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高く翔べ、ニーノ! 〜恵里の異世界奮闘記〜  作者: 羽牟
第二章 異世界の住人
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31.招待剣士の正体



 一目見て、到底敵わないと悟った。

 フェーデレとの試合の翌日、剣技大会第二戦の恵里の対戦相手である。隆々と鍛え上げられた筋肉。単に肉体を鎧うのではなく、しなやかに伸びる。穏やかな微笑は余裕を感じさせるが、その眼光は油断無く鋭い。短く刈り上げた黒茶の髪と同じ色の口ひげを蓄え、歳は五十代後半というところだろうか。司会者の言によれば彼は流浪の剣士、ボルド。出身はニールバーだが、若かりし頃に平和を倦んで国を飛び出し、戦を求めて各地をさすらったのだという。年を経て故郷へ戻ったのも気まぐれ、ふと思いついて剣技大会に出場したのも気まぐれ。そうしていま恵里の前に立っている。

「もはや血はたぎっておらぬ。ただただ愉快を求めあてどなく彷徨う老兵よ。さても諸処を歩いて来たがお主のようなおなごは初めて見るのう」

呟くようなボルドの言葉には親しみや暖かさがある。懐の深さを思わせる口調だった。

「新野田恵里と申します。胸をお借りします、ボルド殿」

一礼し、恵里は剣を構えた。ボルドは剣先を地面について何気なく立っている、ように見えるがまるで隙がない。迂闊に斬り込めば返り討ちに合うのは容易に想像がつく。ならば。思い切り右足を踏み出し、片手での突き。剣速と威力は魔法で強化する。想像よりも、重いはずだ。

「うむッ!」

ボルドは避けつつ、剣を跳ね上げる。読んでいた。左手を柄に、下方へ振る。ガンッ!金属音。ビリビリと手が痺れる。中段。ボルドの右足が動く。右腕、剣を絡め取る気だ。身体を沈ませ、剣を返す。柄での打撃。躱される。左足を踏み込む。引っ張るように薙ぐ。跳ね除けられ、上段。避けず、受ける。鍔迫り合い。ぐいと押され、逆らわずに退く。回り込んで横から胴を狙う。片手で払われる。後ろへ跳んだ。

「面白い剣を使うのう。魔法か」

「はい」

「まだ不慣れのようだが、練れば攻守に無限の手がある。変幻自在の剣になろうぞ。では、今度はこちらから参ろう」

 剣を肩に担ぐような形から振り下ろされる、返してからの攻撃は突きか。堪えて右へ回る、が読まれていた。突き出された剣先が首筋を掠める。詰めていた息を吐き、踏み込む。手応え、は剣。間髪入れずに突き。押し返されたところに更に踏み込む。上段からの剣をくぐり、脇から跳ね上げる。僅かな動きで躱して横からの剣。避けられない、剣身に手を添えて何とか受ける。左足が少し下がる。上からか。

 頭の中は興奮しきって痺れている。一方で妙に冷え冷えと冴え渡り研ぎ澄まされた感覚。心地のよいワインディングを駆ける時を思い出させた。一歩間違えば大怪我をするだろうと理解しながら、攻める。コーナーの深さと路面の状況からラインを探り、バンクし、スロットルを開けて次のコーナーへ加速する。法定速度をゆうに超えるスピードで、そのスリルを楽しんだことなどなかった。スリルを求めて無茶をするのは馬鹿だとすら思う。いつも心の底には恐怖があった。けれど、思い通りに走れた時の悦びは何物にも替え難い。ストイックに、ただ一心に、それだけを求めて峠を駆けるのだ。

 そういう愉悦に近い何かが、ボルドとの攻防の中にはあった。次の一手。読む。読まれる。読まれることを読む。剣を合わせる。間合いを取る。受ける。流す。足捌き。呼吸。目線。冴え冴えとした視界にそれらは意味を持って映る。彼が自分のレベルに合わせてくれていることは分かっていた。すべての動作に一呼吸の余裕がある。そうして一太刀ごとにより高いところへと導かれるのだ。ああ、と恵里は思う。何という恍惚!

