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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 ドレリア暦1575年、四の月。

 リベリオとナリアを乗せた馬車が、リベリオの実家であるデガート伯爵邸に到着した。屋敷の前で出迎えた執事が先に立ち、両親と兄夫婦が待つ広間へと向かう。


 ----さて、どういう反応をするか。


 広間の扉を開けると、ソファに座る四人の顔が一斉にこちらに振り向いた。皆が歓迎の笑みを浮かべる中、父リスターだけは眉一つ動かさずにじっと見つめている。


 「只今、戻りました。」

 「お帰りなさい!待っていたのよ。さぁ、どうぞこちらにいらして。」


 満面の笑みで出迎えたのは兄アレニスの妻メラルダだった。


 「さ、早く皆に紹介して差し上げなさいよ。」

 「はい。行こうか、ナリー。」


 リベリオはナリアの手を取り両親の元へと連れて行った。穏やかに微笑む母カレイラの隣で、リスターは表情を固めたまま、ナリアを見定めるような視線を投げている。

 リベリオは心の中で舌打ちをしながら、深呼吸をして姿勢を正した。


 「父上、母上、アマティスタ子爵家のご令嬢ナリア・アマティスタ嬢です。」

 「ナリア・アマティスタと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」

 「ナリア、こちらが…」

 「リベリオの父リスターだ。そしてこちらが、妻のカレイラだ。今日はよく来てくれた。」

 「えぇ、本当に。リベリオがこんな可愛らしい女性を連れてきてくれるなんて、本当に嬉しいわ。」

 「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」


 ナリアがニコリと微笑む。その笑顔を横目に、リベリオは小さく溜息を吐いた。

 兄夫婦とも挨拶を済ませ、居間へと移動して執事が用意したお茶を囲んだ。カレイラがこの日の為に特別に取り寄せた茶葉は花とスパイスがほのかに香るもので、淹れたお茶は薄い桃色になりテーブルを華やかに彩った。

 皆がお茶を楽しみ一息ついたところで、無口な父リスターに代わって、アレニスが口を開いた。


 「ナリア嬢は、リベリオと顔見知りだったんだって?」


 リベリオの兄アレニスは王宮近衛騎士団親衛隊に所属していて、王太子の身辺の護衛を務めている。真面目で実直な性格と他を圧倒するような剣の腕で、王太子から厚い信も得ていた。


 「はい。初めてお会いしたのは私のデビュタントの日です。場になかなか馴染めずにいた私のお話し相手になって下さったのがリベリオ様でした。」

 「リブが話し相手!?へぇ、お前も優しいところがあるんじゃないか。」

 「私はいつでも優しいですよ。」


 リベリオは持っていたカップをテーブルに置くと、リスターに向き直った。


 「父上、ナリア嬢との婚約を認めていただけますか。」


 リベリオがリスターに頭を下げ、ナリアもそれに倣う。しばらくの沈黙の後、リスターはチラとナリアを見て「ふむ…」と小さく息を吐いた。


 「ナリアさん、いくつか伺っても良いかな?」

 「はい。」

 「ナリアさんは、数年前にグラナード侯爵家の長男と一度婚約しておったそうだな。」

 「はい。」

 「それを解消したのは、どのような理由かな?」


 堂々と探りを入れるリスターの言葉に、場の空気が静まり返る。先ほどまでの穏やかだった雰囲気が一変し、リベリオはジロリと見返した。


 「父上、今そのお話は関係ありません。」

 「お前は黙っていなさい。ナリアさん、理由があるなら聞かせてほしい。」

 「父上!」

 「よいか、リベリオ。婚姻はお前たちだけの問題では無いのだ。こういう事は最初にハッキリさせておいた方が良い。」


 リスターがピシャリと言い放つ。リベリオはグッと喉を詰まらせ、ソファにもたれて大きく息を吐いた。チラとナリアに視線を移す。


 「私がキュリオ・グラナード様との婚約を白紙に戻しましたのは、キュリオ様のお心にはすでに他の女性がおられたからです。」

 「そんな事でか?貴族の婚姻に自由が無いのは当然だろう。」

 「確かに、私も最初お受けした時は家の為と考えておりました。ですが…」


 全員の視線がナリアに集まる中、ナリアはリスターの目を真っ直ぐに見つめ、静かに続けた。


 「ですが、お相手の女性はすでに身籠っておられました。心から愛する女性と、その方との間に授かった子がいる男性と一生を添い遂げるなど、当時の私にはとても受け入れられるものではありませんでした。」

