夜明け
深い夜闇の中、シュウは転生村を静かに見据えた。目算にして約10km、魔力探知の通じる距離ではないが、相手は転生者だ。魔力隠蔽は怠らない。夜明け前という最高の時間帯を逃さないよう、シュウは足を速めた。
しばらく歩き、木の密度が減りつつあった。村が近いということだ。さらに数分歩くと、魔力探知に何かが触れた。あまりに表面が滑らかく、魔力の揺らぎすら感じられないそれが結界であると気付けたのは、シュウの類稀なる魔力制御能力があってのことだった。シュウは結界の縁をなぞるように歩き、結界の形状を確認する。これは核を中心に半球状に展開されるタイプのようで、板状のものを複数配置するタイプと違い外部からの干渉はまず不可能だ。しかし、魔力探知で探知できるのなら、これは魔力を弾くものである可能性が高い。であれば、シュウの持つある技が有効だ。それは相談役によって【影送り】と名付けられた、究極の魔力隠蔽法。自身の魔力に固有の振動を環境の乱雑な振動に紛れ込ませ、肉体が魔力に対し疑似的に透過する。魔力圧の急激な変化により多少耳鳴りがするが、作戦に支障は出さない。僅か数分で、シュウの指先は結界をすり抜けた。
結界内への侵入には成功したが、ここで【影送り】のデメリットが大きく影響する。一度振動を乱した魔力は、再び一定の振動を取り戻すまで魔力の制御がほとんどできない。魔力探知はおろか、身体強化すらままならない今、できることは対象の観察だけだ。
リエル森林を走る間に、暗殺の対象は3人に絞ってある。最初に目を付けたのは『新時代の勇者』レオ=パワード。数年前に魔王を倒した英雄であり、膨大な魔力とそれを湛える強大な肉体を持つという。他の転生者と比べて情報が新しく信頼度が高い上、シュウとの相性もいい。しかし、レオは相談役の言っていた国に有益な転生者でもあるため相談役の意向にはそぐわない可能性がある。そして『不死者』リーラン="クラシス"=サーペンス。彼はその二つ名の通り不死性の異界異能を持ち、暗殺は不可能だ。しかし、1000年以上前にトゥテルで活躍し、その後革命に乗じて亡命したとされる転生者であるためトゥテルとの因縁があり、殺せずとも無力化して連れて帰れば、十分な仕事になるだろう。しかし、リエル森林は想定よりも厳しく、人一人を連れて帰るのは厳しいだろう。最後に、『最初の転生者』『初代勇者』『人類史の起点』『魔神殺し』『永遠の現人神』『転生村村長』ウーナ="クラシス"=ミュース。有史以前の神話にすらその名が刻まれており、以降の歴史でも無双の剣士、時には太陽を焼く炎使い、大地を裂く拳法家などとして記される。この村の広さからして、どれを狙っても他の転生者に気づかれる可能性は高い。最大の脅威であるウーナに先手を打つのが最善であると、シュウは判断した。
少しすると魔力の振動が安定し始め、魔力探知も僅かに使えるようになった。村の各地から複数の大きな魔力を感じる。その中でも、シュウがかつて感じたことのないレベルのものが3つある。1つは村の中央にある一軒家だ。ずっと明かりが点いているが、あまりに小さく村長であるウーナの家ではないだろう。北側の村はずれに見える大きな社と比較的近くにある塔のような家はどちらも村長の家として相応しく、魔力も相応のものだ。塔の魔力がひときわ大きいことから、これがレオであると予想をつける。消去法により、社を目標に設定しシュウは身を隠したまま近づき始めた。
慎重に行動しているうちに、シュウは着実に本来の魔力を取り戻していた。それと同時に、社の魔力の異常性、環境に満ちる乱雑な振動の中に、あらゆる魔法が次の瞬間に起こり得るような無数の可能性の秘められたような不気味な全貌が明らかになっていった。しかしその異様さとは裏腹に潜入は容易だった。魔力探知を切り、魔力隠蔽を限界まで張りつめて、五感に頼って気配を探りながら屋根裏を移動し、この社で唯一音のする部屋の上へとたどり着いた。天井の隙間から覗くと、低い机で夕飯を食べている少女、いや、少年がいた。長い白髪、紅い左目、顔の右側の白い筋、神秘的な美しい容貌、伝説そのままの姿のウーナがそこにいた。魔力の特殊性ゆえに警戒や戦意は全く感じられないが、見た目からもその素振りは一切見せず、近くに他の転生者の気配もない。既に魔力は万全であり、これを好機と判断したシュウは天井から飛び降りてウーナの脳天を叩き魔力で脳を破壊した。相談役から最初に学んだ外傷を残さない最速の暗殺術は効果を発揮し、ウーナは反撃する素振りもなくただその場に倒れた。即座に魔力探知を発動し、先ほどまでの異様な魔力が霧散し始めていること、周囲にまだ他の住人の魔力が無いことを確認した。あまりにあっけない決着に偽装や不死性の可能性が頭に過るが、未知の異界異能は警戒するだけ無駄だと"転生者狩り"としての経験が告げる。少なくとも脳の破壊は確実な手ごたえがあった。再生できたとしてもリスクになるまでに猶予はある。戦利品として特徴的なウーナの赤い左目を取り出し、常備しているガラス製の容器に保存し、即座に立ち去ろうとした。その時、部屋の扉が開いた。
