ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑪
一応、タイトルの「本当のツタンカーメン王墓はどこにある?」ということについては、アマルナにあったということで決着したわけなのだが、実を言えば話はまだ終わっていない。
ツタンカーメンの治世年数は9年ほど。
アマルナの王墓造営工事が5年とした場合、4年ほどの時間がある。
つまり、その期間に見合うだけの工事がおこなわれた墓がルクソールの王家の谷になければならない。
だが、これについて意外に簡単に説明できる。
まず、その第一段階。
おそらくツタンカーメンの治世後半に入ったときになんらかの事情でアマルナの完全放棄が決まる。
当然自らとネフェルネフェルウアテンの王墓造営工事は中止するわけなのだが、そうなると父アクエンアテンの墓をどうするかという問題が出てくる。
もしかしたらこのようなことを考え、ツタンカーメンはアマルナに自らの墓も造営しようと考えていたのかもしれない。
とにかく、墓守も含めてすべて人員を引き上げてしまえば、残された父の墓がどうなるかはあきらか。
当然ルクソールへ移送せざるを得ない。
そうやってアクエンアテン王墓解体されるわけだが、狭く急勾配な通路を引き上げることができないため石棺等はこの時に破壊される。
ちなみに、墓に残された石棺など破片からアクエンアテン王墓には最低でもふたりが埋葬されていた。
ひとりはアクエンアテン本人。
もうひとりはアクエンアテンの母で先王の妻ティイ。
不思議なことに、この王墓のレリーフから埋葬されたのは確実とされているアクエンアテンの次女メケトアテンの埋葬品の破片はないと言ってもいい。
だが、常識的考えれば、メケトアテンもこの墓に埋葬されたのだろう。
そして、彼女の葬儀を描いたレリーフには、アクエンアテンの六人の娘のうち年少のふたりは描かれていないことから、この時点でふたりも故人になっていた可能性が高い。
ということで、最大でさらに三人がここに埋葬されていたことになる。
アクエンアテン王墓は開かれ、そこに埋葬された者たちはすべてルクソールに運ばれていったわけだが、このときネフェルネフェルウアテンが死亡していたと思われるので、当然一緒に移送される。
ルクソール西岸にあるパイリの墓に残された記述からネフェルネフェルウアテンはルクソールに埋葬されたと思われているようだが、この墓に残された言葉で言及されたのは葬祭殿だけであり、未使用の王墓を同時につくられていたことを考えれば、ツタンカーメンとともにこの王はアマルナにあった未完成王墓のひとつに埋葬されるはずだったと考えられる。
未完成の王墓群のひとつアマルナ28号墓はこの王の仮墓だった可能性もある。
アクエンアテン王墓に関する最も良い資料
Geoffrey T. Martin著 「Royal Tomb At El-amarna 」Ⅰ・Ⅱ




