08.過保護の代償
「しょっちゅう一人で街に行ってるの?」
庭園の一角にある噴水の縁にアメリアが腰を下ろしたので、恵里はその正面にしゃがんでアメリアに問いかけた。
「ううん。昨日が初めて」
「なんで誰にも言わずにそんなことしたの?危ないじゃない」
「だって、お父様もお兄様も、私に何もさせてくれないんだもの。アメリアは座っておいでって」
アメリアは頬を膨らませた。大事にされすぎて息が詰まるのか。贅沢なような気もするが、当事者でなければ分からぬ苦悩もあるんだろう。恵里はポケットから昨日の指輪を取り出した。
「この指輪を作ったのは、ジッロっていうんだ。アメリアがちゃんと名乗ればジッロは好きなものを持って行ってくれと言っただろう。でもアメリアが黙って持って行ったからジッロは追いかけた。怖いと思った?」
アメリアは頷いた。彼女の周りにいる人達のように、洗練された物腰ではない。真っ黒に灼けた肌、火傷だらけの太い腕、乱暴に刈り上げた髪型に質素な服、野蛮な物言い。白い額に落ちかかる柔らかそうな金髪を上品にかき上げ、仕立の良いジャケットをスラリと着こなす彼女の兄たちとは対極にあるのだから当然だろう。
「大事なものを盗まれたと思って、ジッロは怒った。だけど本当はいい奴だ。じゃあ私はどう?怖い?」
「ううん。優しそうだよ」
「でも、私がとんでもない悪人だったらどうする?アメリアを攫って身代金を要求しようと思ってるかもしれない。アメリアは可愛いから色宿に売ろうと思ってるかもしれない。人は見かけによらないもの。誰にも言わずに一人で街に行くのは、危険なことなんだよ」
悪意などこれまで触れたこともないだろうアメリアは、恐ろしい物を見るような目付きで恵里を見、弱々しく頷く。箱の奥に仕舞われすぎて十三にもなるのにそういう事にさえ思い至らないのだ。言動の端々に見える幼さは、周りが何もかも与えてしまって、アメリアに考えるということをさせなかった結果なのかもしれない。
「昨日のことはお兄さんたちには内緒にしておいてあげる。もうしないと約束するならね」
アメリアは目に涙をいっぱい溜め、恵里をじっと見つめてしっかり頷いた。
「約束だよ」
恵里はジッロの指輪を取り出して、アメリアの中指につけてやった。細く白い指に繊細な細工がよく映える。アメリアは戸惑うように恵里と中指を見比べた。
「大丈夫だよ、ちゃんと買ってきたから。私からのプレゼント」
恵里がそう言うとホッと息をつく。
「本当にお兄様たちには内緒よ」
恵里が分かってると言ったのと、何が内緒なんだと後ろから声をかけられたのはほとんど同時だった。恵里が振り向くと、完璧な微笑かつ目の笑っていない、端正な顔立ちの青年が立っていた。
「フェーデレお兄様」
魔女から事前に聞き出していたので、フェーデレがサルヴォ伯爵の次男で二十六歳だというのは知っている。長男のロベルトは妻帯者で三十歳。ちなみに恵里はフェーデレと同い年だ。
「もう一度名前を訊こうか、君」
参戦してきたのは、こちらも美丈夫の青年。つややかな金髪を後ろに流し、瀟洒なデザインのジャケットを羽織っている。不安そうに恵里を見上げるアメリアはフェーデレに連れて行かれてしまった。
「仁野田恵里です、サー?」
「ロベルト・サルヴォだ。さてニーノ・ダエリ。お前は何者だ?なぜアメリアのことを知っている」
ジッロの杞憂が頭をよぎる。いや、杞憂とは思うのだけど。ロベルトの表情はあまりにも冷たい。
「私はここへ来て間もないので身分を証明するのは難しいのですが、今は魔女アーデルの所にお世話になっています」
「アーデル…?」
驚いた表情で呟き、ロベルトは「話は中で聞こう」と恵里を屋敷内へと案内した。
調度品の良し悪しなど恵里には判別つかないが、見るからに豪華そうな室内に通された恵里はその真中にひとつだけ置かれた椅子に座るよう促された。まるで尋問さながらにアメリアの二人の兄が仁王立ちで恵里を睨みつける。
「詳しい話を訊こうか、ニーノ・ダエリ」
「生まれは」
「ここよりずっと遠いところです」
「なぜこの地へ、我がサルヴォ家の領土へ来た」
次男フェーデレが次々に質問を投げつける。恵里はなるべくゆっくりとはっきりと、落ち着いて見えるように返事をした。曖昧な返事やオドオドした態度は不信感を生む。
「魔女アーデルに手違いで呼ばれまして」
