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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第四の試練 俺は子ネコちゃんを抱くわけにはいかない
20/66

20 夜行性の化け物

 それは夜の八時を回り、結衣が帰った直後のことだった。

 店にスカートをひらひらさせながら入ってくる、若い女性がいた。

 レジに立っていた日下部が、瞳をギラギラと輝かせる。


「いらっ、しゃいませ~っ」

「あの、店長さん……じゃなかった、店長代理さんは、いらっしゃいますか?」

「君、かわいいねえ。俺と付き合わない?」

「は?」


「日下部、お前ってヤツは~っ、さっき言ったばっかじゃねえかーっ」


 日下部が客をナンパしていると察知した歩夢は、「今度ばかりは許さない」と心に決めてレジへ駆けつけた。


「え?」


 店内をキョロキョロと見回している小柄な女の子。

 それは有寿だった。


 幼い頃からの丸顔だが、目がクリクリしていて、鼻と口が小さくて、リスのようにかわいらしい。

 ゆるふわセミロングの髪型も、よく似合っている。


「有寿、お前、なんでここにいるんだ?」

「あっ、お兄ちゃん、いた~」


 有寿は、どんな幸運に恵まれればこれほど嬉しそうな顔ができるのか、と見る者に思わせるほどの笑顔になった。


「えっ、お兄ちゃんって……店長代理、一人っ子っすよね。まさかパパ活ならぬ、お兄ちゃん活?」

「なんだよそれ。強引にわいせつな方向へ持っていこうとするな。高校がこの子の家の近所だっただけだよ」

「高校と家が近所ねえ。なんかエロいな……」


「あっそうか。昨日メールで店の場所を教えたから、早速来てくれたってわけか」

「今日課題の制作がひと段落して、来週まで暇になったんだよー。お兄ちゃんが作ったハンバーガー、食べたい~」


「うわっ、話し方までかわいいなあ。俺、ついに運命の人と出会ってしまったぜい」

「あっ、しかるの忘れてたけど日下部、なに客をナンパしてんだよっ」

「ナンパじゃないっす。もはや本気っす」

「初対面でなに言ってんだよ。もっと慎重になれってあれほど言ったじゃねえか」


「ハートにビビっときたら、考えてる暇なんかないっしょ。ねえ君さあ、とりあえず俺の子供産んでくれない?」

「社会的に抹殺するぞお前」

「店長代理、キャラ変わってるっす~っ」



 歩夢は日下部を目力で追い払ってから、自らハンバーガーを作り始めた。

 そして親鳥を待つ小鳥のような表情の有寿に、ハンバーガーのセットを差し出す。


「お待たせ。たいしたもんじゃないけどな」

「たいしたもんだよー。だってお兄ちゃんが作ったんだもん」

「いやここだけの話、あんまり栄養のあるもんじゃないからな。明日からはもっと体にいい物食えよ」

「もう、いつまでも子供扱い~」


 小さな口をめいっぱい開けてハンバーガーをほおばる有寿を、歩夢は目を細めながら眺めていた。

 そんな二人を日下部がうらめしそうに見ていたことには、まるで気づいていない。


 店長代理って、自分が恵まれていることに気づいてねえんだよなあ。



 ハンバーガーを食べ終わった有寿が、カウンターに両ひじをついている。

 店内を常に動いている歩夢を捕まえて、話をするためだ。


「あ、お兄ちゃん、仕事まだ終わらないの?」

「片付けとかあるからね。深夜までかかるんだよ」

「あたし、待っていちゃダメ?」

「ダメに決まってるだろ。子供は早く帰りなさい」

「もう、やっぱり子供扱い~」



 歩夢はいつまでもだだをこねる有寿の背中を押し、なかば無理やり店の外へ送り出した。


