20.にわか探偵の姦し情報網
「ねぇメル、奢るからさ、一緒にご飯食べに行かない?それで友達もいっぱい誘ってくれると嬉しいなぁ」
夜の女たちの出勤までにはもう少し間がある午後二時、恵里は偏頭痛持ちの娼婦メルの所を訪れていた。
「アンタいったい何を企んでんのさ?」
突然の妙な誘いに、メルが訝しげな視線を恵里に向ける。恵里は一瞬迷ったが、結局本当のことを打ち明けることにした。
「実は人探しをしてるんだ。肩のあたりに切り傷があって、腕に蛇かトカゲかそういう刺青を入れてる男。近頃金回りが良くなってるはずなんだよね。だから遊び回ってるんじゃないかと」
「そいつ見つけてどうすんの?」
「いろいろと訊きたいことがある」
「へぇ、まあいーよぉ。そんで上手く見つかったら、頭痛の薬草ちょーだい。ニーノの薬ってすごく効くんだぁ」
「メルにはいつでも無料であげるって約束するよ」
「太っ腹だねぇニーノ、やっぱりアンタになら商売抜きで抱かれたげる」
メルの蠱惑的なウインクに恵里は苦笑した。そうしてメルの頬にちゅっと口付ける。
「勿体無いけど、私にはこれで十分。じゃあ、よろしくね」
「あーん、ニーノぉ!」
背を向けた恵里にメルが甘い声で呼びかける。恵里はなんだかくすぐったいような思いがして首をすくめた。
指定した食堂に来たのはメルも含めて九人。ポケットの銀貨の重みが急に心許なく思えて来る恵里だった。
「やあ、みんな来てくれてありがとう。ここは私の奢りだから気にせず食べてね」
恵里が集まったメルの同業者たちにそう言うと、わあっと拍手が沸き起こった。この後そのまま出勤するつもりだったのか、皆だいたい仕事へ行く格好をしている。そんな彼女たちに囲まれると一端の遊び人にでもなったような気分だ。
「ニーノって何してる人?」
と誰かが訊けば、誰かが
「アタシ知ってるよ、角のパン屋さん!メロンパンって知ってる?甘くって美味しいの!」
「知ってる知ってるーあたしもあれ大好きなのー」
「でもクリームパンもいいよねぇ」
「あたしはホットドッグも好きよ」
「ねぇねぇそういえばさぁ…」
とまあ、そんな調子でどんどん収集がつかなくなっていく。女が三人寄れば姦し。九人だから三倍姦しいのである。そこを仕切るのがメルの腕の見せどころだ。
「パンの話は今度ニーノの店でしたらいいでしょお、それよかさぁ、誰か腕に蛇かトカゲの刺青してる男知らない?」
「手首に蛇の模様入れてる奴なら知ってるけど、刺青ってどの辺?」
恵里は上腕を指して説明した。
「濃淡のない黒一色で左腕のこのあたり。服の袖を切った時に見えたらしいから、肩に怪我もしてると思う。これは二日前の話」
恵里と九人の華やかな女たちが囲む円卓は、先程までの喧騒が嘘のようにシンと静まり返った。天井を見上げる赤毛の女、テーブルを睨みつけるブロンド、髪の毛先をくるくると指で弄ぶ巻き毛、それぞれ仕草は違えど皆一様に考え込んでいる。そのうちに一人がポツリと口を開いた。
「蛇でもトカゲでもないけど、」
と自信がなさそうに言う。恵里は「大丈夫だよ、思いついたことは全部教えて」と続きを促した。
「サソリの刺青なら見たことあるなぁ」
サソリ。黒ベタのデフォルメされたものならば、ちらりと見ただけでは蛇やトカゲに見間違えてもおかしくない。
「どんな奴?」
「相手したのは二ヶ月くらい前だったかな、黒い短髪で歳は二十代半ばってとこ。胸に大きな剣とドクロの刺青があったっけ」
「あっ、それなら知ってるよ、昨日来た客。腕に包帯してたから刺青があるかどうかは分かんないけど、ちょっとした金が入ったって」
「他になにか言ってなかった?」
「危ないことしてるんじゃないのって聞いたら、カタギの商人の下で働いてるから大丈夫だって言ってた」
