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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 侍女に連れられ、ナリアは浴室へと向かった。浴槽にたっぷり張られたお湯にはたくさんの花が浮かべられている。胸いっぱいに花の香りを吸い込む度に、緊張で強張った心身がほぐれていくような気がした。


 ----どうしよう。ルマリナさんからある程度は聞いておいたけれど…。


 顔の半分を湯に沈め、ブクブクと泡を出す。アンバルシアに移り住む前、この日の為にナリアは宿屋に訪れてルマリナから夜の手ほどきを受けていた。本来なら初夜での淑女の振る舞い方を教えてくれる者を屋敷に呼ぶものなのだが、ナリアはそれを断り、自らルマリナに願い出た。すでにいろいろな事を話しているせいか、赤裸々な事を聞くのはルマリナの方が聞きやすい。何より、リベリオの事を良く知っている。


 お腹が大分大きくなっていた為、ルマリナの負担にならない程度に通う事数回。その甲斐あってか、すでに頭の中はリベリオの『癖』でいっぱいになっていた。


 ----うぅ、どうしよう…。『流石に最初からそんな事しないわよ』ってルマリナさんは笑って言ってたけれど、いずれはするかもしれないって事よね…。


 聞かなかった方が良かったかもしれない。

 もし自分に『そんな事』をされたりしたら確実に身体が壊れるんじゃないだろうか、とナリアは心底後悔した。一度出て髪と身体を洗い、もう一度浴槽に浸かる。あまりの気持ち良さに惚けているところに、侍女が声をかけてきた。


 「お嬢様、そろそろお召し物を…。」

 「はい。すぐに行きます。」


 ナリアは「フゥ」と息を吐き、意を決して浴槽から立ち上がった。


*


 浴室から出て、リベリオは用意されていた肌着に身を包んだ。鏡の前に立ち、髪を後ろに撫でつける。滴る水を布で拭き取りながら、じっと鏡を見つめた。そこにはニヤけるのを堪えきれていない、己の心に正直な男の顔が映っていた。


 ----やっとだ。やっとナリーを抱ける。やっと俺のものにできる!


 アマティスタ家に婚約の申し込みをしに行った日から一年半程が経った。まだたったそれだけしか経っていないというのに、随分長かった気がする。

 リベリオは身だしなみを整え、部屋の奥にある扉から寝室へと入った。ベッドのサイドテーブルに置かれた小さな灯りがゆらゆらと揺れている。ベッドに座り、並べられたクッションが目に入った途端、不意に心臓がドクリと鳴った。


 ----うわ…何だこれ。急に緊張してきた。久しぶりだからか?


 胸に手を当てれば、脈打つ鼓動が手の平に伝わってきた。ナリアへの気持ちを自覚して以来、二年近くそういう事はしていない。やり方を忘れたわけでは無いが、禁欲生活に終止符を打つ相手がナリアなだけに、別の重圧がのしかかった。


 ----とにかく、ナリーを傷付けないようにしないと。どこまで制御できるか、だな。


 深呼吸を繰り返すうちに、胸の鼓動が落ち着いていくのを感じた。ふと、シンと静まり返った部屋の中を見渡した。今夜からここが二人の寝室になるのだと思っただけで、自然と頬が緩んでくる。これから毎晩ナリアの温もりを感じ、ナリアの寝息に耳を澄ませ、ナリアの寝顔を見つめられるのだ。


 ----少し前までは一人で寝るのが嫌だってだけで女の所を渡り歩いてたんだよな。…今思うと、よくあの生活から抜け出せたもんだ。それもこれも、ナリーがいてくれたから…


 ポタッという音がして、リベリオは咄嗟に髪を押さえた。が、髪はすでに乾き始めている。その時扉をノックする音がして、侍女と共にナリアが寝室に入ってきた。恥ずかしそうに俯くナリアがチラとリベリオに視線を向ける。その瞬間、ハッとした顔をしてリベリオに駆け寄った。


