第三章・化生胎動
リオンは額に流れる汗を拭いた。鍬を振るう。ルーン陥落より二ヶ月が過ぎていた。
怪我もほぼ完治したリオンは助けられた少女、リュシンの手伝いをしていた。
一心不乱に開墾をするその表情は無表情だが、瞳の奥に鬱屈を抱えていた。彼にとって帰るべき場所はもはやなくなっていた。その上、復讐するべき相手、裏切り者のカリエスは謀反の疑いをかけられて殺されていた。無論これは謀略であろう、祖国を裏切った男が謀反を仕掛けるには余りにも地盤が無さ過ぎる。謀反の証拠はタイラント国内で暫定政府を作っているリシスとラングレーに送られようとした手紙だという、内容は皇帝が留守の内に、自分の軍を率いて反乱を起こすというものだった。おそらく捏造されたものだろう、だが、ある程度の実現の可能性が信憑性を生んでいた。この程度の謀略でも、裏切り者で、後ろ盾のない将軍を殺す正当性は確保できたのだ。
おそらくは、母上が関わっているのだろうと、リオンは推測する。そしてそれは、ほぼ正しかった。
もう一人の復讐の相手、帝国軍にはルーンそしてルーンブルク全体が降伏と従属を示していた。
リオンは帰るべき場所と、するべき事を見失っていた。
玉座に女が座っていた。まばゆいブロンドの髪が高貴さを持って揺れる。顔は少女と女性の狭間にのみ許される、あどけない色香を持った美しさ。現在息子の後見人として、ラスタニアの権力を握る、女王フレイであった。
「さて、どうすればよいかの、ファルケ」
「私を、ニスタに向かわせて下さい。現在の状況ならば、あそこで防衛するのが最良でございます」
ファルケと呼ばれた騎士が顔を上げる。凛々しいという言葉が似合う騎士であった。その顔は女王に負けず劣らずの美形であった。
ニスタはラスタニアのすぐ前にある地で、森林が多い場所であった。
「ニスタじゃと、ラスタニアの目の前ではないか、そんな所で決戦に持ち込めとゆうのか」
「戦力を一個に集中いたします、ニスタのダグドの門は堅牢で周りの森林は兵を伏すのに適しています」
「じゃが、ラスタニアに近すぎる、そこを抜かれればこの国は終いではないのか?」
「だからよいのです」
フレイは苛立たしげに、扇を閉じた。他の重臣を遠ざけておいてよかったと思った。そもそも、目の前の美男子を呼び出す事自体が、フレイの周りに侍る重臣達にとっては嫌な事だろう。ファルケは元々、リシス、ラングレー派の臣であったのだ。
「よいじゃと、いいようによっては、その首刎ねる事になるぞよ」
その気のある者なら、それだけで達してしまいそうな鋭いフレイの視線を、ファルケは無表情に受け止める。
「お勘違いなされませぬよう、私はルーンブルクから離れるからよいのだと申しているのです」
「……どういう事じゃ、それは」
「現在、ルーンブルクは降伏し、帝国軍はここを拠点とし、ラスタニアへと進行します、その進路の途中途中に小勢を配しても無意味、更にいえば、大軍を圧しとどめられる要塞もダグドの門まではありません。逆に言えば、ダグドの門以外にこちらも長期間大軍を駐屯させられる場所がありません。つまりは野戦という事になります」
至極当然な事をファルケは言う、フレイはつまらなそうに扇で扇いだ。
「そのような事は言われずとも分かっておる。無いのであれば造ればよかろう、それまで大軍で陣を敷いておけばよい、要塞が出来るまで耐える事も出来ぬというのか」
「それをするならば、場所はセウスブルグでしょう、バークレイ将軍辺りのいいそうな事ですな」
それを聞いて、フレイが黙する。ファルケの言うとおりであった。
