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シュテルの話 前編

シュテル視点。前後編です。

 シュテルは戦いの地に生まれたが、その育ち自体は平凡だった。

 なまじ鋼の瞳を持っていたから周囲からの期待は熱かったものの、だからといって特別何かを強制されたわけではない。ギベオール家には戦上手がよく生まれるが、戦力は外部からも補充できるものである。もし鋼の子として武芸に秀でていなくとも、問題はなかったためだ。

 どちらかといえば、必要なのは辺境伯を背負える知を持つ者。貴族社会を程々に生き抜くことができ、魔物との戦いにおいて方針を打ち立てる者こそが特に求められていた。

 二つ上の兄は、そこにぴたりと当てはまった。

 彼には戦いの適性がなかった。全く戦えないわけではないが反射神経が少々鈍く、咄嗟の出来事に弱い。反面頭がよく、物事を俯瞰して見られるので、知略をもってギベオール領全体を回すことには長けるだろうと期待された。

 ひとまず次代は安泰。世継ぎに関しては問題なしと、以下はのびのび育てられた。

 一見冷たいように見えるが根は穏やかな気性の兄は、一人だけ教育を詰め込まれる生活を送りつつも、弟を疎んじたりはしなかった。

 代わりに、とてもズボラで手がかかった。


「のどが渇いた。お茶が飲みたいな。甘いお菓子も食べたい」


 面倒くさがって口ばかりを動かしながら、兄は与えられた課題をこなす。

 それくらいならいいか。勉強が終わっている自分がやってあげよう。そうやってシュテルが動く程度のことを、何度も、何度も、何度も繰り返すから、四歳にしてシュテルは先回りすることを覚えた。


「……? インクが切れた」

「ひきだしに入れといたよ」

「シュテルは気が利くな。このお菓子をやろう」

「おれが持ってきたお菓子だよ」


 兄の憎めないところは、決してシュテルにやらせようとは考えていないところだ。要望をぼんやりと口にはするが、叶えられなくても支障ないと思っている。ただシュテルが勝手に世話を焼いているだけで、放っておいてもよほど逼迫すれば適当になんとかするのである。

 ただ、逼迫しなければ本当にやらないし、できない。未来の領主としての勉強は自主的にするのに。


「父上と母上が兄弟を増やしたいそうなんだが、俺に子供の面倒が見られるものだろうか……」

「にいさんに? 絶対むりだよ」

「無理だよなあ」


 土地柄、ギベオール辺境伯領には使用人という職種の者が大変少ない。屋敷の手入れや食事の用意に手いっぱいで、ときにはシュテルが手伝いをしているほどだ。二年前までは子守をしてくれる老女がいたのだが、寄る年波には勝てず退職してしまった。

 また、両親は子供などつくれるのかと疑うほど忙しい。父は貴族への対応に追われ、母は魔物を屠るため剣を握る毎日だ。シュテルが生まれてすぐに仕事に復帰したように、妹だか弟だかが生まれたら、またそう日を待たず戦場に飛び出して行くのだろう。

 だが、両親とて好きで忙しいのではないのだ。やらなければ後から困る。


「まあ、おれが見るよ」


 一番無難だろうなと思ったので、反発を覚えることもなく請け負った。

 戦いは数だ。ギベオール家は強い者がよく生まれる。兄弟が増えたら、次代が少し楽になるはずだ。


「ごめんな。手伝えることがあったら言ってくれ」

「自分のこと自分でやってくれればいいよ」

「…………」


 返事はなかった。自分のことを正確に分析できているらしい。

 遠慮なく弟に甘える兄の世話をする経験は、いつか生まれる弟妹にも流用できそうだと思った。赤子の弟妹は具体的な不満を口にできないだろうが、兄はもっとこうして欲しいを明確に示してくれるので参考になる。

