災厄の始まりは、甘い綻びから。
この世界には魔法があることを、つい最近まであまり身近には感じてこなかった。
それはその能力を持ち合わせた人間が、ある一定の教育受け、国の定める特定の基準に満たしたものだけが保持を許される特別であり特殊能力だからだ。場合によってははく奪されることもある。
エリーは微量なからその能力を持っていた。レオンもそうだ。
だが、教育を受けるまでその能力は発動できないように、産まれたときから「呪い」をかけられるのだという。
だから、普通の生活のほうが慣れ親しんでいる。魔法だとか、黒魔法だとか言われても、ファンタジーですか?くらいの認識なのだ。
だが、あともう少しで12歳。後4年で義務として教育を受けにいくのだからと、家庭教師たちがちょいちょいと教えてくれるようになっていた。
この世界が前世での小説の中の世界であることに気づいてから、この世界のこういった仕組みを鑑みるに、どうやら「クラスAA」こそが魔法保持者の中から選抜された、国にとって優秀な人材になり得る逸材として教育される者たちであることが分かった。
そして、クラスAA出身者の多くが国からの認可の元、「魔法使い」として名乗れるようになっていることと、その多くが貴族であることからエリートであり由緒正しい血統の人間だけが入ることを許されるのだと、誤認識されるようになった由縁だ。
実際には、魔法能力を身に宿すか否かは、貴族や平民など関係なく、優秀であれば誰でも入るに相応しい権利を持つ。
たまたま教育を受ける機会が多分にあった貴族の子息令嬢の優秀な人材の中から、たまたま魔法能力にも長けた人間がクラスAAへの試験を受ける資格を得る確率が多かっただけで。
最も、あのニュース特集で見る限り、金や権力を使ってクラスAAに選抜されたように見えるエリーからしたら避けて通りたいような道であるのだが・・・。
更に調べた結果。
その資格は国からの指名でもあり、その時点で試験を受けるのは最も重要な義務に値するのだという。
のっぴきならない事情でもない限り、試験に出席しないという道は存在せず、違反行為ということで捕縛、立件され拘置所行きになり、前科がつけば、一家もろともその地位をなくすことになるという、国総出の脅しのような法が存在していることが分かった。
しかも、噂ではその試験会場では特別な魔法が施されていて、「手抜き」なんてしようものなら上記の罰が適応されるという。もちろん、逆に「カンニング」も上記と同じ罰が適用される。
これは…。
これは、私の行動を先に検知した誰かの陰謀ではないだろうかと思わせるほどだ。
ならば、今の段階から手を抜けばいいと決めたところ、我が家庭教師陣の号泣が轟いた。
理由は、私の成績が落ちようものなら給料を9割没収するという違法な宣誓を契約書で交わしているために、そうなったら彼らの生活は困窮の果てに路頭に迷う結果になることが分かった。
それまで事情を知らないエリーが割と品行方正に彼らの教育を受け、成果をあげていたので安心して暮らしていた矢先、急転直下の悲劇を前に泣き崩れたのだ。
お父様、そんな誓約をさせるほど私を信じて下さっていなかったのか。
どの口が言う?という不満が胸を支配する。
やはり、これは陰謀ではないだろうか。
結局私は、いつもどおりきちんと成績を収めるしか道がなくなった。
いくら平穏な人生…いや、生存の道を探したくても、他人の…しかも恩師にあたる人物たちの人生を贄にするわけにいかない。
そんなことに泣かれるまで気づかないなんて、不甲斐ないほどだ。
振り出しに戻った私はあれやこれやと悩みながらも、色々あって、無理が祟ったのか熱が出た。
知恵熱のような症状の、ある意味で原因となった婚約者の家(である城)で看病されること三日目。
この初日を含めた二晩、毎夜のようにあの奇声が響いているのだ。
二日目である昨日は父や母が揃って見舞いに来たが、家に連れ帰ろうと言う素振りも見せず、にこにことレオンに「どうか治るまでよろしくおねがいします。」などと頭を下げる始末。
そんな両親が一瞬顔色を変えたのは、奇声の話しを聞かせたときだ。
ふと不安そうな母が父を見上げ、その視線に応えるように目を合わせると一瞬で元通りの二人に戻ったのだ。
