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にわか軍師、怒る

「さっきのはアークデーモンだよん?」

「そ、そうか、なんかやばそうなの隠してやがったな、あのクソ悪魔」

 アークデーモンといえばゲームなどでおなじみの高級悪魔だ。『アーク』と名がつくだけに、その強さはそれなりのレベルの勇者様ご一行でも苦戦を強いられるほどのものだ。

 それをたったひとりであっさりと倒してしまったのだから、本気でディフィルに襲われたらおそらくひとたまりもなく血を吸われてしまうだろう。

 だが、このヴァンパイアはそんな無慈悲なまねはしないと、幸雄はなんとなく確信している。

 少なくともそれくらいの信頼はしているつもりだ。

 魔王城を目指して馬を駆りながら、幸雄はディフィルから先ほどの詳しい話を聞いていた。

 幸雄の乗馬技術ではまだあまり速く走れないため、情けないとは思ったが今はディフィルの背中にしがみついていたからできたことだが。

「たぶん隠してたんじゃなくて造ってたんじゃないかな?」

「そうか! 戦が終わってヤツひとり魔王城に残ったんだ。強力な私兵を造ってたとしても誰にもばれやしない。そうなると、魔王城にもたくさんいそうだな」

「そうでもないと思うよん?」

「なんでだ?」

「あれは造るのに一ヵ月以上かかるって魔王さんが言ってたのん。だからあれはゆっきーが初めて魔王城に来た時に製造中だった四体の内の一体だよん」

 幸雄は喉を駆け上がる苦い液体の記憶と共に思い出す。

 モンスター製造プラントというリアル3Dグロの圧倒的な迫力の前にあっという間に逃げ出してしまったが、どうやらあの中に製造中のアークデーモンが四体いたらしい。

「そうなると残り最大三匹か……。いや、待て、もしあれと西国軍がやりあったらどうなんだ?」

 もしアークデーモンが他にも西国城に侵入していたとしたら、ディフィル抜きで倒せるのかと不安になる。

 城には陽巫女だけでなくルティアネスも残されているのだ。

「一匹くらいなら……」

「おいおいずいぶんとしょっぱい見解だな」

 レッサーデーモンが相手なら西国軍もある意味戦い慣れているから、何とかなるだろう。しかも、至近距離での陽巫女の広域魔法が発動されるのだ。

 あんな華奢な陽巫女のビンタ一発でさえヘビー級ボクサーのパンチ並みに感じただけに、このヴァンパイアの手厳しい意見に幸雄は眉をひそめる。

「アークデーモンは攻撃魔法を使えるんだよん」

「うっ、そ、そうか攻撃魔法……」

 幸雄はそれを完全に失念していた。

 もし陽巫女の霧が魔法防御力をブーストできなければ、この世界の人間ではひとたまりもないに違いない。

 今やルティアネスだけではなく、陽巫女も幸雄にとっては大切な存在と言っていい。

 今度こそ失うかもしれない。

 それもルティアネスの命も共にだ。

 そう考えると、不安の黒い霧が急速に心を満たし始めてしまう。

 だが――

「大丈夫だよん。少なくともアークデーモンはあの一体しかいなかったから」

「ほ、本当かっ!?」

 幸雄は思わず全力でディフィルを抱きしめてしまった。

 痛いよゆっきー、とディフィルが呻いたために今度は手を放して馬から落ちそうになって慌ててまたディフィルにしがみついた。

 なんてベタな慌てっぷりだと内心で赤面しつつ幸雄は安堵の息を吐いた。

「うん、だから魔王城にいるよん?」

「ああ、それなら問題ない。お前がいるし……それに今なら俺だって戦える」

 今までの無力さゆえの無念は二度と味わいたくない。

 ルティアネスを貫こうとする凶刃をただ見ていることしかできなかった絶望感は、いまだに思い出すだけで血の気が失せて頭がおかしくなりそうなくらいだ。

 だからこそ、戦うための力を習得させてくれた陽巫女に報い、いざという時のための剣を託してくれた魔王を、今度こそは自分が護ると幸雄は背負った大剣の重みを感じながら改めて誓った。


 山を越え、疲労した馬を乗り換えて二人は突っ走った。

 途中で行き会ったラッテにグレスドッドゥスの企みを伝え、ドワーフ隊長への連絡と後方の安全確保を依頼しておいた。

「魔王城が見えたよん」

 ディフィルのいつも通りの声に、幸雄は焦りでささくれ立っていた心に幾分落ち着きを取り戻した。

 精神の安定は陽巫女による修行の成果でもあるだろう。

「はは、勇者でもないのに結局魔王城にラスボス退治に乗り込むことになるとはな……」

 この世界に召喚された時には勇者ではなかったことに憤りさえ感じた。

 しかし、ルティアネスらと出会い、魔王の為人を知り、戦で成果を挙げるに従い、いつしか魔王側であることに慣れてしまった。

 魔王城は自分にとってホームであり、西国側の各拠点がアウェーとなっていた。

 それが今や完全に逆転してしまっていた。

 もっとも、魔王を救うために魔王城に乗り込むという妙な状況に陥ってはいたが。

 深夜というだけでなく魔王城というイメージも手伝ってか、完全に闇に閉ざされた周囲にゆらりと浮かび上がって見える白亜の巨城は、ホームでありながら不気味な雰囲気を纏っているように感じる。