 「リブ?どうしました?」

 「は?どうしたって、何が…。」

 「泣いてらっしゃるから…何かありましたか?」

 「え…?俺が泣いて…本当だ。何だこれ…う…うわ…ダメだ、止まらね…。」

 「リブ…。」


 ポロポロと自然に零れる涙に戸惑いながら、リベリオは呆然と膝を見た。すでに肌着は滴る涙を吸い込み湿りきっている。フッと視界に影を感じて顔を上げると、柔らかい身体に包まれた。

 薄く肌触りの良い肌着越しに、ナリアの体温が伝わってくる。胸元の紐で結ばれただけの肌着の隙間からナリアの滑らかな肌を頬に感じ、心地良い心臓の鼓動を聞きながらリベリオは瞳を閉じた。


 ナリアは両腕でリベリオの頭を包み込み、肩を優しく撫でた。しなやかな筋肉の盛り上がりが手の平に伝わり、思わず息を呑む。今までこの身体に抱き締められていたのだと考えただけで、眩暈がしそうになった。


 「…ナリー、ありがとう。落ち着いた。」


 リベリオはナリアの腕をそっと外し、そのまま両手を持って頬に当てた。閉じた瞼から伸びる睫毛が涙に濡れて艶めいている。フゥ、と息を吐き、ナリアを見上げてふわりと笑った。


 「なんだか最近泣いてばかりだな。良い歳した男が情けない。」

 「涙を流すのに年齢など関係ありませんよ。むしろ、泣いている姿を見られても良いと思える人がいるのは幸せな事です。」

 「…そうだな。俺はお前にならどんな姿でも見せられる。お前にしか見せられない。お前にだけ見て欲しい。」

 「リブ…。」


 ナリアの両手の平に交互に唇を当て、もう一度ナリアを見上げた。灯りに照らされた身体がその曲線に沿って陰影を作っている。リベリオはナリアの目を見つめたまま、目の前の薄い腹にそっと触れた。


 「俺は一生お前だけを愛し続けると誓うよ。たとえお前が俺に愛想を尽かしても、俺はお前の側から決して離れない。この命に代えても、お前を守り続ける。」

 「リブ…。私も、貴方だけを愛し続けると誓います。貴方への愛が私を強くしてくれるのです。私は貴方を守れるだけの強さが欲しい。ですからもっと私に貴方を愛させて下さい。」

 「ナリー!」


 リベリオは立ち上がり、ナリアを強く抱き締めた。互いに息ができなくなるまで深い口付けを交わし、そのままナリアを抱きかかえてベッドに連れて行った。

 軋むベッドにナリアの引き締まった肢体が横たわる。頬を染めて見上げるナリアの扇情的な眼差しに、リベリオは頭の奥が痺れ始めた。


 「綺麗だ…。」

 「あの…灯りを消して下さい。あまり見られると…」

 「何を言ってる。暗くしたらお前が辛そうにしてても分からないじゃないか。辛くなったらそこで止めるからすぐに言え。分かったな?」

 「だ、大丈夫です!途中で止めて欲しいなんて言いません!そうではなくて…」

 「どうした?何か気になる事でもあるのか?」


 リベリオは胸元の紐を解き、首筋にキスを落とした。荒くなる息が肌を掠め、ナリアの肩がピクリとはねる。肌着に手をかけ、外そうとしたところでナリアの悲痛な叫びが耳を貫いた。


 「私っ…リブに跨るところを見られるのはまだ恥ずかしいのです!!お願いですから…」

 「待て。今何と言った?」


 リベリオの手がピタリと止まる。身体を起こし、両手で顔を隠すナリアを見下ろした。


 「で、でふふぁら、りふのうふぇにまたふぁるのふぁ…。」

 「まだそれやるのか。いいから手を離せ。俺に跨る?何でお前がそんな事をするんだ。」

 「え?だって、そうするものだと…」

 「誰に聞いた?」


 ナリアが咄嗟に目を逸らせる。ダラダラと冷や汗を流すナリアの頬を片手で挟み、リベリオはニコリと微笑んだ。


 「だ・れ・に・聞・い・た?」

 「ル、ルマリナひゃんでしゅ!」

 「はぁ!?お前、アイツに何を聞いたんだ!?」

 「えと…初夜ではどうするのかを教えて頂きました。本来ならそういった事を教えて下さる先生をお呼びするのですが、その…リブの事をよく知っている方に聞いた方が良いのではと…思いまして…。」