 「…それで婚約を解消した、と?」

 「はい。」


 ----ルミオの言っていた通りだ…。


 リベリオがギュッと手を握り締める。リスターはソファにもたれて両手を組み、しばらく考え込んだ後ナリアに向き直った。


 「では、貴女にまつまる噂についてはどうかな?貴女が婚約を解消した後、様々な噂が飛び交った。それに関してはどうだ?」

 「父上!!」

 「お前は黙っていろ!」


 リベリオはカッと目を見開き、大声を出した。膝の上の拳をわなわなと震わせ、奥歯を噛み締める。凍り付いた空気の中、「どうか?」と言うリスターにナリアは目を伏せ静かに答えた。


 「私に関する噂の数々は知っておりますが、それらは全て事実無根です。ですが、今思えばそういった噂のおかげで縁談話もこなくなりましたので、私としては気が休まりましたのも事実です。」

 「貴女は、結婚はしたくなかったという事か?」

 「はい。」


 ナリアの言葉がリベリオの胸に突き刺さる。ナリアと最後に会った日の夜、ナリアの婚約を引き止めなかった当時の自分を殴り飛ばしたい。

 リベリオが眉間に皺を寄せて俯くと、リスターはそれを横目に見た。


 「では婚約を解消してからこの二年の間、何をして過ごしておったのだ?」

 「父の事業の手伝いをしておりました。主に事務的な内容ですが、一度父やグラナード侯爵様と共に領地に赴き視察に同行させていただいたこともあります。女の身に旅路は危険ですのでその一度だけでしたが、やはり紙の上よりも実際にこの目で見た方がわかることもたくさんあり、良い経験をいたしました。」


 リスターが「ふむ…」と頷くと、リベリオに視線を移す。


 「貴女は先ほど、結婚したくなかったと言ったな。今回、リベリオからの婚約話を受けたのはなぜだ?過去に面識があったとはいえ、それだけではあるまい?」


 リベリオの心臓がドクリを動く。アマティスタ家で婚約を申し出た日以来、ナリアとは一度も会話をしていなかった。少しでも互いの距離を縮めようとリベリオが何度かアマティスタ家を訪れようとしたが、それらは全て断られていたのだ。

 リベリオは緊張で浅くなる呼吸に耐えながら、ナリアの答えを待った。


 「…先ほど、お父上様が仰られた通りでございます。婚姻は、当人同士だけの問題ではなく家同士の繋がり。私の父はグラナード侯爵様との事業提携で、今後も事業展開していきますし、私といたしましてももう21歳。もうすぐ22歳になります。このまま実家に居座るわけにも参りませんので…。」


 リベリオは、頭を殴られたような衝撃に襲われた。愕然として隣にいるナリアを見下ろせば、その冷えた表情に呼吸が止まる。手が震えるのを感じながらも、ナリアから目が逸らせなかった。


