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帰るべき場所へ  作者: BB
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第一章・喪失夜戦

 

 体が痛い。

 憤怒。悲しみ。絶望。そして生。あらゆる感情が混沌として渦巻いている。

 体が寒い。

 水が流れる音が聞こえる。それが体から熱を奪い去る。理解していても、体が動かない。

 死が少しずつ俺を、抱きしめて来る。

 しかし、突如体が温もりに包まれる。そして、その温もりは俺の混沌とした感情も、死に対する渇望も消し去るのに十分だった。

 目を開く。

 光が見える。そこに、天女がいた。


 焚火の炎が赤々と燃える。木が燃えて割れる音が心地いい。

 焚火の前には、堂々とした体躯の男が薪を加えている。顎鬚に頬には深いしわ、髪には幾らか白いものが見える。

「父上。決戦は明日ですか?」

 声をかけたのは男の向かいに座っている若い青年。目には生気が輝いている。

「リオン。意気込むのはいいが、あせるなよ」

「はい。父上」

 リオンと呼ばれた青年が応える。子気味のよい返事だった。

「ダイン様。リオン様なら、大丈夫ですよ。何せ初陣で敵将の首を取ってしまうのですから、私などは生き残るのに精一杯でしたが」

 リオンの隣に控えた、従者のヤンが応える。

「ヤン、それがいかんのだ。初陣というのは、もっと生き残るのに精一杯で、泥や血にまみれるくらいがいいのだ。手柄なんぞ取って、いい気になってはいかん」

「父上。自分はいい気になどなりませんよ」

 ダインの言葉にリオンは軽く反発する。自分でも手柄を立てられたのは僥倖だと思っているくらいなのだ。

「それもいかん。お前は歳のわりに賢し過ぎる」

 渋面をして言うダインに、リオンは苦笑いを返す。とかくダインはリオンを未熟者扱いする。

 自分が未熟なのは自分が一番知っているのだから、殊更に強調しなくてもいいのに、いや、こういう考え方自体が賢しいのかも知れないとリオンは思った。

 

 今回のラスタニア王国とタイラント帝国の戦争は、ラスタニアの王位継承問題が発端であった。

 ラスタニア前王アレクス・デヴァント・ラスタニアは政治、外交と優れた賢君であったが、唯一女性関係に問題があった。正妃五人に、側室三十六人。一日の寵を受けた女は千を超えていると言われ、当然に子も多く、認知しているだけでも、男女合わせて、五十八人(男十二人、女四十六人)もいたのである。

 そして、男児十二人のうちの五人、しかも正妃一人に一人ずつの子供がいたのである。当然、後宮における権力争いは並々ならぬものがあった。しかし、アレクスが生きている間は、それは水面下の争いであり、さほどの問題はなかった。

 しかし、至極健康だと思われていたアレクスが急死した事から事態は急変する。

 まだ四十二歳で、本人自身が健康と思っていたこともあり、アレクスは後継を指定しておらず、また遺言も残していなかったのである。

 当然のごとく、後宮の争いはすぐさまに表面化し、王宮は乱れに乱れた。最終的に、第一正妃の息子である長子ラングレー・デヴァント・ラスタニアと第四正妃の息子で第四子のレリクス・デヴァント・ラスタニアの二派に重臣の支持が別れたのである。

 当初、長子であり第一正妃の息子でもあるラングレーが有力であったが、ある噂が事態を変える。それはアレクスの急死は毒殺で、その毒は第一正妃リシスが盛った、と言うものであった。更に、その理由として、第四正妃フレイの息子レリクスの名はアレクスが最も尊敬していた祖父の名であり、最もアレクスが愛していた妃も第四正妃フレイであると思われており、もしアレクスが生きていたら即位したのはレリクスであり、それを恐れたリシスが毒を盛った、と言うものであった。

 アレクスの死体を最初に発見したのがリシスであるのも噂に拍車をかけ、次にはリシスの御付きの侍女が、リシスが毒を持ったと証言し、更にはその後何者かに殺害されるという事件が起きたのである。この噂と事件により、力関係は逆転し、ラングレーは廃位にまで追い込まれる事となった。

 そして、事態はレリクス即位という事で収束するかと思われたが、更に広がりを見せる事となる。

 王国の端に幽閉されていたリシスとラングレーがタイラント帝国へと亡命したのである。

 タイラント帝国は、アレクスの父の時代に幾度かの会戦を行い国交が断絶されていたが、アレクスが即位すると、ラスタニアの方から積極的に外交を行い更に決めてとしてある手を使い国交を回復させていた。

 現在のタイラント帝国皇帝は、二十八歳の若き皇帝フリードリッヒ・ヴェルフ・タイラントで、彼の妃であるマリアンヌはラングレーの姉であり、ラスタニアとタイラントの仲をつなぐためにアレクスが切り札として嫁がせていた。

