冤罪
――良かった……
あの悪夢の『予知夢』視た事件は起こらなかった。終始、とまではいかなくても側にいられる時間はエルミナといた。エルミナにも外を出歩く際には、絶対に建物側を歩かないでお願いしていたのも幸いし、窓から落とされた植木鉢が頭を直撃する事もなかった。
でも、油断ならない。
今日は起こらなくても何時起こるか。引き続き、気を引き締めなくては。
今日は2人で帰宅した。私の様子が変だとエルミナは気にするが予知能力をあると知られるのは駄目。適当に誤魔化すも疑惑の目は逸らしてくれない。困ったように笑うと漸くエルミナも諦めてくれた。
屋敷に入り、部屋に戻って制服から普段着に着替えた。
夕食までどうしようか考える前に扉をノックされた。返事をして入ってもらうと相手はお義母様だった。
「お帰りなさいフィオーレ」
「ただいま戻りました」
「帰ったばかりでこんな話を聞くのは嫌だと思うのだけれど……」
お義母様が切り出したのは毎年春の季節にカンデラリア公爵家にて開催される親族会。毎年エーデルシュタイン伯爵家も参加している。義祖母様やトロントおじ様に毛嫌いされている私だが、カンデラリア公爵様や義祖父様、他の方には良くして頂いており、何かあればお父様やお義母様が守ってくれるので苦手ではあるが参加したくないとは思えない。
もうそろそろあるとは覚悟していたけれど、このタイミングなのが少しだけ不安だ。
「大丈夫ですよお義母様。不参加にしてほしいとは言いません」
「私の方から、お母様やトロントは参加させないでほしいとは言ってみるけど、前日でも当日でも嫌になったらすぐに言いなさいね。無理に行く必要はないのだから」
親族会と言えど、他家の貴族が集まる場。個人的理由で参加をしないとなるとどんな噂が立つか分からないお義母様じゃない。それでも私の意思を尊重してくれるのは、お父様辺りに何か言われたからかしら。
「私は本当に大丈夫ですよ。お父様が何か言っていたのですか?」
「いいえ。これは私の独断よ。旦那様だって、フィオーレが行きたくないと言えば、無理にあなたを連れ出す真似は絶対にしない。これだけは分かってちょうだい」
「お父様やお義母様は心配し過ぎです。毎年、何もなく終わるのですから」
「そうね、そうであってほしいわ」
どうやら別の心配があるようで。訊ねても言葉を濁らされるだけ。
すると――
「そうだわ。今年は同伴者を連れて来てもいいことになったの」
「同伴者をですか?」
「ええ。後でエルミナにも話すけど、もし連れて来たい方がいたら遠慮なく言ってね」
そう話すとお義母様は部屋を出て行かれた。
同伴者……か。多くありそうなのは婚約者か友人のどちらかだろう。
思い当たる人といえばアウテリート様。明日誘ってみよう。
次の日、朝の学院で初めに会ったのはアクアリーナ様だった。海を思わせる青い髪をハーフアップにしたアクアリーナ様は教室に入りたい私を通せんぼしている。他の生徒が入れなくなると困っていると口を開かれた。
「グランレオド様は一緒じゃないのかしら?」
「大体は教室に入って会います」
「そ、そう。……フィオーレ様にお話があるの。付いて来て下さる?」
「はい……」
一体どうしたのだろう。何度か嫌味を言われたりするが連れ出されたことはない。呼び出しを受けたこともない。訝しげに思いつつもアクアリーナ様の後を追った。
到着したのは屋上。朝の冷たい風を浴びつつ、言葉を待っていると私に振り向いたアクアリーナ様は近い内に開かれるカンデラリア公爵家の親族会について話を始めた。
「エーデルシュタイン伯爵家も参加するのよね?」
「はい。例年通りに」
「今回は、同伴者を1人連れて来て良いことになったの」
「存じております」
「フィオーレ様は、誰をお連れに?」
何故アクアリーナ様が気にするのだろう。親族会でアクアリーナ様と何度か顔を合わせるがお互い挨拶をするだけで終わる。私が誰を連れて来ようが彼女には関係のない領域だ。この場を誤魔化して当日に誰かを連れて来たら色々と突っ掛かれそうなので正直にアウテリート様の名前を出した。端正な顔を歪ませ、やっぱりと呟かれ首を傾げた。
「やっぱりとは? 私が同伴をお願いするとしたら、アウテリート様以外いませんが……」
「そうね……あなたならそうよね。…………王太子殿下もなんでこっちに…………」
「?」
顔を逸らし小声で何かを呟くアクアリーナ様。声を掛けるべきかと悩んでいると再び視線が合った。
「参加する気ではいるのね?」
「当日、余程のことがない限りは……」
「そう。絶対よ? 絶対参加しなさいよ?」
「あ、あの、何故アクア様が気になさるのですか?」
「ど、どうしてもよ。別に……いえ何でもないわ。連れて来て悪かったわねっ」
早口で捲し立てられ言い返せず、早足で屋上を出て行ったアクアリーナ様を呆然と見送った。結局何だったのか。私が参加すると困る何かがあるとか? 何も思い付かない。何だったのだろうと思いながら屋上を出た。階段を降り、教室に向かおうと廊下に出ると――窓際に誰かがいた。その人は身を乗り出すように下を覗き込んだ後、急いでその場から走り去って行った。
落とし物でもしたのかしら?