「いいか、夜道は特に気をつけて帰るんだぞ。この世はどこもかしこもオオカミだらけなんだからな」

「大丈夫だよ。お兄ちゃんを泣かせるようなことは、あたし絶対にしないから」

「いい子だ。有寿は本当にいい子だな」


 歩夢は心配そうに有寿を見送り、のぞき込んでいた日下部を追い返す。



 有寿に会って上機嫌の歩夢は、家に帰る時にはさらにハイな気分になっていた。


 マリア、マリア、かわいいマリア。



「お帰りなさいなのニャ~」


 歩夢が玄関の扉を開けると、毛並みの良いネコが待ち構えていた。

 しゃがんで背中を丸め、毛むくじゃらの手でネコ招きをしている。


「今日は一日子ネコちゃんで通す気かぁ。いいから飯出してくれよ。お腹ペコペコなんだよ」

「歩夢のエサはマリアニャ。二人でニャンニャンするのニャン」

「なんでネコ語のほうが流ちょうなんだよ。いいからとっとと自分の仕事をしろー」

「はいニャ~」



 夕食のハンバーグはあらびきでかなりうまい。

 アンドロイドによる手ごねである。


 これヤバいな。

 俺すっかり胃袋をつかまれちまったよ。

 男ってやつはとことん単純だからな。


 マイドールは食欲も性欲もバッチリ満たしてくれるってわけか。

 おかげで毎晩興奮しすぎて寝付けねえ。

 寝不足が続いてきついよ。



 食後、歩夢は再びさびしん坊の野獣に襲われる。

 突き放した歩夢を、ネコなで声が包み込む。


「マリアと、ニャンニャンしてぇ。歩夢のミルク、欲しいのぉ」

「うん、今出してあげるからね……って出すかそんなもんっ。牛乳でも飲んでろー」


 歩夢は皿にミルクを注ぎ床に置いた。

 するとマリアがしゃがんで舌を出し、ミルクをなめ始める。

 思わせぶりな視線で歩夢を見上げながら。


 なんだそのエロかわいい仕草は。

 それは反則技だろう。

 そんなに白い液をペロペロするなよ。

 舌ってそんなに赤かったっけ?

 ちくしょー、潤んだ瞳で上目づかいをするなー。



 ミルクをなめきったマリアは、ネコの手で体をなでながら物欲しそうな視線を投げてくる。


「マリア、さみしいニャン、ナデナデしてほしいニャー」


 その顔……なんか今にもいなくなってしまいそうだな。


 急にせつない気持ちになった歩夢は、マリアのほうへ手を伸ばし、心を込めて頭をなでる。


「マリア、抱っこしてほしいニャー」


 甘えん坊の猛獣が、歩夢の腹にしがみついてくる。

 着ぐるみは柔らかく、温かい。


「お前なあ、十分大きいんだから甘えてんじゃねえよ」

「マリアはまだ子ネコなのニャン。だから甘えてもいいのニャン」


 ダメだ。

 脳みそが沸騰してる。

 このままじゃ、理性が本能に負けちまいそうだ。


 夜は体が疲れているから、自制心も弱っている。

 だから誘惑にも引っかかりやすい。

 性欲という名の化け物め。

 お前は夜行性というわけか。



「もういいだろ。いい加減自分の寝床で寝な」

「いやニャ~、マリアさみしいニャ~」

「わがままを言うな」

「いやニャいやニャ、ずっと一緒さんニャ~」


「あぁもう、人間のふりはやめてくれ!」

「……今はネコなのにぃ」


「お前はただのロボットなんだ。着せ替え人形にすぎないんだよっ」


 空気が抜けてしぼんでいく風船のように、マリアが体を縮こまらせていく。

 頭をたれ、悲し気な目で床の一点を見つめている。

 もう、「ニャー」という鳴き声は聞こえてこない。



 いたたまれなくなった歩夢は、逃げるように寝具の中へ潜り込んだ。


 今のはさすがに言いすぎたな。

 ちくしょう、マリアの温もりが、この手から消えてくれねえ。

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