セウスブルグはルーンブルクの近くで、盆地と原野が広がる野戦に適した場所で、その後ろにはラスタニアとタイラントに恵みをもたらすアルゴの大河が流れており、それによってラスタニアに向かう側が僅かながら狭まっていた。そこに要塞を気付けば帝国軍を追い返せる、というのがバークレイの進言であった。
「果敢な進言です、猛将バークレイの名の通りですね、それに掛かる莫大な戦費、兵站をまるで考えていないとも言えますが」
「戦じゃ、金が掛かるのは当然であろう」
その言葉に、ファルケは微笑する。並みの女であれば、この者の為に何でもしたくなる、そんな微笑である。
「戦には金が掛かる、正にその通りでございます、そしてそれは逆もしかり、ニスタにまで帝国軍を引き込めば、敵の兵站を苦しくさせる事が出来るのです」
「…確かにその考えであれば、セウスブルグではルーンに近すぎるか」
「帝国軍は大軍で遠征しております、ルーンという拠点を手にいれたとはいえ、更にこちらの懐に誘い込めば、兵站が苦しくなるのは道理。更に一軍を遊軍としてセウスブルグの端にでも隠しておけば、一時的にも兵站を切る事は可能でしょう」
更にファルケは、ニスタの森林に兵を埋伏させ、ゲリラ的に襲撃させるなども考えていた。 長期の対陣で疲弊したところを見計らい、全軍で攻撃する。上手くすれば、皇帝の首も取れる可能性があった。
フレイは音をたてて扇を閉じ、頷いた。
「さすがは、銀騎士将軍ファルケ、良策ではあるな」
銀騎士の称号はその上の位が王族しか受けられない慣例であるため、王族以外における最高位であった。家柄もあるが、自他共に認められる才がなければ授けられる事はない。
「所詮、これは次善の策に過ぎません、最良はルーンブルクでの防衛、ダイン将軍に大兵を預け、全ておまかせするべきだったのです」
フレイのほめ言葉を一蹴し、ファルケは切り込むように言う。ルーンブルク援軍の指揮を最初に名乗り、その後のカリエス将軍が援軍の指揮に決まった時に、最後まで反対したのはファルケであった。
「あの時、そなたに兵を預ける事ができなかったのは仕方のない事、わからぬわけではあるまい」
苦りきった表情をフレイは見せる。ファルケはリシス、ラングレー派の臣であり、その中でも最重要人物で、亡命の手引きもファルケが執り行ったものと思われていた。
しかし、ファルケにすればお笑い種である。亡命を手引きしたのなら、ファルケ自身も亡命しているはずで、亡国のきっかけになるであろう大乱を自ら犯すなど考えられなかった。その上その時ファルケは、国王暗殺の真犯人を突き止めるべく地道な調査を繰り返していたのだ。 それにより暗殺者は確かにリシスの御付の侍女であったが、その侍女がある者から多額の金を受け取っていた事実、更にお金を渡していた者が、フレイの御付の宦官タリスと思われる事を掴み、証拠と事実を固めて逆転の一手を打とうとしていた、そんな状況でのリシスとラングレーの亡命であった。
フレイが暗殺の真犯人と分かっても、王ではなく国に忠を尽くすつもりのファルケにとっては、もはや国を捨て、国を滅ぼす者に忠を尽くすなど馬鹿げた話であった。
「ふんっ、まあよいわ、そなたの策は案の一つとして受け取っておく」
「……」
フレイとファルケの視線が交錯する。ファルケの射抜くような視線をフレイは心地よさげな微笑で迎え撃った。
「…不服か、己の策を通したければ、それなりの事をするものだ、私が望む事をすればよい、王族が誰に甘いか考えれば分かろう?」
フレイは己の体をゆっくりとなぞり、ファルケに熱っぽい視線を向けた。ファルケは顔を背けて立ち上がる。
「失礼いたします」
「ふふっ、いつでもよいぞ、わらわに忠を捧げに来るが良い」
退出するファルケは怒っていた。フレイはファルケに愛人になれといっているのだ。この国の大事になにを考えている、怒りは中々治まらなかった。深く息を吐く、天を見上げた。