太陽の光が眩しい上に距離が遠くて誰かは分からなかった。スカートを穿いているから女子生徒しか言えない。気になり、私も同じ窓から下を覗き込むように近付いた時だ。
慌ただしい足音が複数短い時間で近付いてきた。何事かと振り向いた時だった。
「――あの女だっ!!」
最初に現れたのはガルロ殿。髪を乱し、息も荒いガルロ殿は次に現れた男子生徒に私を指差したまま「犯人はあの女だ!!」と叫んだ。
犯人? どういう事?
気になって下を覗いた。
そこには――――
「…………エルミナ…………?」
昨日視た最悪の部類に入る『予知夢』で見えた光景と同じだ。蹲って動けなくなっているエルミナがいて、側にはリアン様がいて。……唯一違うのは私が見ている光景。
『予知夢』の時は、私が見ていたのはエルミナの頭に植木鉢が直撃する場面。今は上から見下ろしている。
どうして……? エルミナには建物側は歩かないでとお願いしていたのに……。
エルミナが怪我をした、微かにだが頭を抑えているエルミナの手には血が付着している。
呆然と見ていると突然髪に強い痛みが走った。
「きゃっ!!」
「この外道女!! 自分よりエルミナが優れているからって殺そうとするのかよ!!」
「ち、ちがっ、私は何もしてない!」
「嘘を吐くな! 植木鉢は此処から落とされたんだ! 何故タイミングよくいるんだ!」
知らない男性生徒にまでガルロ殿に掴まれている方向とは別で髪を引っ張られた。力加減を知らないから痛くて仕方ない。怖くて、痛くて、声が震える。私がしていない事だけは証明しないと『予知夢』通りになってしまう。
「本当に知りません! 屋上から降りたら、先に誰かがいて、っっ!!」
「見え透いた嘘を吐くな! 此処にはお前以外いなかったんだ! やっぱりこの間リグレット様が泣いていたのはお前がやったんだろう!!? 王太子殿下は騙せても俺達は騙せないぞ!!」
「きゃあ!!」
頭皮ごと持っていかれると恐怖する程の強い力で髪を引っ張られ、体を引き摺られていく。抵抗しようにも男2人がかりで全く歯が立たない。更にまだ2人別の男子生徒がいて。彼等は抵抗する私の腕を強引に掴んで同じ方向に引っ張っていく。こちらも手加減無用に掴むから痛い。
こんな事になるのは、私がリアン様を諦められないから? 好きな気持ちを捨てられないから?
エルミナと結ばれて幸せになってほしいと願いながら、ほんの少しでも側にいたいと願ってしまったから?
どれだけ違うと否定しても彼等の足は止まらない。否定すればするだけ髪や腕を引っ張る力が強まるだけだった。
私が無理矢理連れて来られたのは生徒指導室。校則を破った生徒が入れられ、指導の先生の監視の下、反省文を書かされる。合格を貰えたら出られるが不合格を貰うと合格を貰えるまで書かされる。生徒指導の先生は特に厳しいと有名で1度で合格を貰えた生徒はいないと聞く。入学してすぐに噂を聞き、校則を破らないよう、目を付けられないよう気を付けてきた。
扉を開かれ、室内へ放り込まれた。受け身を取れず、無様に床に転がった私をガルロ殿を含めた4人の男子生徒が見下ろす。どれもに怒りがあり、同時に下卑た欲望の灯った目もあった。
くしゃくしゃになった髪を整えるとか、考えはない。逃げようにも恐怖が勝り体が震えてまともに動けない。
「普段は校則を破った生徒がいる時にしか先生はいないからな。助けを求めようとしても無駄だぞ」とガルロ殿は言う。彼の手には引っ張られた際抜けた私の髪の毛がついていた。きっと、もう1人の男子生徒にもついているだろう。
「最低だな、半分しか血が繋がってないからって妹を殺そうとするなんてっ」
「ち、違います、本当に、私はっ」
「ああ!!? 俺達が嘘を言っていると言いたいのか!!」
「っっ!」
大声で怒鳴られると更に怖くなって身が竦み、声が出なくなる。畳みかけるようにガルロ殿が怒鳴り続ける。1人の男子生徒が声が大きいと止めるが興奮した様子のガルロ殿には聞こえてない。
手を伸ばされ、反射的に避けた。
それがいけなかった。
「逃げるな犯罪者!!」
「きゃあっ!!」
前髪を掴まれた挙句、顔を上げられた。掴まれた髪が全て引き千切られそうな力。堪えていた涙が溢れ出して止まらない。
私が何を言っても彼等は信用しない。大声を出して私の声を遮り聞こうともしない。
「何で犯罪者のお前が泣くんだよ! エルミナはな、植木鉢に頭が直撃して大量の血を流して倒れたんだぞ!! お前が落としたんだろう!!」