 さらに近付くと、城の周囲に無数に焚かれた篝火が闇を赤く染めて、本来壮麗な魔王城を毒々しく飾り立てているように見えた。

「なんだ、あれ?」

「――っ!?」

 その物体に気付くのは幸雄が若干早かったが、それが何かを認識するのは夜目の利くヴァンパイアが圧倒的に早かった。

 息を呑んだディフィルに嫌な予感を覚えつつ、近付くにつれて次第にはっきりとしてくるそれに、幸雄は言い知れぬ悪寒を感じ始めた。

 城の手前に高く掲げられた台座の上に、大きなスイカのような丸い物体が乗せられている。

 だがそれがスイカでないことは明白だ。スイカには無数の毛など生えていないし、両脇にまるで取っ手のような耳など付いていない。

 震えが手足だけでなく全身に及んでいくのがわかった。

 熱い血液が流れているのに身体が冷たくなっていくのを感じていた。

「ゆっきー、落ち着いて」

「落ち着け? おいおいディフィルさん、俺ならかつてないほど冷静沈着、これほど心も身体も冷え切っているのは前代未聞な状態だぜ?」

「ゆっきー……」

 もう見まちがえようがなかった。

 一度もその無貌の仮面の下を見たことなどなかったのに確信できてしまった。

 それは、決してそんな朽ち果てたような木の上にあっていいモノなどではない。

 何者をも圧倒する威厳を宿した霊木のような巨体の上にこそふさわしい。

「――だからそのふざけた扱いをやめやがれーっ!!」

 軽く三〇〇体は超えるだろう、周囲にはびこるレッサーデーモンたちを視界に捉えた瞬間、幸雄は一瞬でイメージを創り上げた。

 空を埋め尽くす無数の槍――ただ重力に従って落ちるのではなく、明確なる対象を目指して突き抜ける必殺の刺突。

 かつて元の世界で見た映画では、それは無数の矢だった。大空を埋め尽くすように迫ってくる矢の集中豪雨は、その映画の見せ場のひとつだった。

 圧倒的な迫力、逃れ得ない絶対的な死のイメージ。

 だが、今の幸雄にはそれでもなお甘かった。

 より確実に、より高威力で、己の怒りのすべてを乗せるには矢は細すぎた。

 だからこその槍だ。

 突き刺すのではない。

 穿ち、貫くのだ。

 魔法を初めて習得したあの日、ニヤニヤしながら夜中まで考えていた呪文の名すら口に出すこともなかった。

 呪文の詠唱も魔法名の絶叫も幸雄のこの魔法には必要ない。

 己のイメージをただそこに描き出す。

 後はそれに膨大な魔力をリンクさせれば半自動的に発動する。

 魔法に関して天才だったルティアネスは、それが当たり前すぎてコツを幸雄に伝えきれなかった。

 だが、厳しい修行の果てに魔法を習得した西国の陽巫女は、幸雄がかつての自分と同じ迷路にはまっていることを感じ取り、短期間でうまく正解の道へと誘導していくことができたのだ。

 後はそのコツを完全に自分のものにしてしまえば、意外と魔法の発動自体は難しくはなかった。

 あの時、この感覚さえわかっていればと、興奮が抜けた後にどれほど悔やんだことか。

 だが今、それは現実となって暗黒の空に顕現した。

 篝火の炎を鋼の刀身に宿した無数の槍群が、ゲリラ豪雨のごとく大気を引き裂いて地上を爆撃した。

 それは圧倒的なまでの破壊力だった。

 三〇〇体以上のレッサーデーモンたちが抵抗ひとつできず、多くが断末魔の叫びをあげる暇すら許されずに、頭を、身体を貫かれ、その威力に身体が爆砕し、原形を留めずに命尽きていった。

 また、レッサーデーモンの三倍以上の巨躯を誇り、唯一瞬殺を免れたアークデーモンでさえ腹部を二箇所突き抜けた槍撃で立ったまま身動きできず、痙攣を繰り返しているところに擦れ違いざまに馬上から剣を振り抜いた幸雄によって首を刎ね飛ばされて絶命した。

