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第1話:「不要な女」と、暗闇の森

「――というわけで、そっちの地味な女は不要だ。適当な森にでも捨ててこい」


冷たい大理石の床に響いたのは、酷く無慈悲で、傲慢な声だった。

きらびやかなシャンデリア、目が痛くなるほどの金と赤で彩られた玉座の間。私の前に立つのは、絵本から抜け出してきたような金髪碧眼の王子様。

けれど、その美しい顔は、まるで道端のゴミでも見るかのように私を見下ろしていた。


「お待ちください、殿下! 彼女は私と一緒に巻き込まれただけです! 元の世界に……」

「おお、心優しき真の聖女、美しきミズキよ。残念だが、一度行われた召喚術は逆転できないのだ。それに、魔力測定具によれば、その女の魔力はゼロ。与えられた固有魔法も【マイルーム】などという、聞いたこともない無意味なものだ。我が国に、穀潰しを養う余裕はない」


泣きそうに懇願する同級生の瑞希を、王子が甘い手つきで抱き寄せる。

瑞希は学園のアイドルで、誰もが振り返る美少女だ。放課後、たまたま日直の仕事で一緒に教室にいただけの私は、文字通り『巻き込まれただけのおまけ』だった。


私の足元を見る。

履き慣れたローファーに、指定の紺色のハイソックス。少しだけ丈を詰めたプリーツスカート。

つい数時間前まで、友達と「今日の帰り、駅前のクレープ寄ってかない?」なんて笑い合っていたのに。

状況が理解できず、喉の奥がカラカラに乾いて、声が出ない。

怖い。何が起きているのか分からない。ただ、向けられる視線の冷たさだけが、ナイフのように肌を刺す。


「連れて行け」


王子の短い命令と共に、甲冑を着た大柄な兵士たちが私の両腕を乱暴に掴んだ。

「痛っ……やめっ、離して……!」

抵抗する間もなく、私はずるずると引きずられていく。振り返ると、瑞希が顔を覆って泣いているのが見えた。でも、誰も助けてはくれない。ここは日本じゃない。私の知っている常識も、法律も、人権すらも存在しない場所なのだ。


ガタゴトと揺れる冷たい馬車の荷台で、私はただ膝を抱えていた。

どれくらい時間が経っただろう。窓のない荷台から引きずり降ろされた時、外はすでに完全な夜だった。


「ひっ……!」


放り出されたのは、鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた場所だった。

月明かりすら届かない、底なしの暗闇。どこからか聞こえてくる、獣の遠吠えのような不気味な鳴き声。風が木々を揺らす音でさえ、何かが忍び寄ってくる足音に聞こえて、心臓が早鐘のように打ち鳴る。


「じゃあな、小娘。王都へ向かう街道は逆方向だが……まあ、お前がそこまで生きてたらの話だ」


松明を持った兵士たちは下品な笑い声を残し、馬車と共に去っていった。

蹄の音が遠ざかり、完全な静寂と暗闇だけが残る。


「嘘、でしょ……」


震える声が、空しく森に吸い込まれた。

寒い。怖い。どうしよう。

スマホの電源は入らない。助けを呼ぶこともできない。

ガサッ、と背後の茂みが揺れた気がして、私は弾かれたようにその場にへたり込んだ。


「嫌だ……帰りたい……お母さん……」


ボロボロと涙が溢れて止まらない。

どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの。何も悪いことなんてしていないのに。ただ、普通に高校に通って、普通に友達と笑って、普通に生きていただけなのに。


――ガサガサッ! グルルルル……。


今度は気のせいじゃなかった。

明らかに何か巨大な生き物の低いうなり声と、落ち葉を踏みしめる重い足音が近づいてくる。

暗闇の奥で、二つの赤い目がギラリと光った。

息が止まる。死ぬ。私、ここで食べられて死ぬんだ。


パニックになりかけた頭の片隅で、ふと、あの王子の言葉がフラッシュバックした。

『与えられた固有魔法も【マイルーム】などという――』


魔法。私にも、一応魔法があるって言っていた。

使い方も分からない。そもそも魔法なんて信じられない。でも、もうそれに縋るしかなかった。


「……っ、【マイルーム】……!!」


祈るように、叫ぶように、強く念じた。

その瞬間だった。


ぽわん、と。

私の目の前の何もない空間に、淡い光が灯った。

それは、見慣れた真鍮のドアノブだった。そして、白い木目のドア。

間違いない。私が日本で、毎日開け閉めしていた、自分の部屋のドアだ。


赤い目をした獣が、獲物に向かって飛びかかってくるのが見えた。

私は無我夢中でドアノブを回し、内側に転がり込むようにして飛び込み――バタンッ! と力いっぱいドアを閉めた。


ドンッ!!


直後、ドアの向こうから凄まじい衝撃音が響いたが、ドアはビクともしなかった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


荒い息を吐きながら、私は床にへたり込んだまま、ゆっくりと顔を上げる。


目に飛び込んできたのは、星柄のカーテン。

読みかけの漫画が積まれた小さな机。

壁に貼られた推しアイドルのポスター。

そして、ラベンダーの香りがする柔軟剤の匂いが染み付いた、大好きな私のベッド。


「……あ、れ?」


天井のLEDシーリングライトが、パッと明るく室内を照らしている。

コンセントには電気が通っているのか、加湿器がシューシューと白い湯気を立てていた。

ポケットの中で、ずっと圏外だったスマホが「ピコン」と通知音を鳴らす。画面を見ると、バリバリの5G電波と、自宅のWi-Fiマークが燦然と輝いていた。


外からは、獲物を逃した魔獣の苛立った咆哮が聞こえる。

けれど、この部屋の中は、信じられないほど平和で、暖かくて、そして――絶対的に『安全』だった。


張り詰めていた糸が、プツンと切れた。

私はふらふらと立ち上がり、そのまま自分のベッドへとダイブする。

ふかふかの掛け布団に顔を埋めると、やっと、心の底から安堵の涙が溢れ出した。


「……なんだこれ。最高、じゃん……」


異世界の最凶の森のど真ん中で。

私は、絶対にここから一歩も出ないと、固く心に誓ったのだった。

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