夜明け
深い夜闇の中、シュウは村の灯を静かに見据えた。そこからは念を入れて魔力隠蔽と魔力探知こ両方を怠らず、術札も使わずに近づいた。これだけの距離に魔力探知を届かせることなど普通なら不可能だが、油断はできない。なぜなら相手は転生者だからだ。特に、転生村には人類史上最強クラスの実力者が何人もいるというのはシュウも知る常識だった。歩くにつれ、木の密度が減ってきた。さらに歩くと、魔力探知が結界の存在を知らせた。その結界の縁に沿ってしばらく歩き、結界が球状であることを確認する。球状の結界の核は結界の中心に存在することが多く、核に工作するのは不可能だ。普通の人間ならここで侵入を諦めるところだが、シュウは違う。入念にその結界が魔法に由来することを確認して、自身の魔力を分離して結界をすり抜けた。
結界内への侵入には成功したが、ここで魔力の分離のデメリットが大きく影響する。当然だが、肉体から魔力を分離させれば一時的に魔力を失い扱えなくなる。魔力探知すら使えないこの状態では暗殺は当然のこと、隠密行動にも支障がある。魔力が充分に回復するまでは結界内で上手く潜み続ける必要があった。その間、シュウは魔力がなくてもできることをした。対象の特定だ。
今回の目標は、ここに来る前に3人に絞っていた。1人目は初代転生者で初代勇者、史上最強の存在とされる転生村の村長ウーナ=”クラシス”=ミュース。これの暗殺に成功すれば王は大いに喜ぶだろうが、記録が古く情報が少ないためリスクも大きい。2人目はリーラン=クラシス=サーペンス。彼はかつてトゥテルに属していたものの、革命に乗じて逃亡した過去があり王は復讐の可能性を危惧している。こちらも暗殺できれば王は喜ぶだろうし異界異能の情報はかなり詳細に残っているが、その性質から暗殺に少し特殊な手順が必要だ。3人目はレオ=パワード。彼は最近魔王を討ったため実力者であり、ウーナや他の実力者たちが衰えている可能性を踏まえれば転生村で最も強い可能性もあるという。シュウはあまり悩まず、王への貢献度を重視してウーナを選んだ。
次に、目標の居場所を探る。村の中央にある一軒家は、ずっと明かりが点いているが一部屋しかなさそうなので村長の家ではないだろう。ウーナがいるとすれば比較的近い位置にある豪邸か少し外れた位置にある社だと予想した。しばらく観察して対象を絞り、次は人の動きに注目する。夜も深いため人の出入りはないが、1人の男が家の裏で何かをしていることだけはわかった。観察をするうちに魔力が回復し、魔力探知を使える程度になった。これまでよりも一層気を引き締めて、精密に魔力探知を使う。その時、村外れの社からこれまでに1度も感じたことの無い異様な反応があった。シュウは直感的にそこにウーナがいると確信した。そのまま彼は急かされるように社へ移動した。辺りに見張りはなく、魔力探知をされている様子もない。潜入は容易だった。魔力探知を切り五感によって気配を探りながら屋根裏を移動し、人のいる部屋の上へとたどり着いた。天井の隙間から除くと、低い机で夕飯を食べている少女、いや、少年がいた。長い白髪、紅い左目、顔の右側の白い筋、神秘的な美しい容貌、伝説そのままの姿のウーナがそこにいた。警戒している素振りは一切見せず、近くに他の転生者の気配もない。好機と判断したシュウは素早く飛び降りて首を切り落とし、魔力と心臓の停止を確認する。不死である可能性を考慮して首を拾い上げ、袋に包んで早急に脱出しようとした。だがその時、部屋の戸が開く音が聞こえた。
「ん?誰だお前。」
