07.領主の娘
魔女アーデルに借りた銀貨を返すと、「稼ぎはどうだったね」と訊く。
「洗濯の代行屋をやってまあまあだったよ。そうだなー、修道院とか兵舎から請負ったら良さそう。もっと大きい樽で一度にすれば…」
商魂たくましい恵里であった。
「そうそう、貴族の娘にアメリアっている?歳は十三、四ってとこかな」
「領主のサルヴォ伯爵の末娘がアメリアって名だね。歳は十三。伯爵夫人はアメリアを産んですぐに亡くなってねえ。十も歳の離れた兄二人と伯爵が三人がかりで猫っかわいがりさ」
なるほど、いかにもわがまま放題に育ってきたという感じだ。父や兄たちには甘やかされ、使用人にはかしずかれ、それで謙虚になれという方が無理な話ではある。
「ところで、時々街に行きたいんだけどいい?」
「ここの仕事を済ませてからなら好きにおし。行き方は分かるだろう?」
恵里はうなずく。西に見える山の峰をまっすぐ目指し、ひとつ丘を越えれば街が見える。メーターがないから正確な所は分からないが、おそらく三〇キロというところだろう。
恵里が魔女から与えられた日々の仕事というのは掃除洗濯、裏庭にある畑の世話、薬草の管理だった。管理と言っても、天日干しするものは日向に、日陰干しするものは北側の風通しの良い場所に。乾燥が終わったものは効能の種類や薬効の強さによって選り分けて紙袋に入れ、瓶にしまう。恵里に任されたのはその程度のことで、薬の調合は魔女の重要な仕事だった。見ているうちに恵里も薬草の組み合わせは覚えたが、微妙な調合の加減はプロの領域だ。生死に関わる場合もあるのだから、手出しは無用である。これらの仕事を早起きしてさっさと済ませてしまえば、後は一日フリーだ。恵里は午前六時の朝の鐘が鳴るまでにあらかたを終わらせていた。
街は昨日よりもずっと賑やかだった。広場には人々が溢れ、笑い声があちこちで弾ける。聞けば、領主サルヴォ伯爵邸の庭園を解放する祭りの日なのだという。賑やかさを好み領民との交流を大切にしたロレント開町の祖ラニエロ・サルヴォ卿が始めた祭りで、今にいたるまでずっと受け継がれてきたのだとか。それはまた愉快な時に来たものだ。恵里はさっそくサルヴォ邸へ向かうことにした。
美しく手入れされた芝生や木々は初夏の日差しに柔らかな緑を輝かせ、庭園の奥に佇むラニエロ・サルヴォ卿の彫像は色とりどりの花やリボンに彩られ実に楽しげだ。そこここにテーブルが置かれ、なんとも美味しそうなフィンガーフードにワインやシャンパンが並んでいる。自由に飲み食いして良いというのなら、サルヴォ伯はなんと太っ腹な人なのだろうか。恵里はとりあえずラニエロ・サルヴォ卿の像にご挨拶に行き、それから日本ではあまり見ることのない西洋庭園をゆっくり散策することにした。
「ニーノ、ニーノ、おいっ」
恵里の背丈の倍ほどある垣根に差し掛かったとき、恵里は急に腕を引っ張られた。鍛冶師のジッロが青い顔をして恵里の腕を掴んでいる。
「や、ジッロ。お祭り楽しんでる?」
「楽しめるわけないだろ!お前あの方がアメリア様って知ってたのか!?」
いくら世相に疎いジッロとて領主の子女の名くらいは知っている。そして彼女が領主である父や兄たちから猫可愛がりされているということも。けれども顔は知らなかったし、よもや一人で街に出て来ようなどとは思いもしない。知っていればあんな乱暴などするわけがなく、そもそも安物の指輪なぞいくらでも差し上げたのだ。
「あああ、もうおしまいだ、俺は縛り首になるんだ」
頭を抱え大げさに嘆くジッロに、まさかそんなと恵里は思った。ここが日本のような法治国家でないのは百も承知だが、そこまでの横暴がまかり通るとも思えない。
「いくらなんでもお手打ってことはないでしょうよ」
「お前は助けた方だからいいだろうけどよ!」
「いや、泥棒呼ばわりして謝罪させようとして怒らせた」
ジッロは目を丸くして恵里を見つめ、それから項垂れた。
「ニーノ、お前も死ぬんだな…」
「何言ってんの。死なないよ」
恵里は呆れて魂の抜け出たようなジッロを眺めた。これからアメリアのところへ行くつもりだった。そのためにジッロから買った指輪を持ってきている。
「じゃあジッロ、また後で」
「どこへ行くんだ?」
「アメリアんとこ」
「えっ!?バカかお前何考えて…!」
ジッロの取り乱し様はいっそ面白い。鍛冶師という体力のいる仕事で培った屈強な体躯、男ばかりの仕事場で染み付いた粗野な言葉遣いのそんな男が慌てふためく様はなんともコミカルだ。恵里は笑いながらひらひらと手を振った。
領主サルヴォ伯爵の末っ子長女アメリアは、可愛らしく着飾っておそらくは兄であろう青年たちと談笑している。恵里が近づくと、アメリアは「あっ」という顔をした。
「アメリア様、ご機嫌麗しく」
「うん…」
今までキラキラとした笑顔を振りまいていたアメリアの表情が曇る。兄たちはその様子を訝しんで、恵里に誰何した。
「新野田恵里といいます。昨日、アメリア様に…」
言いかけた言葉を遮り、アメリアは恵里の手を取って駆け出した。もしかすると一人で外出していたことを兄たちは知らないのかもしれない。
「アメリア!」
追いかけてきた青年に、アメリアは「来ないで!」と声を荒げる。青年は戸惑うように立ち止まった。
「この人と話があるんだから。お兄様は来ないで頂戴」
「誰なんだよそいつは。どこで知り合ったんだ?おい、アメリア、アメリア!」
兄の呼びかけに応えようとせず、アメリアは恵里の手を引っ張ってずんずん歩いて行く。恵里は青年とアメリアとを交互に見たが、結局黙ってアメリアについて行った。