 恵里の放った渾身の一撃を剣で受け、「良し」とボルドは言った。

「実に良し。これからも励まれよ」

気がつけば、眼前に剣先がある。見えなかった。

「あなたと試合が出来たことを光栄に思います。ご指導ありがとうございました」

 恵里は地面に剣を置いて頭を下げた。試合時間は一〇分にも満たないだろう。だがずいぶんと長いあいだ剣を合わせていたような気がする。濃くて質の高いひとときだった。

「勝者、ボルド!」

審判の高らかな声がシンと静まり返る闘技場に響き、割れんばかりの拍手と歓声が観客席から沸き起こった。恵里が握手を求めれば返してくれたボルドのその手は、ごつごつと硬く、けれどもとても温かいものだった。


「見応えあったぞニーノ。あれだけ対応できるとは、正直言って驚いた」

「いやぁ全然、遊んでもらってただけだよ」

 恵里は鶏のもも肉にかじりつきながら、感心するルシアーノに答えた。

「わたくしも手に汗握りました。本当に素晴らしい試合でした」

「リー・ジーの応援届いてたよ、ありがとう」

 第二試合が終わった夕べ、いつもの酒場、いつものメンバーでの慰労会である。フェーデレたちも呼ぼうかと思ったが、試合の後でアメリアの顔を見た途端にまたベソベソしたシスコンに戻ってしまったフェーデレは、家に戻ってもずっと部屋の隅でブツブツ言っていた、とは応援に来てくれたミーズの言である。どうやらまだ立ち直っていないらしい。昨晩は縁戚にあたるセミオンの屋敷で慰労会をしたそうで、サルヴォ伯爵一家は数日オルロに逗留するとのことだったから、大会後にする予定の打ち上げにも来てもらいやすい。皆とゆっくり話すのはその時で良いだろう。

「自分が負けたからって言うわけじゃないけど、他の出場者じゃボルドには敵わないんじゃないかなぁ」

「確かに、ずば抜けている。一挙手一投足、すべてに無駄がない。実戦で磨かれたその技はもはや美しくすらある」

ドゥー・ジーは眼を閉じてどこか心酔したように呟く。瞼の裏にボルドの動きを思い描いているのだろうか。

「明日は第三、第四回戦かぁ。あ、そういえば招待剣士っていうのは?ルカは知ってる?」

大会日程三日目は準々決勝三試合、準決勝二試合が行われる。この準決勝から初めて登場するのが招待剣士だ。トーナメント表ではシークレット扱いになっていて、試合直前まで観客たちには知らされないらしい。

「知っているが、明日の楽しみでいいだろう」

「それって私の知ってる人ってこと?」

「それも含めてお楽しみだ。まあ、飲め」

美少年の酌だ、不味いわけがない。恵里は勧められるまま、木杯になみなみと注がれたエールを飲み干すのだった。


 翌日、大会三日目。試合は午前と午後に分かれている。午前の準々決勝、恵里が完敗したボルドの相手はオルロで剣術道場を開いているという男だったが、子供が稽古をつけられているかの如くまるで相手になっていなかった。

「勝負にならないね、こりゃ」

自分の時も傍目に見ればこんな風だったのかもしれない。実際、打ち込む場所を示されて、その通りに誘導されているという自覚はあった。

「あれでよく剣術指導などできたものだ。お前のほうがまだマシだ」

ルシアーノは忌々しそうに吐き捨て、ボルドに相対する男を睨みつけた。準々決勝でつまらない試合を見せられたことがよほど業腹だったとみえる。剣術使いというのは得てしてそういうものなのだろうか、恵里には分からない。

「でも、ルカとかドゥー・ジーとの対戦は見てみたいなぁ」

恵里の呟きに振り返り、ルシアーノがにやりと笑う。

「…なに?」

と恵里は問うたがルシアーノは答えなかった。しかしその笑みの訳は午後の第四試合、準決勝が始まったときに判明することになる。すなわち、

「さぁーお待ちかね!今大会の招待剣士はーーーペギア伯爵家剣術指南、練達の剣士ドゥー・ジー!」

「えええええ!」

恵里は素っ頓狂な声を上げた。だって、なんで、ドゥー・ジーもルカも一言も言わなかったじゃない!

「黙ってるなんてひどい!」

そういえば、と思い返してみれば招待剣士の話を振られたときのドゥー・ジーの態度は妙だったし、そもそも彼が珍しくもオルロへ来て、しかもトルド家を訪れていたのは招待剣士の打診を受けたためだったのだろう。恵里が己の愚鈍さに歯噛みしているのに対し、ルシアーノはふふんと得意気だ。

「ボルドとは決勝で当たるぞ、楽しみだな」

彼の中ではもはや準決勝は終わったものらしい。恵里もそうなるだろうなとは薄々感じていたが、始まってみればやはり試合はあっけなく決し、決勝に残ったのはもちろんドゥー・ジーとボルドの二人であった。

「明日は、すごい試合になりそう」

決勝戦の日だけでもホットドッグの屋台を出そうかと思っていたが、それどころではなくなった。恵里は剣豪二人の決勝戦に心を踊らせるのだった。

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