「ち……ちが……っ」
「じゃあ何でタイミングよくあそこにいたんだよ!! 犯人じゃなきゃ、あんな場所にいるかよっ!!」
「おいガルロ、いい加減声を小さくしろ。お前の馬鹿デカイ声のせいでバレたらどうするんだよ」
朝教室に入ろうとしたら入り口をアクアリーナ様に塞がれ、話があるからと付いて行った先が屋上だった。話が終わると早々に立ち去ったアクアリーナ様の後に屋上を出て階段を降りた先で、誰かが窓から身を乗り出して下を見ていて、その人が去って行って落とし物をしたのかと気になって窓に近付いただけ。
そう言えば全て収まる。……彼等以外の人だったならば。
「うるせえ!! この女が王太子殿下やロードクロサイト様を卑怯な手を使って味方にしたせいで俺は母親からうざい説教を食らったんだ。父上やお祖母様は俺がイースター家の跡取りだと認めていたのに、跡取りの座を弟に移すだと? ふざけやがって、全部この女のせいだ!! たかが伯爵令嬢如きのせいで……カンデラリア公爵家の血を引くエルミナより身分が低いくせにこの女が……!!!」
「君って見た目と同じで馬鹿っぽいね〜」
「そうだ馬鹿な見た目…………は!!?」
雰囲気に似合わないのんびりとした知らない誰かの声。潤む視界できちんと姿を捉えられない。瞬きをして涙を零した。大粒の涙が沢山流れた。はっきりと見える視界に入り込んだのは、大教会で見る時と同じで違うオーリー様だった。
紫がかった銀髪も瑠璃色の瞳も変わらないのに何が違うのか、すぐに知れた。纏う雰囲気が違う。穏やかな相貌とは異なり、感じる気配は威圧に溢れ息苦しい。
ガルロ殿達の顔は急激に青くなっていく。自分達がしている事が暴力だと自覚はあったみたいだ。オーリー様は普段と変わらない微笑を浮かべたまま、硬直したガルロ殿の手を掴んだ。その腕は私の前髪を掴んでいる手。
「少々やんちゃが過ぎるよ、ガルロ=イースター君」
名前を紡いだ直後――嫌な音が響いた。前髪を掴んでいた手は力が抜けたように開き、私は体勢を崩して前のめりに倒れた。続いてガルロ殿の絶叫が室内に轟いた。床に膝をついて私を起こしてくれたオーリー様が乱れた前髪を手で整えていく。
「怖い思いをしたね。怪我はないかい?」
「はい……、あの、オーリー様はどうして此処に……」
「この間、フィオーレちゃんと放課後の食堂でお茶をしたでしょう? お茶の味が忘れられなくて校長に無理を言って生徒のいない時間ならって許可を貰ったんだ。早く着いちゃって校内を歩いていたら馬鹿デカい彼の声を聞いてね。何事かと思って駆け付けたんだ」
仲間の1人が止めるのも無理はなかった。耳元で叫ばれたら鼓膜が破れていただろう。
床に蹲り、手首を押さえているガルロ殿に何をしたか訊ねると変わらない微笑のまま、骨を折ったと告げられた。あまりにも普通に言われてしまい反応に困った。
他の3人が逃げ出そうとしたのを視界の端に捉えた。声を上げかけるも「心配いらないよ。人は呼んでる」と教えられた。
すぐに人は来た。
「なんだこれは…………」
「……」
駆け付けたのは王太子殿下、そして……エルミナの側にいたリアン様。
呆然とする王太子殿下の横を通り過ぎたリアン様もショックを隠せないでいた。私の前に膝をつくと苦しげに顔を歪められた。
「フィオーレ嬢……っ、何があった、あいつらに何をされたっ」
「……エルミナの上から植木鉢を落としたと勘違いされて……」
「勘違いなものか!! 僕達は確かに見ました! この女がエルミナ嬢のいる場所に植木鉢を落としたのを!!」
怖くてリアン様が見れない。
もしも、彼等の言葉を信じてしまったら……私は……
「あ……」
急な温もりに驚き、鼻腔を擽った香り。後頭部に手を回されゆっくりと撫でられた。視線だけ上へ向けるとリアン様の青い瞳があった。
「大丈夫だ。あいつらの言葉が嘘なのは分かってる。エルミナ嬢は無事だ。怪我はしていない」
「ほ、本当ですか? 本当にエルミナは無事なのですか……っ?」
「ああ。手に擦り傷を負ってはいるが大した傷じゃない。君が犯人じゃないのは分かる。真犯人はもう捕まってるからな」
「え……」
真犯人は捕まってる? つまり、あの時私が見た人が……
「……フィオーレ嬢」
リアン様が私を呼ぶ。
声色にも、見下ろす瞳にも、嵐の前の静けさを纏った怒りが光っていた。
「教えてくれ。……そこの奴らに、何をされた?」
読んでいただきありがとうございます!