 「ならば、家の為、自分の為の婚姻であるわけだな?リベリオの愛を受けたからではない、と。」


 ----ナリー、やめてくれ!俺はお前のことを…


 リベリオは拳をギュッと握り締め、懇願するようにナリアを見つめた。


 「はい。お父上様がそれでもよろしければ、婚約を結びたいと思っております。」


*


 リベリオとナリアが正式に婚約を交わしてから一月が経った五の月。

 庭の花が咲き誇り、窓の外から流れ込む風が香りを運んでくる。ナリアが自室でダンスのステップを踏んでいると、エドラが侍女を連れて入ってきた。


 「ナリー、ちょっと外に出ない?お庭をお散歩しに行きましょうよ。」

 「えぇ、良いですよ。今日はお天気も良いですもんね。」


 庭を散策しながら咲いている花を見て回る。照らされた新緑の鮮やかさを楽しみながら小鳥の囀りに耳を傾け、花の香りに誘われて飛び回る蝶々を眺めた。

 しばらく歩いていると、ちょうど日陰になる場所にテーブルと椅子が置かれ、お茶と焼き菓子が用意されていた。


 「少し休みましょうか。」


 エドラは侍女にお茶を淹れさせた後、離れた場所に下がらせた。心地良い暖かさと涼しい風を感じながら焼き菓子に手を伸ばす。口いっぱいに広がる蜂蜜の香りに、思わず頬が緩んだ。


 「ねぇ、ナリー。リベリオ様との婚約なのだけれど、本当にこのままで良いの?」


 ナリアは手を止め、手に持った焼き菓子に視線を落とす。テーブルに置いて手を払うと、小さく溜息を吐いた。


 「これで良いのです。リブ様…いえ、リベリオ様には、すでに心に決めたお方がいらっしゃるのですもの。たとえ私への求婚が同情であったとしても、お側にいられるのでしたら私は幸せです。」

 「ナリー…。」

 「それにもう、これ以上傷付くのは嫌なのです。リベリオ様とは距離を保ったままの方が…。」


 ----そう、このまま互いの心に踏み込まない方が。


 その日の夜、ナリアは寝付けず窓際に置いた椅子にもたれていた。頬杖をつき、夜空に浮かぶ満月をぼんやりと眺める。思い浮かぶのは、婚約を申し込みに来た日の凛々しい男の姿だった。


 ----リブ様…。


*


 一年前のドレリア暦1574年、六の月。ナリアはエドラの知人の伝手で、リベリオが戦地から帰還したという知らせを受けた。


 「お母様、本当ですか!?リブ様がご帰還なさったのですか!?」

 「ええ、本当よ!ご無事だったの!今は戦後の処理や騎士団の再編成でお忙しいようだけれど、噂では副団長に就任されるそうよ。」

 「あぁ…!良かった…本当に良かっ…。」


 ナリアは溢れる涙で視界が滲み、膝から崩れるようにへたり込んだ。エドラが側に寄り添い背中を擦る。ナリアの肩をそっと抱き締め、喜びに抱き締め合った。


 「もうシーズンは始まっているけれど、今年の残りの夜会には出席されるそうだからナリーも行ってらっしゃいよ!あの日以来、リブ様が心配で出席していなかったでしょう?」


 エドラの提案に、ナリアは躊躇った。キュリオとの婚約を白紙に戻してからこの二年の間、自分の不名誉な噂が社交界で囁かれている事を耳にしている。


 ----公の場に出ても大丈夫かしら…。でももう二年も経っているのですもの、誰も私のことなんて覚えてないわよね。


 「はい。一度お会いして、ご挨拶したいと思います。」


 ナリアはニコリと微笑み、夜会に出席することにした。


*


 馬車で会場へと向かう途中、ナリアは逸る気持ちを抑えきれず窓の外を見ていた。少しでも早くリベリオの姿が見られればという期待が、ナリアの胸を高鳴らせる。


 ----リブ様、お身体は大丈夫なのかしら。お怪我はなさっていないと聞いていたけれど…。


 馬車が停車所に着くと、侍女のサフィに手を引かれて降り立った。ナリアは辺りを見回し、大勢の来賓者の中からリベリオの姿を探す。


 ----なんだか、二年前にも同じことをしていたわね。確かあの時もリブ様のお姿を探していて…。


 ナリアが懐かしい思い出にクスリと笑っていると、離れた場所から男たちの話し声が耳朶に触れた。


 「なぁ、あれアマティスタ家のナリア嬢じゃないか?」

 「え!?本当かよ!ナリア嬢って確か、専ら男好きで有名な女じゃないか。」

 「違うよ!男じゃなくて、女!女が好きなんだよ!」

 「え?俺は男と相当遊んでるって聞いたぞ。遊び過ぎてあっちが全然良くないんだって聞いたけど。」


 ----…え?