「レオン、わが友よ、もうお前と酒を酌み交わす事はできぬ、だが見ていてくれ、私の力の及ぶ限り、この国を守ってみせる」
ファルケは若い頃にレオンと共にダインの元で校尉として鍛えられていた。
ルーンブルクの方角を見やる。亡き友、そしてその妻にして、秘めたる恋心の相手。
「降伏し、無事ではあると思うが…」
後ろ髪惹かれる思いを振り切るようにファルケは歩き出した。
そこは暗く濁った空気が支配していた。地下の牢獄の更に下、広い空間が広がっていた。ただし生活環境としては劣悪極まりない。
「ディオス、おるか」
この環境には似合わぬ小奇麗な男が甲高い声を投げかける。それなりに整った面をしているが、唇が異様に紅い。フレイの御付の宦官タリスである。
「おやおやおや、なにか御用かなタリス殿」
静かな声にも関わらず、その声は広い地下部屋全体に響いた。声で相手の位置がまるで掴めない。
「早く出て来ぬか、早く」
神経質そうにタリスは叫んだ。相手に対する不気味さはどれだけ会っても消える事がない。
「後ろでございますよ、タリス殿」
タリスはすぐさま振り返り、相手を見上げた。
タリスの目の前には紅いローブを身に纏った大男が立っていた。見上げても顔がフードに隠れてよく分からない。顔など無いのではないか、ただ、暗闇で異様に光を放つ紅い瞳が顔の存在を主張していた。
「…うっ後ろに立つでないわ」
「お気になさいますなタリス殿。してなにか御用で」
その言葉に癇癪を起こしたようにタリスは捲くし立てた。
「御用じゃと、決まっておるわ、どうするのじゃ、帝国軍をどうするのじゃ、ダインの奴はなんの役にもたたなんだぞ」
「お気になさいますな、ルーンブルクは元より、隠れたラングレー派と見て間違いない所です、現にあっさりと本拠であるルーンは降伏したではありませんか、ルーンブルク領主ダイン、あの男は力を持ちすぎていました。いずれラスタニアの災いとなった事でしょう、あとは帝国軍を追い出せば、禍根のないルーンブルクを取り戻せるというものです」
ディオスはタリスに口を挟む暇も与えずそう言い切った。静かで早くもないのに、何故かその言葉には、異様な威圧感と説得力があった。
「だっだとしても、帝国軍をどうやって追い返すというのだ」
「冷静にお考えなされ、ルーンブルクを吸収したとはいえ、帝国軍は十六万、ルーンブルク近辺を安定させるために二万は駐屯させるでしょう、我がほうは総軍でまだ二十万はだせましょう、堅牢な拠点を持って持久戦を挑めば、十分に防衛できましょう」
風貌の異様さとは裏腹に、ディオスの言は比較的単純でまともなものであった。しかし、タリスが欲しかったのはそんな言葉ではなかった。
「…ご安心なされよ、いくつか私の秘儀をご用意しております」
「本当か、ならば私は安心して、女王に進言できるぞ」
紅い唇を更に紅くして、歪んだ喜笑をタリスは浮かべた。王の暗殺の手引きからフレイを女王へとさせるための策謀、その全てはディオスから授けられたものであった。
「それよりも、本日も生娘をご用意しております、いかがなさいますか?」
それを聞き、タリスは鼻をひくつかせて笑みを更に深くした。夢遊病者のように暗闇の奥へと消えていった。
「宦官が女を楽しもうなど、醜悪なものよ」
ディオスの瞳が揺れる、笑っているのだろうか、そして宦官が女を楽しむ、どうやって?
「だが、まだあれは使える、二万程度では血が足らん、もっといるのだ、もっと……」
もっと、と言う呟きを繰り返しながら、ディオスは闇へと消えてゆく。
……最後にはただ闇が残り、そして、女の絶叫が延々と部屋に響き渡っていた。
次の話でやっと主人公を活躍させられる予定です。