 面倒見のよさはこうして、主に兄の手で培われた。

 老女が退職してからの二年間、そんなシュテルの面倒を見てきたのはというと、当然兄ではない。

 父でもなく、母でもなく、ギベオール家に祝福を与える、この国の女神だった。


「おまえ、こういうものが好きだろう」


 焔のような羽を揺らめかせた鳥が、くちばしに咥えた鉱石を床に落とす。小さな手で拾い上げて、シュテルは目を輝かせた。

 目がさめるような赤い石。シュテルの髪より少し深い。鳥、もといフィーニの羽と瞳の中間くらいの色だろうか。

 夢中になって日に透かす幼子に、フィーニは微笑むように目を細くした。


「我も幼き頃はそういうものが好きであったなあ」

「フィーニも成長するのか?」

「するとも。具現化するだけの力が足りぬゆえ、姿を見られる人間は限られたが、それはそれは愛らしい小鳥であったよ」


 森に棲む小鳥を思い浮かべたが、どうにも目の前の鳥の姿と重ならずに首を傾げた。

 神というものがどんな存在なのか、まだシュテルにはピンとこない。

 兄が生まれた日に描かれたという肖像画の両親は、わかりにくいものの今とは少し顔が違った。乳母の老女は二年で退職を余儀なくされるほど衰えた。壮年の執事は白髪が増えたと自己申告しており、目尻の皺を気にしている。