「魔王!」

 馬から転げ落ちるように降りた幸雄は、首だけとなってしまったそれを奪い取るように台座から取り上げて胸にかき抱いた。

「嘘だろ? なあ、死ぬ時はきれいな顔してなきゃダメだろ? だからお前はまだ生きてるんだよ、こんなに血だらけになりやがって……」

 幸雄は自分で何を言ってるのかわからなかった。

 ただ支離滅裂だということしかわからなかった。

 よく見たいのに涙が溢れ、抱え込んだまま腕が震えて目の前に掲げることすらできない。

「俺、まだまだお前に教わりたいこと、たくさんあんだよ……」

 正直なところ、色々と迷惑をかけられたのは事実だ。

 そもそも召喚自体がこの魔王の人違いという凡ミスであり、最低でも一月は元の世界には帰れないという理不尽なお約束に縛られた。

 元の世界に戻ったら、何て説明したら頭がおかしくなったと思われずに済むのかと悩んだこともあった。

 異世界に召喚されるという中二病患者なら誰もが憧れるお約束は、勇者側の陣営ではなく魔王側だったことにも腹が立ったし、絶望した。

 だが、ディフィルやルティアネスといった二次元にしか存在しないと思っていた美少女たちとの交流や、本物のモンスターと人間たちとの戦争など、普通に生きていたらまずありえない貴重な経験ができたのも魔王の人違いのおかげだとも言える。

 それに、元の世界では特にやりたいこともなく惰性で送っていたような日常生活だったが、こちらに来てからの生活は目新しさもあったろうが、毎日が充実していて一生をかけてもいいと思える目標も見つかった。

 元の世界に未練がないと言えば嘘だが、こちらの世界を捨てて戻りたいかといえば即座に否定できる。

 そう思えるようになったのも、なんだかんだでフォローしてくれていた魔王の存在があってのことだ。

 彼がいわゆる『魔王』なら、おそらく逆ギレして自分は殺されていただろう。

 だがこの魔王はこちらが文句や罵詈雑言を口にしてもことごとく受け止め、素人の机上の空論じみた戦術も『あり』だと見るや自分の責任で取り入れてくれた。

 おかげで様々な経験ができた。

 今までの一八年間よりもこの一月の方が自分の人生の中で貴重な時間となっていた。

 それだけに、この喪失感はあまりにも大きい。

 ルティアネスを失ったと思った時にも匹敵している。

 まさか魔王の死に対してこんな想いを抱くなど、微塵も想像していなかった。

「なあ、本当にお前、魔王なのか……?」

「ゆっきー……」

 ディフィルが周囲を警戒しながら幸雄の隣に立った。

 その時、魔王城から不気味な声が響いてきた。

「くはははははは、遅かったようだな異界のラスボスよ」

「――――っ!! きさま、クソ悪魔か!」

「ふんっ、この城は既に私が掌握した。お前が大事そうに抱えているそのゴミにはえらく苦労させられたが、こうなってしまえばあっけなかったものだな」

「――っ!?」

 声の形をした悪意が降り注いでくる。

 アンティークな調度品を連想させる魔王の重低音と比べたら、まるでおもちゃのラッパのように安っぽく、畏怖も威圧感すら微塵も感じられない。

 幸雄は血液の代わりに静かな怒りが全身を駆け廻ったかのような錯覚を覚え、一呼吸すると溢れ出て来る力を自覚しながら立ち上がった。

 魔王城を睨み据える黒い瞳には、かつてない憎しみの色が渦を巻き、魔力とリンクが確立すれば魔王城さえ粉砕しかねない暴虐の嵐が発生しそうな気さえする。

 だが一気にブチ切れることはなかった。

 魔法の行使には冷静さが重要なのだ。

 いざという時に使えなくては意味がない。

 ルティアネスを救えなかった時と同じ過ちはもう二度と繰り返すわけにはいかない。

 中二脳に刻み込んだ想いは、陽巫女による修行を経て絶大な成果として幸雄の身に宿ったのだ。

 だからこそ、戦場でそれを忘れたりはしない。

「ゴミだあ? どこだよ? どこにもねえぞ? あっ、そうか、お前の目は節穴なのか。わりーわりー、ついまともなヤツを相手にしてる気でいたよ」

「……なん、だと?」

「なんだ、耳まで節穴なのか? 大変だな、お前の腐った脳みそはもうとっくに流れ出しちまったんじゃないのか?」

 精神は冷静であったが言葉は容赦がなかった。

 中二脳がこの場でアウトプットできる最大限の侮辱を浴びせて、幸雄は鼻で笑いながら肩をすくめてみせた。

「……そうか、どうやら決定的に合わないようだな」

「聞くまでもない。きさまが魔王に仇なす存在なら……俺はきさまの敵だ!」

 幸雄は躊躇なく断言した。

 それが中二系のセリフであることも理解できていなかった。

 冷静でありながらも中二脳は素でそんなセリフを吐けるほどに『できあがっていた』のだ。

「ならばここまで来るがいい。お前の首もそのゴミの隣に並べてやる」

「へっ、そうかい、それじゃあ遠慮なくお招きされてやる。行くぞ、ディフィル」

「うん」

 幸雄は魔王の首を大事そうに抱えながら歩みを進めた。

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