 しかして、リシスとラングレーの亡命によって事態は一変してしまう。義母と義弟を喜んで迎え入れた皇帝フリードリッヒは、不当に王位を奪われたとして、義弟を支持し帝国内で暫定政権を作り、正統な王を助けると主張し、ラスタニアに宣戦布告をしたのである。

 むやみに戦火を交える事で、国力が低下することを憂い、外交で敵国をなくした賢君アレクスの政策が、一族同士による戦争という結果を招いたのはあまりにも皮肉であった。


 「つまりは、都合のよい口実を見つけた、と言うことなのだろうな」

 ダインは薪を火にくべながら、溜息をつき空を見上げる。

 亡命を受け入れた一年後の夏。タイラント帝国がラスタニア北部ルーンブルクに約十二万、同時に東部ルンディア山脈から約三万が侵攻を開始する。ルンディア山脈は非常に険しい山脈ではあるが、抜ければ、王都に直接攻め入ることが可能で、逆にルーンブルクは王都からは遠いが、あとは小さな盆地が多いだけで、ルンディア山脈に比べると進軍しやすい地形であった。

 「ダイン様。やはり援軍は二万しかこないのでしょうか、初戦で皇帝旗も見つけましたし、私は山脈の軍は王都の守りを固めさせる為のもので、本軍は明らかにこちらだと思うのですが」

 ヤンが現在の状況を見て不安気に言う。リオンは焚火の前で、毛布をかけて仮眠をとっていた。

「だとしても王都の守りを手薄にするわけにはいかん」

 力強く、だが穏やかに言いながら、ダインは目を細めて、薪をくべる。薪が割れ、火の粉が舞う。

 王都がルーンブルクに援軍を少数しか送らないのは、王都を固めるだけではなかった。ダインがルーンブルク領主になってから二十一年、その中で大きな戦だけでも十を数えており、その全ての戦において、ダインはルーンブルクを守り、ラスタニアへの侵攻を抑えていた。ゆえに鉄壁、ラスタニアの虎、守護門虎、などと呼ばれて恐れられているのだ。

 特に、前タイラント皇帝バルクシア三世は、十万の大軍を率いて侵攻したおりにダインの率いた一万の騎馬隊による奇襲と火責めによって半数を超える兵を失い、命からがらに退却したのである。

『ラスタニアの虎、ダイン・バルトロウがいる限り、我らの侵略路にルーンブルクは無い』という言葉は有名であった。

 当然今回もダインは油断無く四万の兵を揃え、帝国軍を待ち構えた。それだけでなく、相手が十万を超える大軍である事から、ラスタニア本国へ援軍の要請も早馬で飛ばした。

 しかし、援軍は二万で、それ以上の援軍は来ないとのことだった。援軍二万を合わせてもこちらは総勢六万。二万の援軍は前国王の弟であるカリエス・ラマンテ・ラスタニアが率いて来ていた。国のほうは王族が率いて来たことで帳尻を合わせたつもりのようであった。

 「むしろ、援軍なんてこないほうがよかったように私には思えるのですが」

 体を起こして、不服そうにリオンが言う。王族なんかが来たせいで、全軍をダインの思うように動かすことが出来なくなったことが、リオンには不服であった。

 カリエスはそこそこに武名があり、ダインの用兵にケチを付けることが多かった。

そもそも前国王の時代から、カリエスはダインを気にいっておらず、その息子ザイアスにいたっては、露骨にダインを軽視し侮蔑していた。理由はダインが元々貴族の血筋ではないからだった。

 リオンは貴族の血がなんだと思う。父は誰よりも雄雄しく戦えるのだ。

 しかし、その血というモノの為に、父が不等な目に遭ったのも、また事実だった。

「リオン。私はお前に休めといった筈だ」

 リオンを軽く睨みつけ、ダインは薪を折って火に放る。

「ですが父上……」

「休むべき時に体を休めるは指揮官の務めだ……これ以上、私に言わせる程にお前は未熟なのか?」

 毅然としたダインの言葉にリオンは口を噤むしかなかった。そんな父子の姿をヤンは微笑ましそうに見つめていた。

 場が静寂に包まれた、と思った矢先だった。悲鳴と共に騒然とした気配が疾風のように、陣中を駆け抜けた。


 「陛下。カリエス将軍より伝令、奇襲成功せり、直ちに全軍を持って攻められたし」

「わかった。各将軍に伝令、総攻撃せよとな」

 伝令の去るのを見ながら、皇帝フリードリッヒは、唇を噛んだ。

「卑怯な手だが、勝ちは勝ちだ」

 その声は、どこか弁明しているようで、声には悔しさが混じっている。

 それもそのはずであった。自分はダインの倍もの兵を率いていながら、正攻法で、勝利するどころか、一度は誘い出されてから、挟撃を受けて、軍が壊乱しかけたのだ。もし、カリエスがこちらに内通していなかったらと想像して、フリードリッヒの全身は粟立った。