そして彼らはこう言った。
「レオン様の言うことをちゃんと聞いて、お利巧にしてるのだよ。」
「きっと、大丈夫ですからね。」
そりゃ、熱は休んでいればいずれは治るだろう。
ただ解せん。
そんな話しを聞かされたら、普通は連れて帰るだろう。
にも関わらず、レオンが現れたら「よろしく」と言ってさっさと帰って行ったのだ。
彼らは、未来の義理の息子、義理の親のごとく和やかな会話をしていた。
そしてこの日、エリーにとって意外なことが起こった。
ユリアスが見舞いに来たのだ。
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「熱を出されたと聞きました。その他のお加減はいかがですか。」
ぶっきらぼうな物言い。でも、頬が少し赤い。照れているのだろうか。
その様子を見たエリーは微笑んだ。
「ええ、熱のせいで身体が重怠い意外は、平気ですわ。」
城専属使用人が持ち寄った熱い紅茶を、マリーがカップに注ぎ淹れユリアスの前に置いた。
エリーの紅茶には、スライスした林檎と蜂蜜が入っていた。マリーが私の身体を想って入れてくれたのだろう。それを手渡され、一口飲み込むと、紅茶の香りに隠れるように林檎の香りが鼻を抜けていく。
「そうですか。意外と元気そうで何よりです。」
「ご心配頂き、ありがとうございます。ユリアス様。」
エリーが微笑むと、ユリアスが苦虫を潰したような顔になった。
「し、心配なんかしてない!あ、兄上の婚約者だから、体裁のために来ただけだ!」
「でも、同じ城内にいるんですもの。体裁なんてお気になさる必要はなかったのでは?」
とは言いつつも、使用人たちの目もあるのだろう。
家族だけではない、他人の目が入ることによって、そこには一種の緊張が伴うもの。
「それに、うつしてしまったら大変ですわ。王子の身に何かあれば、重大でしょう?」
「僕は第二王子だ。その身に何かあったら大変なのは兄さんのほうだ。僕は、代用品としているだけなんだから。」
冷めたような言葉。
でも、不思議。その言葉を口にして、傷ついているのは、他の誰でもないユリアス自身のように思えた。
「スペアなんて、誰が言いましたの?」
「…別に、誰に言われたわけじゃない。自分でそう思っているだけだ。」
拗ねたような表情に、ぎゅっと引き結ばれた唇。
これ以上、「誰に」を深追いしても、彼を追い込むだけかもしれない。
「少なくともお兄様は、あなたを自分の代用品なんて思っていませんわ。勿論、私も。」
ユリアスは何も答えない。
何かもっと苦しい物を抱えているのかもしれない。
話しを適当に終わらせるために、相槌を打って、頷いて、相手の言葉を肯定するのは何よりも簡単だ。
でも、彼はそうしない。できないだけかもしれないが、そこには彼しか知らない何かがあって、頷かないという意思が働いているのかもしれない。
だが、これ以上話したくないなら席を立つこともできるのに、ユリアスはそこにいる。
「ユリアス様のご両親のお考えは私には分かりません。国を背負う者にしか分からない、思考や判断があるかもしれませんから。でも、これは私の意見としてお聞きくださいね。…誰にも、誰かの代わりなんてできません。求められても、お断りする権利があります。ユリアス様は、ユリアス様であって、たった一人しかいない。他の人たちだって同じ。もし、誰かにそんな言葉を言われても、信じてはいけないと思います。事実ではないのですから。」
ほんの少しの間が開いて、ユリアスが重い口を開いた。
「…母上のことも、……スペアという人間がいるのだ。それなら、僕だってそうだろう?」
なるほど。
彼の母であるリリー様は、前王妃が亡くなった後、側室だった彼女を異例の持ち上げを行い、現王妃となった方。
側室であった時点で、正妻である前王妃様との関係や、周囲の者たちとの軋轢が生じていたのなら、繰り上げとなって王妃となった今も、その亀裂は広がっているのかもしれない。
市井の民の一部にも、僅かに残る偏見の声はエリーの耳にも入っている。
『出自卑しい成り上がり貴族の傀儡王妃』
リリー様の過去は知らない。だが、そう口にするものの多くは年配の人に良く見られた。