「ウーナ、新しいウェイトを…ん、誰だ?」
声のする方向へ振り向くと、そこには2m近いと見られる背丈の筋骨隆々の巨漢が立っている。魔力探知にはまだ反応がない。しかし外見からして正面戦闘は避けるべきだろう。すぐさまシュウは全身を魔力で強化し、屋根に穴をあけて逃走を始めた。巨漢は視界の端でその体よりさらに一回り大きい剣を構えてしゃがみ込んだと思うと直後、跳躍した。シュウの倍以上あるであろう巨躯が、シュウの最速よりなお速く跳ね上がった。身をよじって躱そうとするが、僅かに間に合わず左腕を掠め、通り過ぎた風圧でシュウは結界付近まで吹き飛ばされた。
その瞬間、シュウはさらなる驚愕に見舞われた。膨大な魔力。放出するだけでこの村を谷に、周囲の山を更地にしてまだ余りあるほどの膨大な魔力。そのあまりに膨大すぎる魔力を、シュウは環境の魔力として認識してしまっていたのだ。一度【影送り】で魔力を手放してしまったのが裏目に出た。探知した3つの魔力はどれもレオではなかったのだ。狙ったのが彼でなくてよかった。例え先ほどのように魔力を刺しこもうとしても弾かれてしまうだろう。幸い巨漢はこちらを見失っているようだ。今のうちに結界を抜けよう。だが、リエル森林で魔力を失うのは致命的であり、出る時は【影送り】は使えない。転移魔法の術板は先ほどから何度か使おうとしているが機能しない。そもそもレオのいる環境では精密な転移魔法は発動できないだろう。結界の外までは自力で出る必要がある。この時、シュウの魔力探知にはレオ、一軒家、塔の強大な魔力に加え、新しい魔力が触れていた。こちらを追いかけてくるわけではないが、結界と同じように不気味なほど整然とした魔力が魔法の発動過程にあった。おそらく結界の発動者だろう。脅せば結界を解除させられるかもしれない。そう考えた直後、地面がふと消えた。
シュウは落ちていた。吹っ飛ばされたような感覚はないということは、転移魔法を使われたかそれに類する異界異能を受けたのだろう。少しでも浮遊魔法の類が使えればあるいは助かるかもしれないが、シュウの身体強化程度ではこの高さは耐えられない。判断を間違えてしまった。
「結構落ちるのに時間かかるね。」
「え?」
ウーナの紅い目玉が、鞄から這い出ている。帽子のようにガラスを被り、手足が生えた奇妙な姿で。
「は?なんで…」
シュウの口から出たのは純粋な疑問からの言葉だった。次に瞬きをした時、目の前には先ほど食事を摂っていた神々しいウーナの姿があった。その瞬間、暗雲が晴れ、月光が落ちる2つの影を照らした。ウーナの髪は白い光を受けてそれを七色の輝きとして反射し、抉り抜いたはずの瞳は傷一つなく、全てを見透かすようにシュウを見ていた。
「キミが狙ったのが、ボクでよかったよ。あれを喰らったら流石に、あいつらでも死んじゃうかもしれない。」
ウーナは言った。笑顔だった。同じ村に住む仲間を殺しかねなかった自分に対して、憤りの一片も感じさせなかった。もう一度殺し直そうと手を伸ばすが、ウーナは少しだけ高い位置を落ちていて、届かない。シュウは腰にある中距離攻撃魔法の術札を取り出そうとするが、落下による乱気流でそれは吹き飛んでしまった。
「このまま死ぬつもり?」
「死ぬことは仕方ない。せめてお前を殺したいところだが、もう手がないんだ。」
「ワタシに頼れば?キミを無敵の存在に作り替えてあげてもいいよ、オレより強くはできないけど。」
シュウはその時、頼りたくないと何故か思った。ここで頼り生き延びた方が明らかに良いのに、なぜかそう思った。だから彼は黙っていた。ウーナも黙っていた。地面に落ちた石がはっきりと見えるようになるまで、何分も経ったような感覚があった。無意識に突き出した左手の指先が地面に触れた刹那、落下が止まったように感じた。そして気づく、止まっていた。
「キミ、死にたいんでしょ。」
ウーナがそう言った。シュウはそんなことを考えたことも無かったが、確かにそうなのかもしれないとも感じていた。思えば、ウーナを襲うというのも転生村に入るのも、別にそう指示されたわけではない。
「じゃあ、これで死だ。キミは墜ちて死んだ。生まれ変わるといい。」
ウーナは続けた。あまりに迷いのない瞳を見ていると、本当に思考を見透かされているような気がしてくる。
「わかった。そうする。」
シュウはそう答えた。そしてウーナも頷き、静かに答えた。
「それでは、ようこそ転生村へ。新しい転生者、シュウくん。」
その言葉を聞いた時、シュウは突然、目がくらんだ。落ちる瞼の隙間から、はるか遠くに昇り始めた太陽の光が見えた。