「アーデルがなぜお前を呼ぶんだ」
「手違いとしか聞いておりませんが、残念ながら戻す魔法もないそうで」
魔女アーデルは本当に有名人らしい、と恵里は少し驚いていた。アーデルの名を出した途端扱いが変わった。
「さて、では本題に入ろうか」
今まで口を閉ざしじっと恵里の様子を観察していた長男、ロベルトが組んでいた腕をゆっくりとほどき、手を腰に当てて恵里を見据えた。真打登場。大ボスともいうかな。
「君自身のことは後ほど魔女アーデルに確認させてもらおう。それよりもどうやってアメリアと知り合ったのかの方が問題だ」
大事に仕舞って護っていたはずのものが許可なく外部と接触していたということだから、それは確かに問題だ。恵里もその点については同意見だった。接点があったのがジッロや自分で良かったと思うほど、アメリアの危機意識は薄い。けれどもそれは彼女の自由意志を尊重しなかった結果だ。過保護の弊害なのだ。護られることに慣れた彼女は自分が負う危険性に気付けない。だからああいう無謀なことをする。
「昨日彼女が一日、どこで何をしていたか分かる方はおられますか?」
フェーデレが答える。
「だいたい僕らが一緒だし、それ以外はメイドのエレナが付いているはずだ」
「ではそのエレナを呼んでいただけますか?」
呼ばれて来たエレナは歳は十六、七と言ったところか、赤毛をおさげに結っていて頬のそばかすが愛らしい。素朴な田舎の娘という感じで、歳の近いアメリアには振り回されて苦労しているだろうなと察しはつく。
「エレナに尋ねます。昨日はずっとアメリアと一緒にいましたか?」
「はい、」
と頷きかけて、エレナははっと顔を上げた。
「あの、いいえ」
「彼女を一人にした時間があったのですね?」
「えっと、その、…」
二人の兄の睨みつけるような視線に晒されてエレナは身体を縮こまらせた。
「あなたは職務を放棄したのではなくて譲歩しただけのはず。何があったんです?」
恵里の助け舟に、エレナは縋るような表情で恵里を見遣る。促すと、ポツポツと話し始めた。
「昨日はお昼にサンドイッチを作ってもらって、お庭で頂こうということになったんです。アメリア様は自分の秘密の庭で食べるから、私には立ち入るなと仰って。ですから私はお庭の戸の外で待っておりました。お庭には出口は他にないですし」
ということはその秘密の庭とやらに外への通路があるのだろう。
「アメリアが庭から出て来るまでの時間は?」
「一時間ほどだったと思います。なぜだかとてもご機嫌を損ねていらっしゃるご様子で、私に下がるよう仰ってお部屋にこもってしまわれました」
「エレナに落ち度がないことは皆さんお分かりでしょう。そして私もこのお屋敷に忍び込んだなどということはありません。アメリアと約束しましたから皆までは言いませんが、概ねご想像の通りだろうと思います」
長兄ロベルトは眉間に皺を寄せ、ちらりと窓の外に目を遣った。アメリアのために用意した秘密の庭に隠し通路があるとはつゆとも知らなかったとみえる。
「今回のことは、過保護ゆえの歪みのように見えますね、私には」
そしてここから先は、お手討ち覚悟だ。彼らを全否定するわけだから。
「アメリアはとても十三とは思えないほど考えが幼い」
「何だと…っ」
声を荒げ恵里に掴みかかろうとするフェーデレを制し、ロベルトは続きを促す。
「自分の無力さを知らず、自分の価値も知らない。出会ったのが私で良かったとはお思いになりませんか?」
そう。空白の一時間。もしアメリアがサルヴォ家に仇なす者に出くわしていたとしたら。あるいは、女に乱暴を働く無法者に狙われていたとしたら。
「だからと言って、アメリアを今まで以上に束縛するのは逆効果でしょう。もう少し遠くから見守ってあげたほうが良いのではないかと思いますね。自分で考える前に与えられてしまうのでは、いつまでも成長などできませんよ」
ロベルトはむうと唸った。思い当たる節があるのだろう。貴族の娘が十三にもなれば社交の場に出る機会もあるだろう。アメリアを表に出すのは色々な意味で不安であるに違いない。
「色々と出すぎたことを申しました。どうかご容赦を。誤解もとけたと思いますので、私はこれで失礼いたします」
恵里は立ち上がって頭を下げた。兄弟は苦虫を噛み潰したような顔で恵里を睨みつけていたが、部屋の扉はあっさりと開けられた。