 比べて、フィーニは変わらない。だから、不変のものなのかなと漠然と思っていた。


「フィーニもシワシワになるってこと?」

「皺などできぬ。我の見た目は艶々のままだ!」


 ばさりと翼を広げた拍子に抜け落ちた羽を、シュテルはすかさず拾い上げる。しばらく燃えていた火は、やがて小さくなってただの赤い羽になった。

 この羽は自分も好きだけれど、きっといつか生まれる弟妹も好きだろう。なぜならシュテルが好きなものだからだ。


「なあ、もう一枚ちょうだい」

「誰用だ?」

「弟か妹と、かあさん」

「弟妹はともかく、母はいらぬのではないか?」

「わかんないけど、フィーニの羽、なんか強そうだろ。お守りになりそうだ」


 兄の分はいらない。どうせすぐどこかにやってなくすので。

 ねだられるまま、鳥はもそもそとくちばしで翼を探る。差し出した手の上に、ふわりと二枚の羽が置かれた。


「一枚はおまえの分だ」

「おれ、持ってるよ」


 たくさん持っている。部屋に飾って、誰かがくるたびに自慢している。

 フィーニの隙をついて引っこ抜いた戦利品だ。鍛冶屋の男に怒られたり、神官の男に拳骨を食らったりしながら得た、シュテルの勲章である。


「……うむ、たくさん、とてもたくさんあるだろうが……我が差し出すことに意味があるのだ。持っておいで」


 女神の顔と羽を見比べて、うん、と戸惑いながら頷いた。なんだか嫌な感じだ。いつもはもっと偉そうで意地が悪いのに、妙に優しい顔をする。

 何かあったのかと眉を寄せて疑いの眼差しを向けていると、森の奥から歓声が響いた。


「グリフォンを倒したようだな」


 今日は厄介な魔物を倒しに討伐部隊が出ていたのだ。

 空を飛ぶ敵は難しいと母はいつも愚痴をこぼしている。だから少し不安だったのだが、どうやら無事に終わったようでホッとした。


「だれがやっつけたんだ!?」

「皆で倒した。とどめはおまえの母だ」


 自分の手柄のように得意になってにんまりと笑う。さすが母だ。ギベオール家で一番腕が立つ戦士を超えるのがシュテルの目標である。


「おまえたちは本当に強い。この過酷な地で、よくもあれほど豪胆にいられるものだな」


 空を見上げるフィーニは、意識をすればこの国のあらゆる場所で起こる出来事が見えるという。女神の目には今、勝鬨を上げる討伐部隊の姿が映っているはずだ。

 称賛の声が羨ましいと思った。いずれシュテルも母のように敵を打ち倒し、拳を突き上げて勝利を叫ぶ。そのとき、この女神は同じようにシュテルを称えてくれるだろうか。

 こちらを見ない保護者に不満を覚えて、そろりと足音を殺して近づく。羽を抜いてやろうと伸ばした手は、あえなくひらりと避けられた。

 木の上に移動した鳥が、見下すように首をもたげる。


「ふふん、女神たる我が、おまえのような小僧に後れを取るものか!」

「……いっぱい羽むしられたくせに」

「子供というものがあれほど傍若無人な存在とは思わなかったからな。もう油断はせんぞ」


 こういうのを負け惜しみというのだと母は言っていた。適当に流してやるのが優しさだよと。


「わかった。じゃあ次はがんばるな」

「止めろというのに。無駄な頑張りを見せるな!」


 でも、一番魔物に近い形態で、安全に狙える獲物がフィーニなのだ。シュテルの技能はこの鳥によって日々磨かれていると言っても過言ではない。

 ギベオール家の男として引くことはできないと強く訴えると、女神は呆れたような目をして項垂れた。


「……まあ、頑張ることはいいことだ。精進せいよ」


 しばらく高い場所にいる獲物を見ていたのだが、こちらの闘志に嫌そうな顔をしたまま下りてこなかったので諦めた。

 空を飛ぶ敵は難しい。なるほど、帰ったら母に教えを請おう。まだ早いと言われ、与えられていない武器を得ることができるかもしれない。

 拾った木の枝をぶんぶんと振り回すシュテルと、それを黙って見守る女神。

 風が涼しくなってきた頃、ふと女神が静かな声で少年に語りかけた。


「我はな、おまえたちのように懸命に生きる者が好きだ。恐らく前の我も、その前の我もそうであったのだろう。だから、人間と契約したに違いない」

「……けんめい?」

「ガンバリヤサンというやつだ」

「むずかしい言葉使わずに、がんばりやさんが好きって最初から言いなよ」

「こいつめ……」


 前の我だの契約だの、言っている意味はよくわからなかったが、とにかく好きだと言われたのは理解した。面映ゆい気持ちで鼻を擦る。


「おれもがんばるやつ好きだぞ」

「そうか。我とおまえは好きなものが似ているのかもしれんな」


 貰った赤い石も好きだったと言っていた。そうなのか、と嬉しくなって笑うシュテルのそばに、鳥がふわりと着地する。

 あわせた目は、深く、複雑な色をしてシュテルを見据えた。


「我は近くいなくなる」


 腹の奥が、風に吹かれたように冷たくなった。乳母がいなくなったときにも同じように感じた。じわりと滲みかけた涙を堪え、顔を顰めて憮然とする。


「……年寄りだから、たいしょくするのか?」

「む……まあ、うむ……表現は癪に障るが……そうだ」


 泣き喚きたいほど寂しいが、齢なら仕方がない。

 笑顔で見送ってくれと眉尻を下げた乳母を思い出す。二歳のシュテルには難しい話だったから、窓ガラスが震えるほどに泣き喚いて、暴れて、珍しく兄が寄り添って面倒を見てくれたのだ。

 その傍らにはこの赤い鳥もいた。大きな羽で包み込んで、冷たい心を温めてくれた。

 四歳のシュテルがまた泣き喚いて暴れたら、また兄が寄り添ってくれるのだろう。けれどそこに、この鳥はいないのだ。兄一人でも温かいけれど、兄だけではシュテルを包み込むことはできない。


