〈file1〉招かれざる客
誰かにとっての悪は誰かにとっての正義で、誰かにとっての正義は誰かにとっての悪だったりもする。
では、その正義とは何か。
悪とは何か。
そして、自由とは何か。
この世界はそんな情も何もない問いばかりで溢れている。
世界の片隅で起きる、小さな、いや、彼らにとっては大きな事件が今日も幕を明けたのだった―――……。
今年で西暦2067年。
雲一つない青空が晴れ渡る中、動きやすさを重視した機能的なジャケットに、どこか整った萌葱色の制服を着用した少年が一人、おばあさんを道案内していた。
「―――で、ここの突き当たりをまっすぐ歩いて行けば総合病院に着きますよ」
「ありがとうねぇ。来たことがないから迷っちゃって」
空中に浮かぶ電子ウィンドウの地図アプリを開いて、指でなぞっておばあさんに案内している少年・宵街 星凛は案内し終えると、電子ウィンドウを閉じて笑顔でピシッ、と背筋を伸ばした。
「いえいえ!困ったら、この服を着た人にはいつでも声をかけてください!
俺たちの仕事は安心安全に、人々を目的地まで送り届ける、ナビゲーターなので!」
街の喧騒を遮断するように重い防音扉が自動で開き、星凛はフワッと軽い足取りで半透明のディスプレイが無数に浮かぶ指令室へと滑り込んだ。
着用している萌葱色の制服のボタンは少し留め方が緩く、相変わらずのマイペースぶりを物語っている。
「―――おはようございま〜す」
「星凛、ようやく辿り着けたか……」
目の前の巨大モニターに張り付いたまま、星凛の同僚である水瀬 果暖はインカムを一瞬だけ外して、やれやれと言わばかりに振り返った。
ここはこの来望街の市民を電話口で助ける司令センター「8-Signal」。
ある人物のボランティア的活動の一環で、民間の人間が市民のために運営している司令室なのだ。
警察に通報しようにも実害がなかったり、はたまた今すぐに助けてほしい事件が起こっていたり……そんな時、警察の変わりとなって市民を助ける事が8-Signalの役割である。
「水瀬!いてくれたなら電話出てくれても良かったじゃん!」
「そんな面倒な事してられるか。お前も早く席につけ」
水瀬はそう言い捨てるやいなや、再び冷たいディスプレイへと視線を戻す。
星凛は「相変わらず無愛想だなぁ……」と苦笑いをしながら自分のデスクに歩み寄り、椅子の背もたれにジャケットを放り投げた。
「そう言えば、何かそこの科学研究所で人が殺されたんだって〜。犯人見つかってないらしいし、水瀬も気をつけなよ〜」
「……どう気をつけろって言うんだ」
冗談めかして笑う星凛の言葉に、水瀬は再びキーボードから手を離し、心底面倒くさそうに細めた目を向けた。
その時、ピピッ、と指令室のセキュリティゲートが軽快な電子音を鳴らした。
「お、お前らお疲れ〜。早かったな」
「兄さん!」
「和李、さん……」
星凛がパッと顔を輝かせ、水瀬は反射的に背筋をピンと伸ばす。その二人の全く異なる反応の対比をよそに、チーフの宵街 和李は穏やかな笑みを浮かべながら一歩室内へと進み出た。
その背後には、見慣れない細身の影が控えめに佇んでいる。
「今日はみんなに紹介したい人がいる!始業前に少し、聞いてくれないか?」
「紹介したい人?」
首をかしげる星凛の横で、水瀬はわずかに眉をひそめた。
和李は振り返り、背後の影に優しく手招きをする。
「今日からここで一緒に働く新人オペレーターだ。入って良いぞー」
ギギ、と重い足音を立てて、その人物が指令室の明るい照明の下へと一歩を踏み出した。
「―――失礼します。本日から配属になりました、頬月 未宙です。よろしくお願い致します」
そう言って彼・頬月未宙は星凛達と同じ制服を身に纏いながら頭を下げた。
その特徴的な白髪を揺らしながら。
「……み、そら……?未宙ってあの、昔一緒にいた未宙!?」
水瀬がわずかに身じろぎし、鋭い視線を未宙へと向ける。
しかし星凛はもうそれどころではなかった。
「星凛、知り合いか」
「うん!昔の親友!もう〜、兄さん、未宙が来るなら教えてくれてもよかったじゃん!」
「そう、何だがな……」
歯切れの悪い和李の返答を遮るように、星凛は嬉しそうに足音を鳴らし、いつもの癖でぐっと未宙との距離を詰めた。
「とにかく!今日からよろしくね、未宙!あ、俺のこと覚えてる?」
目の前まで迫ってきた星凛を見上げ、未宙はわずかに息を呑む。
その表情には再会の喜びの色はなく、むしろ冷たい鉛のような影が張り付いていた。
「あぁ、もちろん。でも星凛、そんなに俺に近づかないほうがいいと思うけど?」
「え、?」
間の抜けた声を漏らす星凛の前で、未宙は自嘲するような、あるいは怯えるような微かに震える声で、決定的な事実を落とした。
「俺、人殺したからさ」
司令室が途端に凍りつく。
元々水色に染まっていた空間がその一言で逃げられない箱庭へと変えてしまった。
拝啓、親友の君へ。
街の通信指令センターで人助けをしていたら、何故か親友が殺人犯になって戻ってきました。