 ナリアが俯いたまま固まっていると、違う方向からは女たちの蔑んだ声が届いた。


 「ねぇ、ほらご覧になって。よくもまぁ顔を出せたものよね。」

 「本当、大人しそうな顔していやらしい!聞きまして?あの子が通っていた孤児院、あの子のせいで酷い嫌がらせを受けたのですって。何の罪もない子供たちを巻き込むなんて、何を考えてらっしゃるのかしら。」

 「ふふ、確かそこの院長とはとても仲がよろしいそうよ。あぁ、あとそこで働いている修道女ともね。」

 「まあぁ!本当に見境が無いのね。以前は子供たちを相手に妖しい踊りを教えてたそうですし。一体何を吹き込んでるのかわかったものじゃないわね。」


 ナリアは自分に投げられた言葉に理解できないまま、恐る恐る周りを見渡し目を見開いた。エントランスホールに向かう人々の視線が一斉に自分に向いている。

 ある者は蔑みの目で。ある者は品を定めるような目で。ある者は好色の目で。


 ----あ…、これ…これは…。あの時よりも…


 ナリアは途端に足が竦み、膝が震えだした。ふらつく身体をサフィに支えられ、背を向ける。サフィの肩に手を置いた途端、ナリアの背後から悲鳴が聞こえた。


 「まぁ、ご覧になって!あんなところで堂々と抱き合うなんて、なんて恥知らずなのかしら!」

 「うわ~、あの噂は本当だったんだな。俺も声かけてみるか。」

 「ばっか、お前!女しかダメなんだろ?あぁ、女装して近付いたら相手してもらえるかもな!」


 クスクスと笑いあう声が、ナリアの背中に容赦なく刃を突き立てる。ナリアの身体中が震えだし、すでに立つことすらできなくなっていた。


 「ナリアお嬢様、大丈夫ですか!?」

 「え…えぇ、大丈夫…。ごめんなさい、少し気分が悪くて。せっかくここまで来たのだけれど…帰りましょう…。」


 サフィに手を引かれ、ナリアは倒れ込むように馬車に乗り込んだ。震える手でカーテンの隙間から窓の外に視線を移す。まだこちらの様子を窺いながら笑いあっている人々の姿が映り、咄嗟にカーテンを閉めた。


 ----まさか、こんな事になっていたなんて…


 心臓がドクドクと脈打ち、呼吸が苦しくなる。いや、それよりも…


 ----もし、こんな事がリブ様のお耳に入ってしまったら…!


 溢れる涙が頬を伝う。


 ----あぁ、もうダメだわ。とてもじゃないけれど、会わせる顔なんてない。私のせいでリブ様にまで酷い噂が流れたら…。それだけは…。


*


 夜会の翌日、ナリアはベッドから起き上がることができないまま、クッションに顔を埋めていた。目を閉じれば自分を蔑む人たちの表情が瞼に映る。ナリアはシーツをギュッと握り締め、溢れる涙に身体を震わせた。

 食事も喉を通らないまま、一歩も部屋から出ることもなく、ナリアは一日中ベッドに身体を沈めた。


 さらにその翌日、ナリアはベッドから起き上がり身支度を整えて書斎へと向かった。目を通さなければならない書類が引き出しの中に入ったままになっている。机の上には、昨日届いた書類が置いてあった。今は余計な事を考える暇もないぐらい忙しいほうが良い。

 椅子に座り、引き出しの鍵を開けて書類を取り出した。


 ----リブ様、昨夜は参加されたのかしら。私の噂は耳にされたのかしら…。


 ナリアはグッと喉を詰まらせると両手で顔を覆い、ハァッと息を震わせた。


 ----いつまでもこんな状態じゃダメだわ。せめてお昼までに気持ちを落ち着かせなくちゃ。


 書類を引き出しに戻して書斎を出る。自室に戻る気にもなれず、ナリアは庭へと向かった。

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