水上底のアプニア
小さな入り江に、分厚い水音がどぷんと鳴って、白い水柱が立った。
気が狂うほど平穏な、オービットエンドの昼。
青い香りが眠気を誘う。
オーコは泡の尾を引いて沈んでいく。それを深く受け止めた海水は、やがてゆっくりと押し上げる。
「……ふーん」
水面に浮かんだオーコは、陸を目指すわけでもなく、手足を投げ出したまま空を眺める。
透明な海の、底の白砂には、オーコの影がくっきりと落ちていた。
『浮き輪に転職したの?』
どこからともなく、少女の声。
「海に落とされたんだよー。崖の上から」
オーコは間延びした声で答えて、なだらかな海のうねりに身をゆだねる。風はぬるくて控えめで、たまにチャプチャプ、ガサガサと耳に入ってくる水も、慣れてしまえば何だか好ましい。
『死んだ?』
「生きてる。怪我もない。そんなに高くなかったからかな」
『理由は? なぜ落とされたの?』
「さあねえ。なんでだろうねえ」
空には雲がない。だからひときわ眩しくて、オーコは目を閉じる。両目に宿った太陽の熱が、奥の方でじんわりと緩んで、そして眠気に変わっていく。
『相手は?』
「知らない人ー」
『そう。何があったの?』
「うーん」
オーコは口をつぐんで、鼻から胸いっぱいに空気を溜める。それをゆっくりと吐いていくと、身も心も海に溶けるような心地良さに満たされて、静かになってしまった。
『寝たの?』
声が尋ねても、オーコはひとつも動かない。波が少しずつ、オーコの体を浜辺の方へ寄せていく。
次に上がったのは、別の声だった。
「わたくしの翡翠の風、いかがだったかしら」
鼓膜をへこませるような、遠慮を知らない声。
誰かが、たった今オーコが落ちてきた小崖の上に立っている。顔は逆光でよく分からず、ただ、ずいぶん手間暇のかかりそうな髪型をしている。
「感謝なさい! 威力は抑えてあげたわ。本当ならあなたのようなド腐れ毛ジラミなんて海面に叩きつけてペシャンコにしてやりたかったのだけれど、そうすると、この美しい海が汚れて不快でしょう?」
上着から盛大にはみ出すふわふわの袖を大袈裟に振り乱す少女の横に、遅れてやってきた二つの人影が並ぶ。
「感謝しなさい落ちこぼれ! 中等部下級生でありながら色格魔法またはガジェット使いでいらっしゃるクインニリア様の、海より広い御心に!」
「高貴たるがただゆえに開拓冒険科の星であらせられるクインニリア様が手加減なさらなかったら、色無し能無しガジェット無しのあなたなんか海面に着く前に空中で細切れになっていたんだから!」
「あらあら、あなたたちったら言い過ぎではなくて? でももっとおっしゃって! おーっほっほっほっほっ!」
「かしこまりましたクインニリア様! おーっほっほっほっほっほっ!」
人気のない入り江に、三つの高笑いが響き渡る。
『クインニリア……ミネルバニア家のクインニリア・ズザンナ。この前もあなたに言いがかりをつけていた人ね』
「そうだっけ?」
クインニリアの高笑いや彼女に従う取り巻きの雑言を聞き流しながら、オーコと少女の声は言葉を交わす。
『あなたの同級生よ。一緒にいる人たちも』
「え、そうなんだ。よく憶えてるね」
『対人関係におけるあなたの脳みそは常時稼働中の焼却炉みたいなものだから、記憶力はこちらの方で補うことにした。私はあなたの使い魔だから』
「頼もしいぜ」
『あなたは頼りない。1000人程度の同級生の名前くらい、その日のうちに覚えてほしい』