それがこの城内にもあるのなら、こんな幼い子の心までも、引き裂いていることなどおかまいもしないのだろう。
それでも、母を想う心が傷ついたのなら、尚更。
心に一つ曲げてはならない芯を持ってほしい。
「…お辛い気持ちは分かります。でも、ユリアス様。そんな話を聞いて、そんな言葉を訊いて、事実だと受け取ること自体が、あなたの母君様が代用品であることを認めたことになります。…ユリアス様、そんな話を聞いて、どう想われたんですの?母君様は前王妃の代用品だと、お認めになるんですの?」
ジッと見据えると、ユリアスはハッとしたような面持ちで身体を強張らせた。
「ぼ、僕が…母上のことを?」
戸惑うように俯くユリアスの様子を見て、ちくりと胸が痛む。
ストレート過ぎる物言いだったかもしれない。
「代用品だと言ったその人がどこのどなたなのか存じませんが、『立場』のことを仰るなら、その方の代わりだって沢山いることでしょう。でも、人間としてなら、代わりになる人はいません。何故、本来なら他国の姫君を後妻に迎える慣例を無視し、異例にも母君様を正妃としたのか、国王様にしか分からないこともおありなはず。では、一国の王である、あなたの父上は、新しい嫁取りが面倒だからと側室の女性を正妃にしようなどとお考えになるでしょうか?…よくお考えください。その言葉は、遠回りして国王様への侮辱とも受け取れるのです。」
パッと顔を上げたユリアスが、瞳にたくさんの涙を抱えて私を見つめている。
「……僕は、母上をそんな風にっ!父上のことだって…。見るな!僕は泣いてなんかないからな!」
と叫ぶと同時に、ぽたりと涙が落ちた。
悔し気な表情で、涙を乱暴に拭くユリアスを、エリーは微笑ましい気持ちで見つめていた。
薄井幸子35歳の記憶+エリー11歳の記憶を持っている自分でも、時々誰よりも幼くて世間知らずで、他の人から置いてけぼりにされているような気持ちになることがあった。
人付き合い一つとっても、上手くできないからだ。
だが彼は、第二王子として生まれ幼くてして大人の汚い面に揉まれながら完璧を求められ、それでいて結果云々よりも出自の血を貶されて心を痛めている。
悲しくないはずがない。それでも、自分の母を想っての涙なのが分かるから。
「ええ、涙も流さない冷血漢を前に恐れ慄いているところですわ。」
「うるさい!……誰にも言うなよ。絶対に!」
「私に噂をばら撒く友人がいるとでもお思い?」
「自慢するな!……兄上や、その他の人にも絶対にだ!」
そう言いながら、ユリアスはポタポタと流れる涙を乱暴に拭き続けていた。
そのせいか、目の下がどんどん赤く充血している。これは、ヒリヒリと痛くなってくるだろうな。
そしてひとしきり泣いて、涙が止まったころ。
ポツリと言葉を零した。
「…事実ではないと叫ぶより、事実だとしたほうが楽になれるかと思ったんだ。でも、母上はスペアなんかじゃない。父上のお考えは分からないけど、母上は決して代用品になるために父上のそばにいたんじゃない!絶対に、母上はそんなんじゃない!!」
ユリアスの言葉に、エリーは頷いて応えた。
「ええ。ユリアス様だって、そうなのですよ。スペアになるために生まれてきたんではない。ユリアス様の仰る通り、相手の言葉を受け入れて異議を申し立てずその場しのぎで楽になるのは簡単ですわね。でも後で苦しむのは誰でもない自分。」エリーは手元の紅茶を覗き込んだ。残る紅茶に自分の顔がうつる。
熱のせいか、顔が浮腫み、目に覇気はない。そして過る、前世の顔。
前世幸子も同じような節があった。両親の罵倒を受け入れて、自分は彼らの言う通りの愚図でバカで、誰の役にも立たない、誰からも愛されることなどできない、誰からも必要とされない、欠陥品であると信じることで、『両親は事実を教えてくれているんだ。』と、遠回しに自分を守るのだ。
一番、心の拠り所になってほしい人たちから、愛されていない、虐待の対象とされているという事実をねじ伏せることで。
「…惑わされず、ユリアス様はユリアス様の大切なもののために信念を持ちつづけてくださいませ。そうすればきっと、道は拓けますわ。そしていつか、ユリアス様だからこそ大好きだと見つめて下さる方に出逢えます。守りたい人の守り方だって、きっと自分なりの方法を見つけられるますわ。」
