含まれていた。




