16 過剰な奉仕
店舗の奥にある事務机の上で、歩夢のスマホが揺れている。
客の出入りが止まったのを確認して、歩夢はスマホを手に取った。
一通のメールが届いている。
差出人の名前は、園木有寿。
「なんだ、有寿か」
有寿は歩夢が高校生の時知り合った女の子だ。
以来時々メールのやり取りをしている。
「あのねお兄ちゃん、今日あたしね、描いた絵を教授にほめられたよ」
有寿は都内の美術大学に通う女子大生。
とはいえ八つも年下だし、出会った頃はまだ八歳だったので、歩夢には小さな子供にしか思えない。
そうかそうか、ほめられたのか。よかったなあ。
「それとね、お兄ちゃんが働いている店を教えてよー。あたし行ってみたいの~」
有寿はいくつになっても子供のままだなあ。
本当にかわいい妹だ。
実の妹なら、どんなによかっただろう。
穏やかな笑みを浮かべながら、歩夢は返事を打つ。
有寿とのメールは、歩夢にとって最大の癒しだった。
深夜、歩夢は今日も買い出しをしてから家に帰った。
家が近づいてくると、期待で胸が高鳴ってくる。
扉を開くとそこには、スカートのすそを上げてお辞儀をするマリア。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あぁ、ただいま。もしかして、ずっとそこで待っていたのか?」
「下から足音が聞こえたので、この姿勢でお待ちしていました」
「なにもそこまでしないでいいのに。そりゃご苦労様」
「ご主人様こそ、今日もお仕事お疲れ様でした。マリアは今夜も全力でご奉仕させていただきますわ」
「全力ねえ。うちのメイドはかわいいことを言うなあ」
マリアからねぎらいの言葉をかけてもらうだけで、歩夢は仕事の疲れが吹っ飛んでいく。
今日も家に帰れてよかった、のかな……。
夕食のメインはオムライス。
表面にケチャップで大きく「わたしを食べて」と描いてある。
「これは、なにかな? こんな小細工をする暇があったら味のほうを……」
卵はフワフワだし、味も悪くない。
料理は着実に進歩しているようだ。
もう料理が上達したのか?
機械はいいよな。こんな短時間で簡単にレベルアップできてさ。
人間じゃ、こうはいかない。
けれど、台所には汚れた皿が重ねてある。
三角コーナーには山のように積まれた卵の殻。
なんだ、アンドロイドも人並みに努力すんのか。
泣かせるじゃねえかよ。
「まあ、思っていたよりは悪くないな」
「やったー、マリアほめられちゃった~。はい、あーん」
マリアがオムライスをすくって突き出してきたスプーンを、歩夢は反射的にくわえてしまう。
「あーん……しまった、食っちまった」
「マリアにもあーん……あーんっ」
「めんどくせーメイドだなー。はいよ……うわぁ、かっわい~」
「よろしければマリアが皿の上に乗って、食べていただきますわ」
「いやいや、そんな大きな皿ないから。……おいおい、皿を並べなくていいからっ」
食後歩夢が服を脱いで浴室に入ると、続いてマリアがメイド服のまま入ってきた。
「お背中を流してさしあげますわ、ご主人様」
「わっ、なんで入ってくるんだよっ。一人で洗えるよっ」
「気持ち良くして、ア・ゲ・ル」
「そこを洗おうとしないでいいからっ。マジマジ見るなーっ。首をかしげるなーっ」
歩夢がどんなにいけないと思っても、ムスコはみるみる成長していく。
歩夢は洗ってほしいと主張するムスコをおけで隠しながら、マリアを押し返す。
「いいからここから出ていけっ。俺の入浴中は入るの厳禁だっ。ご主人様の命令は絶対なんだぞーっ」
マリアは口をとがらせながら、主人の命令に従う。
だが歩夢が浴室を出ると、マリアはなにかと世話を焼こうとした。
服を着せようとする
ドライヤーで髪を乾かそうとする。
スポーツドリンクを飲ませようとする。
歩夢がどんなに遠慮しても、家政婦はついてくる。
この家政婦、いくらなんでもサービス過剰すぎるだろ。
「ご主人様にご奉仕っ、ご奉仕っ」
「出過ぎた真似はいけないんじゃないのか? 家政婦さん」
「マリア、しょんぼり」
しょんぼりしてる顔が、頭がおかしくなりそうなほどかわいい~っ。
歩夢が一人で寝床に入ると、閉じた引き戸がゆっくりと開いていった。
「失礼いたします、ご主人様」
「ん? うわっ」
とっさに体を丸めた歩夢に、ネグリジェ姿のマリアが迫る。
メイド服を半分脱ぐと、寝間着のようになるらしい。
「エロかわいい」から「かわいいけどすごくエロい」へバージョンアップだ。
「この体を好きにしてくださいませ、ご主人様」
「だから、そういうことはしなくていいって言ってんだろっ」
「前からでも後ろからでも途中で回転しても、なんでも構いませんわ」
「ええっと、どれにしようかな……って違う違う。俺は今そんな気分じゃ……いやそんな気分だけど……今日は寝るっ、疲れたから寝るっ」
「お疲れのようなら、手で致しますか? それともお口で致しましょうか?」
マリアが口を半開きにしながら迫ってくる。
その色気は、もはや暴力だ。
「お前なんて顔してんだーっ。そんな顔するなーっ」
「マリア、ご主人様のお役に立ちたいの。どんな恥ずかしいことでもしてさしあげますわ」
「なにもしてくれなくていいからっ。俺のことは放っといてくれっ」
「ご主人様はわたしのことが嫌い。マリア、覚えなきゃいけない?」
「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないんだよ」
「訂正。ご主人様はわたしのことがかわいくない。マリア、覚えたくないなー」
かわいいよ。チョーかわいいよ。
むしろかわいすぎるから困ってるんだよっ。
「だからそういうことじゃないんだって」
「ではどういうことですの? ご主人様」
「お前は……お前は俺にとって、ペットみたいなもんなんだっ」
「マリアが、ご主人様のペット?」
「そうだ、お前はただのペットだ。人間がペットに、手を出したりするかよっ」
マリアが悲し気な表情のままフリーズする。
いたたまれなくなった歩夢は、布団をかぶって歯を食いしばる。
これでいい、これでいいんだ。
一歩でも前に進んだら、急な坂を転げ落ちてしまうから。