第7話
山道に入った時点で、空気が変わった――。
登山口の小さな駐車場に車を止め、そこから先は徒歩になる。
木々に囲まれた細い道は、ところどころ踏み固められている。
登山者や散策客が日常的に使う道だ。
足を踏み入れるたび、街の気配が遠ざかっていく。
「……この辺りか」
低く呟く。
前方に、黄色い規制線が見えた。
風に揺れるテープの向こうに、数人の警察官が立っている。
そのうちの一人がこちらに気づき、すぐに姿勢を正した。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様」
短く返し、そのまま規制線をくぐる。
「鴨志田は」
「中に入っています」
示された方向へ視線を向ける。
山道の少し先。
脇へ外れた位置に、人の気配が集まっている。
足を進める。
地面は柔らかく、わずかにぬかるんでいる。
昨夜の雨の影響だろう。
靴底にまとわりつく泥の感触を気にしながら、自然と周囲へ視線を走らせる。
踏み荒らされた草。
だが、範囲は広くない。
(……広がっていないな)
激しく争った様子は見えない。
それに――
「……」
山道のすぐ脇。
通れば誰でも気づく位置だ。
(……妙だな。目立ちすぎる)
少し進むと、鴨志田の姿が見えた。
こちらに気づき、足早に寄ってくる。
「警部!」
「状況は?」
歩みを止めずに聞く。
「今朝8時ごろ、登山者が発見し通報がありました。山道を歩いていて、すぐ脇で倒れているのを発見したと」
「……目立つ位置か」
「はい。通ればまず気づきます」
頷く。
「第一発見者は?」
「現在、任意で事情聴取中です。署轄で対応しています」
「通報は?」
「携帯からの110です。発見直後に連絡しています」
「……そうか」
淡々と返す。
「時間は?」
「死亡推定はまだですが、状況的に昨夜から今朝にかけてかと思われます」
「身元の確認は?」
「財布の中に免許証がありましたのでそれで確認しています。失踪していた大学生で間違いありません」
短く息を吐く。
だが、それ以上は言わない。
「発見場所は?」
「この先です」
鴨志田が先導する。
数歩進んだところで、足がわずかに止まる。
視界の奥にブルーシートが見える。
被害者が見つかったと思われる場所では、鑑識の腕章をつけた警察官たちが作業していた。
「……あれか」
「はい」
近づく。
一歩ごとに、空気が変わる。
現場の空気と――もう一つ、別の何かが混じっている。
「……」
言葉にできない違和感があった。
(……なんだ、この感じは)
空気が、ほんのわずかに“ずれている”。
そんな感覚。
シートの前で足を止める。
鑑識の一人が顔を上げた。
「確認されますか?」
「ああ」
シートがゆっくりとめくられる。
そこに横たわっていたのは――一見すると外傷の見当たらない遺体だった。
「……」
視線を落とす。
だが、それは死体として特別不自然ではない。
出血はない。裂傷もない。骨折の兆候も見えない。
「外傷は?」
「現時点では確認できていません」
鑑識が答える。
「争った形跡も乏しく、その場で倒れた可能性が高いです」
「……そうか」
頷く。
だが――
(……分からない。だが、普通じゃない)
死因が見えない。
それが逆に、不自然だった。
「司法解剖に回す形か?」
「……そうなりますね。」
鑑識が動き出す。
視線を周囲へ向ける。
「周辺、徹底的に拾え」
鴨志田や他の部下に指示を出す。
「足跡、繊維、紙片、なんでもいい。取りこぼすな」
「はい!」
周囲の警察官にも指示が飛ぶ。
現場が、明確に“捜査”の形へ変わる。
数分後。
「警部!」
鴨志田の声が上がる。
手袋をした手に、小さな紙片が挟まれている。
「これ、遺体のすぐ近くに落ちていました」
受け取る。
湿っているが、文字はかろうじて残っている。
視線を落とす。
「……」
そこに書かれていたのは――読めない文字だった。
意味は分からない。
だが、見覚えがある。
あの部屋で見た、本と同じ――
「……同じだな。間違いない」
小さく呟く。
「え?」
「……いや」
それ以上は言わない。
だが頭の中で、点が一つ増える。
(……偶然にしては、出来すぎている)
現場。遺体。この文字。
だが――
(まだ足りない)
断定するには、材料が不足している。
紙片を証拠袋に収める。
再び遺体へ視線を戻す。
(何が起きている)
問いだけが、積み上がっていく。
「……続けろ」
低く言う。
現場は、まだ終わっていない。
2026.04.04 文章を修正しました
2026.04.26 文章を修正しました