 これで勝つことは出来るだろうが、将才において、自分はダインに負けたのだ。

「……勝ちは勝ちだ」

 己に言い聞かせるような声が、赤く燃えるような戦場にむなしく響いた。


 馬で駆けながら、リオンは必死に兵を集めていた。

 騒然とした気配と共に、手負った義兄レオンが持ってきたのは最悪の報告だった。

「……カリエス将軍の裏切りです。私の部隊は壊滅。義父上……申し訳ありません」

 息も絶え絶えのレオン言葉にダインは数秒目を瞑ってから、的確に命を下した。しかし事態は、最早どうにもならぬ程に悪化していた。

 同じような兵装の敵が、同じ陣中に存在し、問答無用に切りかかって来るのだ。それもさっきまで味方であったはずの者達が。混乱は極みに達していた。

 リオンは何とか百近い兵を集めたが、どうにもならないのを感じていた。

 地が震えるような馬蹄の響きが近づく。リオンは分かっていた。無論ダインも、それはタイラント皇帝軍の総攻撃の響きだった。


 兵を率いて、リオンは駆ける。前方にレオンが見える。数百の兵を率いているが、その数倍の敵兵に囲まれようとしていた。

 リオンはそこへと突っ込んだ。一時的に穴を開けてレオンと合流するが、すぐに敵兵に穴を塞がれる。敵があまりにも多すぎた。死を覚悟し突っ込む。穴を穿つ。抜け出す。しかし、抜け出した兵はレオンと合わせても百に達しなかった。

 前方に敵に追い回されている部隊がいた。駆ける。リオンは長剣を縦横に振るった。

 味方の一人に振り下ろされようとした死の刃を、リオンは受けて弾く。

「早く退れ!」

 敵の騎兵と切り結ぶ。強い。二合、三合と剣がぶつかり火花を散らした。しかし、六合目、リオンの剣が嫌な音をたてて折れた。

 好機と見て、敵騎兵が突っ込む。死ぬ、そう想った瞬間、騎影が間に入り込んだ。レオンだった。

 敵の動きが止まる。その一瞬でリオンは敵の首に折れた剣を叩き込んだ。

 剣は半ばまで首を貫き、敵騎兵は崩れ落ちた。

「義兄さん、助かりました……義兄さん?」

 隣を走るレオンは馬に身を全て預けるようにしていた。鞍が血で濡れていた。

「………」

 無言で、レオンは自分の長剣をリオンに渡す。その胸からは、血が溢れていた。

 リオンが剣を受け取ると、レオンは力尽きたように目を瞑り、馬から崩れ落ちた。

 リオンは叫びだしたい気持ちをねじ伏せ、前を見る。父を探す、旗が見える。

 後ろから敵騎兵が追ってくる。このままでは追いつかれる。レオンは自分を殿にした。

 敵がすぐそこに見える。リオンは覚悟し、目を見開く。横合いから歩兵が突っ込んできた。敵が僅かに崩れる。ヤンだった。

「リオン様、生きてください……それがヤンの願いです」

 一時的に敵兵を崩すが、敵の数が多すぎた。波に飲み込まれるようにヤンの姿が見えなくなる。

 奪われていく、何もかも、自分を包んでくれた暖かいモノが。

 父の旗に向かう。そこには父がいた。まだ父がいた。

 父は陣形を組んで徐々に退いていた。統率を失っていないのは流石だった。だが、寡兵だった。

 煙。火責めだ。止めだった。統率が崩れる。矢が雨のように降り注ぐ。馬に刺さり、投げ出される。息が詰まる。力強く引き起こされた。父だった。

「父上……」

 泣き出しそうな声をリオンは出してしまう。父には矢が何本も刺さっている。駆けた。

 数万の兵に追い立てられ、崖へと逃げつく。すぐに数百の兵に囲まれた。

「父上。ここまでですね」

 最早、覚悟は出来ていた。後は一兵でも多くの敵を倒す。バルトロウの名を汚さぬ戦いをするのみ。

「……死ぬことは許さん」

 静かだが力強く、ダインは言った。

「父上……無理ですよ」

 矢が降り注ぐ。ダインはリオンを抱くように庇った。矢が父の背に吸い込まれる。父の血が顔に降りかかった。押される。父が何かを言っていた。手を伸ばす。届かない、水に落ちる衝撃がリオンの全身に広がる。父は今まで見たことも無い優しい微笑を浮かべていた。



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