「……。」
紅茶から目を離しユリアスを見ると、呆然と私を見ていた。
いつにも増して真剣に話しているのが、そんなに不思議だろうか。
まあ、初めて会った日は猿芝居でからかった悪印象がある私なのだ、不思議ではない。
そんな相手を見舞う心の広さは、さすがとしか言いようがないな。
「…でも、他者の言葉の間違いをも受け入れて、相手を責めることをしないユリアス様は、とてもお強くて、お優しい方ですわ。…でも優しさを利用されないように、守りたいもののために、時には鬼にならなくてはいけない。それがとても…とても…むずか…」
「え、エ…リ」
話しながらエリーは、限界を迎えていた。
みるみるうちに熱が上がり、意識が再び朦朧としてきたのだ。
だから、ユリアスが初めてエリーの名前を呼んだことや、頬を赤くさせて見つめていたことにも気づいていなかった。
そしてこの熱が、エリーとユリアス、そしてレオンにとって大きな困難となるはじまりの合図であることにも、まだ気づいていない。
そしてその日の晩。
眠り続けるエリーの横に、レオンが座っていた。
その時には既に夜更けで、閉じられたカーテンからわずかに月の光が漏れている。
「…ねえ、エリー。聞きたい事があるんだ。…ダンテ・ヴォートのことを、君はどう想っているの?」
静かな声で、でも不安に揺れる声が人払いをした部屋の中に吸い込まれていく。
マリーは交代で看病するために、違うメイドが就くことになっていた。
その子を一時退席させて、レオンが一人看病することにしたのだ。
そして一向に目を開けない婚約者の寝顔を見つめながら、自分の中に急速に広がっていくどす黒い感情にレオンは戸惑っていた。
彼女の行動を探らせていた諜報員の報告では、ハッシュトン侯爵殿下の商売関係である伯爵邸でのパーティーに出席した際、彼女はその伯爵子息の友人で親戚筋にあたるダンテ・ヴォートと出会い、あろうことか腕をとってエスコートされ、あげくには自ら名前を呼び親しみを表わしていたと言う。
彼女の行動を探るなんて、卑怯なことだとは分かっていた。後ろめたさに、罪悪感が過る。
だが、どうしたって。
自分が王子であるからという立場を無視して、比較してしまうのだ。
確かに、最初に壁を作り最低な出逢いにしたのは自分だ。
でも、名前を呼ぶ。それがエリーから自発的に自然になされていることに、嫉妬の感情が渦巻く。
公式に発表されていない婚約だとは言え、他の男の手を取ってあるく姿など想像もしたくない。
自分の中に、これほど強い感情があることにレオンは恐れを抱くほどに困惑していた。
「ユリアス…のことは?はは、そんなわけないか…分かってるけど。」
君は気づいていないのだろうね。
その無自覚が、どれほど恐ろしいことなのか。どれほど危ういことなのか。
いっそ、俺を困られるための小細工だったら、まだいいのに。
ほんの二歳しか違わない弟が、君のことを想い始めている。
幼いせいか、その気持ちがなんなのか理解していないのが幸いしているが、このまま成長されたら厄介だ。
いずれは気づく時がくるだろう。否応なく、彼女に抱く想いの意味を。
ゆらりと立ち上がったレオンは、眠るエリーの顔を覗き込んだ。
「誰にも、…誰にも触らせたくない。」
ゆっくりと顔を近づけ、レオンはエリーの唇に自分のそれを押し当てた。
後腐れなしのための約束なんて、しなければ良かった。
いっそがんじがらめにして、身動きが取れないように、そして自分だけのものに…。
レオンは咄嗟に頭を振って、その考えを振り払う。
そんな勝手なことなど、許されない。
きっとそれでエリーが自分のそばにいることになっても、満足なんてできやしない。
満たされない渇望が、醜く歪んで、彼女を苦しめることになる。
欲しい欲しいと泣く、赤子ではあるまいに。
皮肉気な笑みを浮かべて、レオンはまた一つ、エリーに口づけを落とした。
そして、レオンはエリーの寝乱れた寝巻の衿に手を伸ばし、リボンを結び直そうとした。
リボンを手にすると、布がずれて彼女の胸元が露わになった…――その瞬間。
レオンは、息を止めた。
その『証』を目にしたレオンは、力なく膝から崩れ落ちて。
「エリー…」
否応なく、災厄の始まりを知ったのだ。