「商人?」
「確か、武器商人」
何といきなりビンゴである。恵里は身を乗り出した。
「そいつに間違いない!もっと詳しく知ってる人いない?」
「剣とドクロの刺青の男って、たち悪いチンピラでしょー。この間潰れちゃった娼館によく取り立てに来てたなー」
「そうそう、いつも二人連れで大声出してさぁ。すっごく嫌な感じだった」
「あの娼館に居た人知ってるけど、あのチンピラ利子代わりって勝手に部屋使ったりしてたって」
「最悪じゃん。家ないわけ?」
「いや、今はスラムの酒場の二階にいるみたい。呼ばれて行ったことあるよ」
九人がそれぞれに語った断片的な情報をつなぎ合わせると、襲撃犯の一人である刺青男は借金の取り立てや荒事を請け負うチンピラで、たいてい二人組で行動しているらしい。奴らのねぐらが西側スラムの酒場の二階ということまで分かってしまうのだから、彼女たちの情報網にはまったく恐れ入る。
「ここまで分かれば十分!皆ありがとう、後は食べて飲んで楽しんでね」
わっと上がる歓声。高いの食べちゃうよ!とかお酒飲んでもいいの?という声に恵里はにこにこと頷いた。皆大変な仕事をしているのに、明るくて強くて素敵な子たちだ。が、決して敵には回すまいと心に誓う恵里なのだった。
その夜、恵里はシチューと焼き立てのパンを持ってジッロのいる工場を訪れた。中から光は漏れているものの、鉄を打つような音は聞こえて来ない。
「ジッロ、差し入れ持って来たよ」
「おっ、ありがてぇ」
炉の中を覗き込んでいたジッロが振り返った。火に赤く灼け煤けた顔。吹き出す汗が鼻の先から滴り落ちる。恵里が魔法でキンキンに冷やした濡れ手拭いを渡すと、ジッロはうひゃあと声を上げた。
「冷てー気持ちー」
顔を拭い、首の後ろを擦り、それから上半身裸になって大胸筋の合間や脇の下まで拭き上げる。隆々と筋肉が盛り上がる逞しい男の身体に恵里はうっとりと見惚れた。
「うーん、いい身体…」
「おう、そうだろう。お前ももっと鍛えろよ!」
ジッロは盛り上がる上腕筋をバチンと叩いて自慢気に笑う。
この豪放磊落さは一緒にいて心地良かった。つまらないことに頭を悩ませて時間を無駄にするのが馬鹿らしくなる。どうせ悩むのなら前向きな悩みにしようと思えてくるのだ。きっとこの調子でがさつに無遠慮に、だが力強い光をルシアーノにも与えたに違いない。深い闇の只中にあった彼を救ったのはおそらくジッロのこの鷹揚さだ。そんなジッロをルシアーノが恋慕うのは当然のことかもしれない。
「仕事はどう?順調?」
「ああ。ここの仲間が手伝ってくれてな、納期には十分間に合いそうだ」
「それは良かった。無理は程々に頑張ってね」
「任せとけ」
ジッロは握りこぶしでドンと胸を叩いた。何もかも上手くいくから安心して待っていろと、そう思わせる自信たっぷりの笑顔。なんと頼もしいことだろう。その様子にホッとして恵里がじゃあと言いかけたとき、ジッロが戸口の方に向かって手を挙げた。
「おう、ルカ」
振り返るとルシアーノと目が合ったので、恵里は横目でちらりとジッロを見た。
”ジッロに襲撃犯のことは言う?”
目線でそう尋ねるとルシアーノは小さく首を振った。
"余計な心配を掛けたくない"
恵里は頷き、今度こそ「じゃあ」と戸口へ向かった。背中に聞こえるルシアーノの声は恵里と話す時と比べてずっと柔らかいものだ。本人は気づいているのだろうか、何だか微笑ましい。…襲撃犯捜索の首尾については明日にしよう。
この国の夜空は地上の明かりに汚されないからいつでも星がよく見えた。冬の澄み冴えた空気ならば尚更。見上げる星空をスイとひとつ流れ星が横切る。恵里はその宝石のような輝きにルシアーノの幸福を願った。




