第102話「忘れていた感覚」
片腕をあげ、ぎゅっと拳を握りしめる。指の隙間や手のひらから溢れる赤い液体が、前腕部へ垂れて覆い尽くす。液体にして個体。どれほど力のない者でも、見るだけでおびえて逃げ出すほどの禍々しい力。
ヴィルヘルミナは、それを千年前に見たことがある。
「朱天金剛躯体……。魔力を固めたものだったか。頑丈な防御手段でもあり、触れれば爆発する攻撃手段にもなる。以前戦ったときは手首までだったな」
「魔力じゃなくて妖力や。しかしよう覚えとるわ。千年、弛まず鍛え続けてもこの程度やが、直撃でもすりゃあ、お前でも死ぬやろ」
ぎゅっと握った拳。踏み出すために身を低く構えて────地を蹴った。
「(速い! 躱しきれないか!)」
判断は即座に。一瞬のミスが命取り。獣人にとっては気心知れた相手でも、いざ本気の戦いとなれば命を奪うことに躊躇はない。今、ここでヴィルヘルミナが一瞬でも油断を抱けば、次の瞬間には全身が粉のように散るのは確実だ。
「偉大なる守護者の盾よ────《ラウンド・オブ・エヴァラック》!」
渦巻いた魔力が円形の盾を造り、赤い十字紋を刻む。圧縮された膨大な魔力の盾が真正面から獅鬼の拳を受け止める。衝撃波は一帯の地面を叩き砕き、大きく揺らす。遠巻きに眺めていた獣人たちも、思わず身を守る姿勢を取った。
ジャックだけが、箸を持ったまま微動だにせず、二人の戦いを見つめた。目に焼き付けた。自分がいつか辿り着こうという場所にいる者たちの姿を。
「……なんで耐えれるねん。バケモンが」
「お互いさまだろう。この盾が割れる寸前まで行くなんて冗談がすぎる」
「せやけど割れてへんねやろ。次はぶち抜いたる」
「そう上手くいくかな。こっちも色々と用意してあるんだ」
割れかかった魔力の盾が輝きを増していき、獅鬼に向かって炸裂する。攻撃されたことによる反射。受けた技の魔力を吸収して放つ反撃の盾。ひび割れたことによって獅鬼から受けた威力をそのままには返せなかったが、砲撃の如き轟音と共に遠くへ吹っ飛び、学院の敷地内にある時計塔に直撃して倒壊させた。
「(この程度でくたばるわけがない。次はどうでる……?)」
獅鬼のことだから真正面から挑んでくる可能性は高いとみて警戒する。しかし、千年経てば戦い方が変わっていてもおかしくない。全方位、どこからきてもいいように集中力を高めていく。
だが、予想だにしていなかった一撃が飛んだ。
「おいおい、冗談キツいな」
倒壊した時計塔。まさに折れた残骸が、まっすぐ飛んできた。ヒュブリスの巨大なものとは違い、低く設計されたものとはいえ、人間の体で受け止めるには十分に大きすぎると言えるだろう。
ヴィルヘルミナは杖を構えて盾を展開する。だが、獅鬼の姿がない。建物は囮だと気付き、追撃がどこから来るか気配を探り、空を見上げた。
「いまさら気付いても遅ぇッ!」
朱天金剛躯体の一撃がヴィルヘルミナに当たった。躱せなかった。防ごうと展開した盾をぶち抜いて、巨人の拳は最強の魔法使いを捉えた。殴った腕は魔力を爆発させて、地面を大きくえぐり、周囲を更地に変える。
倒れたまま動かないヴィルヘルミナを見て、ジャックは心配そうに見つめた。殺されたのではないか。あのヴィルヘルミナが負けたのか。信じられない光景に息を呑み、その名前を呼ぶことすらできないほど驚いた。
「まだ生きとるとはな。何を笑っとる?」
獅鬼がぽつりと呟く。確実に仕留めるつもりで放った一撃は確かに大きなダメージを与えた。それは間違いない。なのに、ヴィルヘルミナはあろうことか頭部の裂傷によって血だらけになった顔で不気味に笑みを浮かべて────。
「ずっと忘れていたよ、この殺し合いの感触を」
獅鬼の背中を剣が貫く。その刀身を蒼くする、宝石を研いで出来たような剣。いつの間に、と考えて即座に思い至る。ヴィルヘルミナが杖を握っていないのだ。
「お前……ッ! まさか、こりゃあ……!」
剣は光り輝き、ぱんっと弾け、ヴィルヘルミナの手の中で杖の形を取り戻す。
「いや、なに。どうせ避けられないのであればと手段を変えたまで」
立ち上がり、とんっ、と地面をけって獅鬼との距離を置く。至近距離で戦闘再開などすれば確実に獅鬼の領域で戦うことになる。態勢を立てなおし、杖をぐるんと回して片手に持って構えた。
「擬態武装。私の手に持ったものをあらゆる武器に擬態させ、使用することができる魔法だ。今回は奇襲に使用させてもらったが」
盾で防げないと分かると、ヴィルヘルミナはあえて打撃を受けることを選んだ。同時に杖は擬態武装を使って剣へと姿を変え、確実に当たる瞬間を狙って獅鬼の油断を正確に突いたのだ。
「朱天金剛躯体は魔法による攻撃は効きにくい。だから、ものは試しだと思って殺傷力にのみ特化した剣に変えてみたんだ。どうやら上手くいったらしいな?」
「くっ……! やるやないか、久しぶりに効いたわ!」
胸からどろっと血が溢れ、押さえる手の隙間から血が漏れた。
「もう千年もの間、退屈しとった。いくら強くなっても届かんお館様に挑むこともやめて、ギラついた戦いから遠ざかった。鍛錬だけがオレの日々やった。────楽しいなあ、アルベル! 殺し合いっちゅうんはよ!」