声のする方向へ振り向くと、そこには2m近いと見られる背丈の筋骨隆々の巨漢が立っている。魔力の気配は未だ感じられない。魔力のない人間か、それとも魔力隠蔽が恐ろしく上手い達人か。どちらにせよ、相手は転生者だ。無闇な交戦は好ましくない。シュウは全身を魔力で強化し、屋根を突き破って逃走を始めた。巨漢は視界の端でその体よりさらに一回り大きい剣を構えてしゃがみ込んだと思うと直後、ありえない速度で跳躍した。ギリギリで身をよじり直撃は避けたが、余波により勢いよく吹き飛ばされ、森の木々に突っ込む。
「剣使えよ...」
驚きのあまりついそんなことを口走ったシュウは、その瞬間さらなる驚愕に見舞われた。放出すれば、ここら一帯の山々が消し飛ぶほどの魔力を巨漢から感じ取ったのだ。先ほどまで魔力の気配が感じられなかったのは、魔力があまりに膨大すぎたため。前情報から推察するに彼がレオだろう。彼を狙わなかったことに深く安堵しながらもシュウは巨漢を観察し、自分を見失っていることに気づくとすぐさま全力で駆け出した。
しばらく走り、もうすぐ結界面に到達するという時、背後から巨漢とは別の気配が追ってきていることに気づいた。わずかに振り向き視界の端で気配の主を確認する。奇妙な長杖を持った黒髪の少女が宙を浮きながら高速で迫ってきていた。魔力量は並みのようだが相手が転生者である時点であらゆる思考は意味を為さない。シュウは変わらず全力で駆け、結界を魔力を纏った短剣による斬撃で破壊し結界外へと飛び出す。しかし、シュウは空中へと投げ出された。頭上、いや下に転生村の灯が見えた。シュウは転生村の上空に転移していた。
「結界は破壊したはず…偽装か?2枚目があったのか?いや…」
自分が転移させられた理由を解明しようとするが、すぐにやめた。これだけの高さから落下すれば、浮遊系魔法を扱えないシュウは何もできず死ぬしかない。解明できたところで何の意味もない。地面に叩きつけられて死ぬまで、自分の人生を振り返った。生まれは最悪、育ちも最悪、他人を傷つけてしか生きられず、好きでもない権力者にただただ従い続ける人生。いや、その気になればいつでも逃げ出せたはずだ。それに気づいてしまえば尚更後味の悪い人生だった。何様のつもりか、あわよくばこの村に住む人々のように、自分が無感動に殺してきた人々のように、自分にも来世があれば、転生できればとも考えた。いよいよ地面が迫り、改めて死を覚悟したとき自分の背後から声が聞こえた。
「結構落ちるのに時間かかるね。」
「え?」
ウーナの首がしゃべっていた。体もある。暗殺は失敗していたのだと知った。地面と死がもう目と鼻の先まで迫っているのに、なぜかシュウは長年の間固まっていた表情を緩めた。心のどこかで、こうなることを望んでいたのかもしれない。自分が報いを受けることを。今回の行動に粗が多かったのも、そのためかもしれない。彼は穏やかに目を瞑り、死を迎得る覚悟を決めた。しかし、その時は一向に訪れなかった。恐る恐る目を開くと、地面から少しだけ浮いたところでぴたりと静止していた。目の前には、月光に照らされて優しく神秘的に輝くウーナの姿があった。
「は?なんで…」
シュウは純粋な疑問から言葉を放った。
「いやなんか、かわいそうかなと思って。なんとなく。」
シュウの頭は真っ白になった。ウーナからすれば、自分が殺されたことなんて大したことじゃないかもしれない。でも、かわいそう、なんて。お前に俺の何がわかるんだ、というありきたりな台詞が頭を過ぎった。しかしシュウを見据える赤い瞳は本当に全てを見透かしているようで、頭の中にあった霧、あるいは無数の蔓のようなものは一瞬にして消え失せた。ふと、もしかしたらやり直せるかもしれないと思った。
「もう一度生まれ変わりたい。やり直したい!」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。ウーナは不自然なほどに自然な満面の笑みを浮かべ、答えた。
「ようこそ、転生村へ。」
その時、水平線の上に眩しい朝日が姿を現した。