 ナリアの消え入る声と共に、リベリオは頭の中が真っ白になった。ルマリナを相手にしていた頃は荒んでいた時期でもあり、若くて体力もあった。更に言えば、女の身体を労わるなど考えたことも無く、本能の赴くままに行為に及んでいた。しかも、禁欲生活に入る直前まで行為をしていた相手である。

 リベリオは喉がカラカラに乾くのを感じながら、祈る思いで恐る恐る口を開いた。


 「まさか…俺がこういう時どうするのかを、アイツから聞いたのか?どんな事を聞いた?」

 「え?えと…確か…」


 ナリアは身体を起こし、コホンと咳払いをした。ルマリナから聞いた後、忘れないように屋敷に帰ってから何度も頭の中で繰り返し、大事だと思う事は事細かくメモをした。故に、殆ど全てが頭の中に収めてある。

 ナリアは説明する合間に身振り手振りで『その時』の具体的な様子を再現しながら、長々と話し続けた。


 「…フゥ、これぐらいでしょうか。リブ?どうしました?」


 妙な達成感を感じながら隣を見れば、魂が抜けたようにベッドに倒れ込んでいるリベリオが目に入った。背中を揺すってみるが、反応が無い。しばらく待った後、リベリオはノロノロと身体を起こしてボソボソと呟いた。


 「…ナリー、分かった。うん、もう分かったから、それは全て忘れてくれ。」

 「え?ですが…」

 「いいから!それはその…以前の俺の話であって、今はそんな事はしないんだ。お前にそんな事しないし、させない。いや、もちろん全てしない訳じゃ無いが、とにかく今は忘れるんだ。分かったな?」


 気を取り直してナリアをベッドに寝かせる。皮肉にもこのやり取りのお陰で大分冷静になれた事だけが救いのような気がする。リベリオは自分の肌着を脱ぎ捨て、灯りを消そうと腕を伸ばしたところでナリアの顔が目に入った。


 「え?あの、灯りは…。」

 「いや、やっぱりこのままにしておく。お前が俺のものになる瞬間をちゃんと目に焼き付けておきたいんだ。一生に一度しかない、俺だけが見られる表情(かお)だからな。大事にしたい。…ダメか?」


 リベリオはナリアの瞼に口付けを落とし、じっと見つめた。碧い瞳の奥に自分を求める熱を感じ、ナリアの胸が小さく震えた。


 「…では、このままで。早くリブのものにして下さい。」

 「ナリー…。」


*


 ドレリア暦1578年、七の月。

 街の大通りに面した場所に、約二年の歳月をかけて改装・増築された二階建ての建物があった。


 『ナリア・アンバルシア大衆劇場』


 リヴィニス王国随一の実業家ルミゴン・グラナード侯爵によって催された、一夜限りの大衆観劇から三年。大成功を収めた催事を足掛けに庶民も楽しめる娯楽施設として街に設立された劇場には、役者養成施設と慈善活動団体の事業所が併設されていた。


 観劇の素晴らしさを世に広めつつ、より身近な文化として地域に根付かせる。一方で、役者志望者には研修の一環として、劇場まで観に来る事ができない人々の為に各地の孤児院や救護院を回りながら腕を磨かせようとした。

 養成施設での生活には王宮騎士団並みの厳しい規律を設けてはいるが、真剣に役者になる事を目指す者たちの為に生活費や研修費、身分による制限等は設けてはいない。そのせいか、運営開始前にはすでに多くの志望者が集まっていた。


