43.リタ、成長をまぶしく思う
屋敷へ戻ってから数日。
リタは、実家で兄から聞いた話をミハイルへ伝えていた。
「第二課程……」
書類を見ていたミハイルが、ふと顔を上げる。
「はい。身分や年齢に関係なく、学び直せる制度だそうです」
「……なるほど」
ミハイルは静かに頷いた。
「王太子殿下らしいな」
どこか呆れたようで、それでいて少し感心しているような声。
「やはり、以前から考えていたのでしょうか」
「あの方は昔から、“優秀な人材を埋もれさせるのは損失だ”と言っていた」
そう言って、小さく息を吐く。
「実現させたのは大したものだ」
その表情は、どこか嬉しそうだった。
リタは少し迷ってから、続ける。
「それで……ローラさんも、その制度を利用して学ぶことになったそうです」
ミハイルの手が止まる。
「……そうか」
「はい。学校へ通って、そのあと王宮でも働く予定だそうで」
「本気なんだな」
静かな声だった。
けれど、そこには確かな感情があった。
安心と。
少しの誇らしさ。
「兄も、とても優秀だと驚いていました」
「ローラは元々賢い」
ミハイルは即答する。
「環境がなかっただけだ」
その言葉に、リタは小さく胸が熱くなる。
――きっと。
ミハイルも、ずっとそう思っていたのだろう。
ローラが、自分を押し込めて生きてきたことを。
だからこそ、今の姿を嬉しく感じている。
「……それで」
リタは少しだけ姿勢を正した。
「わたし、ルークくんのことを少し支えられたらと思っていて」
ミハイルが目を瞬かせる。
「支える?」
「はい。ローラさんが学校へ行ったり、働き始めたりしたら……ルークくんも不安になることがあると思うんです」
ゆっくりと言葉を選びながら続ける。
「使用人さんたちはいますけど、家族みたいに話せる大人が近くにいたら、安心できるかなって」
一瞬、ミハイルは驚いたような顔をした。
――それから。
ふっと、やわらかく目を細める。
「……なるほど」
「もちろん、わたしにできる範囲ですけど」
「いや」
静かに首を振る。
「十分だ」
その声は、とても穏やかだった。
「ルークも喜ぶだろう」
「……そうだと、うれしいです」
少し照れながら答える。
ミハイルはそんなリタを見つめて、ふっと小さく笑った。
「リタが自分から“やりたい”と言うのは珍しいな」
「……っ」
思わず、視線を逸らす。
「そ、そんなこと……」
「いや、本当に」
どこか楽しそうな声。
「だが、いいことだ」
その言葉に、胸がじんわり温かくなる。
気づけば。
あのぎこちなかった空気は、少しずつ薄れていた。
まだ、不安が完全になくなったわけではない。
聞けないこともある。
怖いと思う瞬間もある。
けれど――
(……信じるって、決めたから)
少しずつ。
本当に少しずつ。
リタの中で、揺らぎは落ち着いていった。
******
ある朝。
いつもより早く目が覚めた。
窓の外は、淡い朝焼けに染まっている。
(……少し、外へ行こうかな)
本を片手に中庭へ向かう。
ひんやりとした空気が心地よかった。
――すると。
「あら、リタさん」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、そこにはローラが立っていた。
以前より少しかっちりとした服装。
髪もきちんとまとめられていて、どこか凛として見える。
「ローラさん、おはようございます」
「おはようございます」
ローラは微笑み、軽く手を振った。
「これから学校ですか?」
「はい。そのあと王宮で少し事務仕事も」
「すごい……」
思わず、本音が漏れる。
現代で言えば、学校に通いながらインターンをしているようなものだろう。
しかも、新しい制度の第一期生。
期待も大きいはずだ。
「リタさん」
ローラが、ふっと真剣な顔になる。
「ありがとうございます」
「え?」
突然の言葉に、目を瞬かせる。
「ミハイル様から伺いました。ルークのこと」
「あ……そんな、大したことでは」
「いいえ」
ローラは静かに首を振る。
「そのお気持ちが、とても嬉しかったんです」
「ローラさん……」
「それに」
少し照れたように笑う。
「ラルフ様にも、お世話になっています」
「えっ!?」
思わず声が裏返る。
「兄、ですか?」
「はい」
ローラは楽しそうに頷いた。
「とても厳しい方ですけど……すごく勉強になります」
「……兄らしいですね」
リタは苦笑する。
兄は昔から容赦がない。
仕事となればなおさらだ。
「でも」
ローラは目を輝かせながら続けた。
「働くって、こんなに楽しいんだって初めて知りました」
「……楽しい?」
「はい」
まっすぐな声だった。
「世界って広いんですね」
空を見上げるように呟く。
「今まで、知らないことばかりでした」
その横顔は、とても綺麗だった。
以前のような儚さではない。
自分の足で立とうとしている人の顔だった。
「わたし、自信がなかったんです」
ローラは静かに続ける。
「誰かに頼らないと、生きていけないって思っていました」
「……」
その気持ちは、痛いほどわかる。
リタもずっとそうだった。
特別な才能なんてない。
誇れるものもない。
だから、自分が何をできるのかわからなかった。
「でも、違ったんです」
ローラは微笑む。
「ちゃんと、自分でも歩けるんだって」
その言葉に、リタの胸がじんわり熱くなる。
「本当に、ありがとうございます」
何度も頭を下げるローラ。
「リタさんがいてくれたから、今のわたしがあります」
「そんな……」
リタは慌てて首を振る。
「わたしは何も……」
「いいえ」
ローラはやさしく笑った。
「リタさんは、気づいていないだけです」
そう言って。
彼女は学校へ向かって歩き出す。
その背中は、まっすぐだった。
迷いなく。前だけを見て。
リタは、その後ろ姿を静かに見送った。
(……自分で選ぶ)
その強さを、ローラは教えてくれた。
空を見上げる。
高く、澄んだ朝の空。
眩しい光が広がっていた。
まるで、これから歩き出すローラの未来のようだった。
リタは小さく息を吐く。
自分には、ローラのような才能はないかもしれない。
兄のような頭脳もない。
――けれど。
今までみたいに、ただ流されるだけではいたくない。
少しずつでも。
自分で選んで。
自分で進みたい。
たとえ傷ついたとしても。
この一歩は、きっと未来へ続いている。
そう、思えた。