 そして今日、この劇場のプレオープンイベントが始まろうとしていた。


 会場にはすでに多くの来賓客が着席している。彼らから少し距離を空けた席には特別招待客として劇場の周辺に住む人々が集まっていた。


 「皆様、本日はナリア・アンバルシア大衆劇場にご来場頂き、誠にありがとうございます。短いお時間ではございますが、ごゆるりとご鑑賞下さいませ。」


 進行役の声が響き渡る。その声が途切れたのを合図に幕が開き、壇上の両サイドに並んだ楽団が静かに演奏を始めた。穏やかな曲調から一転して、軽快なリズムの音楽に変わる。それに合わせて、舞台袖から小さな子供たちが現れた。お揃いの衣装を着て軽快にステップを踏む。時折小さな子が尻もちをついて、観衆を笑わせていた。


 「まぁ、可愛らしいわね!」

 「あの子たち、ここのオーナーの知り合いの孤児院の子供たちなのですって。」

 「へぇ、大したもんだ。とても上手じゃないか。」


 拍手を受け、子供たちが一礼して去っていくと、入れ替わりに青い衣装を身に付けた女が前に出た。音楽が止み、静寂の中、女の歌声が会場全体に響き渡る。男女の愛をテーマにした詩は時に切なく、時に情熱的で、超高音の声が響いた瞬間には誰もが息を呑み拍手を送った。


 再び楽団による演奏が始まる。異国情緒あふれる曲調に合わせて、一人の青年が躍り出た。美しい金髪を靡かせ、全身に巻き付けた金の装飾をシャラシャラと鳴らしながら、顔を覆うヴェールの隙間から妖しい瞳を覗かせる。腰をくねらせ、軽快な足さばきでゆらゆらと揺れる踊りと少年から青年へと変わる時期特有の未熟さが絶妙な色気を醸し出し、見る者の目を奪い取った。


 青年は一礼し、一度舞台袖に下がった。そして一人の踊り子の手を引いて再び舞台の中央に出ると、手にキスを落として立ち去った。


 静寂の中、楽団のリズムを取る弾き音が鳴った。テンポの速い軽快な音楽が弾けるように鳴り響き、それに合わせて踊り子がステップを踏み出した。手を叩き、足を踏み鳴らして飛び跳ねる。次第に観客席からも手拍子が起こり、会場が一体となっていた。

 踊り子が手を叩く音を合図に、最初に踊った子供たちが現れて踊り子を取り囲んだ。互いにリズムを取り合って揃ってステップを踏み鳴らし、クルクルと回って飛び跳ねた。

 曲が止まると同時にポーズを決める。その瞬間、スタンディングオベーションが沸き起こった。


 「素晴らしいわ!」

 「本当ね!こんな素敵なものがいつでも観られるようになるなんて!」

 「この歳でこんな良いものが観られるようになるなんてねぇ…。」

 「ばぁちゃん、泣くなよ。長生きして良かったじゃねぇか、な?」


 踊り子と子供たちが手を繋いで観客席に向かって一礼する。さらに沸き起こる拍手の中、進行役の声が響き渡った。


 「ラストを飾りましたのは、ここナリア・アンバルシア大衆劇場のオーナー、ナリア・デガート伯爵夫人でございます!皆様、今一度盛大な拍手を!」


 ナリアが衣装の裾を持ってお辞儀をする。鳴りやまない拍手の中、一人の男が壇上に上がった。そのすぐ後ろには幼子を抱いた侍女が控えている。長身の美丈夫は胸を張って真っ直ぐにナリアの元へ歩み寄り、両腕に抱えた大きな花束を差し出した。


 「開演おめでとう、ナリー!」

皆様ご愛読いただきまして、ありがとうございました。

最後までこの小説を読んでいただけたこと、本当に嬉しく思います。


また、ブックマーク登録や評価を付けて下さった皆様に、心から感謝を申し上げます。

今後の活動の励みになります!


本当に、ありがとうございました!


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