「だが、我は……そうだな、我の子供のようなものは、またこの国を見守るよ。そして、子供のような生まれ直した我は、また同じようなものを好むのだろうな」


 じわじわと涙腺が緩みだしたシュテルの頬を、女神の柔らかい羽毛が撫でた。顔が寄せられ、ついに濡れてしまった目元に擦りつけられる。


「懸命に生き、逆境に折れず、前を向いて走り抜く者たち。おまえたちはまことに素晴らしい人間であったよ」


 数日後、ギベオール辺境伯領で長い年月を過ごしていた火の鳥が飛び立った。

 神は気紛れであると人間は知っていたから、別れを告げるように領地を旋回する鳥の姿を、領民はむしろ珍しいものを見たと喜んでいたようだった。

 家族のように親しんでいた兄とシュテルは悲しんだ。両親はそういうものだと見送った。


 それからしばらくして、母が妊娠した頃、王都から「流れ星」と呼ばれる物資が融通されるようになった。

 希少な鉱物、薬草、その他諸々。あの偉そうな鳥が時折シュテルに持ってきたものと似通ったラインナップだった。

 なんでも、王都のとある男爵家が流しているらしい。詳細は不明だったのだが、数年後に簡単な経緯が運ばれてきた。流れ星は男爵家の娘の周囲に落ちるのだという。

 すぐにわかった。これはあの偉そうな女神の所業だろう。気に入って、面倒を見ているに違いない。生まれたばかりの赤子など皆同じように生きているだろうに、なぜその中の一人に目をつけたのか。

 最初は小さな反感を抱いていたように思う。

 同じ頃に生まれた子供なら、数か月後に生まれた弟妹でもいいではないか。こちらは双子で、二倍もいるのだ。更には知り合いだって多いのだから。

 けれど物資と共に流れてくる噂話を聞く内に、嫉妬は同情心へと変わった。


「鎧を着ないと危ないようなモンなのか?」

「そのようだ。可哀相に、突然石が降ってくるので、家から出られず怯えていたらしい。今は鎧を得て、少しは出かけられるようになったそうだが……」


 怯えるに決まっている。さすがのシュテルだって四六時中そんな状態なら怖い。

 一体あの鳥は何をしているのだ。人間が好きな女神なのだろう。小さな子供を脅かすような真似をするなど、何を考えていたらそうなる。

 外へ駆け出そうとする弟妹の首根っこを引っ掴み、逃がさない程度の力で床に押しつける。数か月違いの子だというなら、本当であれば同じように暴れ回っているはずなのに。

 押さえられながらも楽しそうに喜ぶ、この妹が蹲って怯えているのを想像すると、酷く胸が痛んだ。頼れる存在はいるのだろうか。あの鳥が羽を広げて抱き締めれば安心できるのだろうに、あの鳥こそが害をなしているのだから救われない。

 流れ星は辺境伯領を何度も助けてくれた。武器は切れ味を増し、防具は堅牢になった。薬は負傷兵を癒し、戦力を減らすことなく次の戦いに赴ける。

 そのたび思う。この地の者が助けて貰った数だけ「流れ星の君」は恐怖を感じているのだと。


「にいちゃん、怪我なおったー?」

「いたいー?」

「痛いから叩くな!」


 魔物の鋭い爪でざっくりと切られた箇所に薬を塗りながら考える。

 どんな子なのだろう。逆境に負けず、鎧を身につけてでも立ち上がって歩いている。希少な流れ星を独り占めせず、こうして必要とする場所に寄越してくれる。

 女神は頑張る人間が好きだと言った。シュテルと好みが似ているかもしれないと言った。

 会ってみたいと思う。女神が気に入っているのなら、きっとシュテルも気に入るだろう。女神がその子を大事にしないなら、シュテルが大事にしてやるのだ。

 もっと、ずっと強くなって、何からでも守ってやれるようにならなければいけない。悲しいときには包み込んで温めてやれるように、笑顔を浮かべていられるように、彼女がやりたいことをやれるように。

 まだ見ぬ少女の知らぬ笑顔を目標にして、シュテルは一心不乱に身を鍛えた。鋼の子の名にふさわしく、あらゆる魔物と刃を交え、屠り、腕を上げて、ついには赤竜を討伐するまでに至った。


 そうして初めて訪れることになった王都で、シュテルは一人の少女と出会う。

 一目見て好感を抱いた。目があって、頭が痺れた。赤い瞳はまるであの日女神に貰った赤い石のようだったけれど、それよりずっと美しく思えた。鍛冶場の片隅で座り込み、シュテルの接近に華奢な肩を震わせる様子は小動物のようなのに、じっと見詰める目は不安げに揺れながらも少しも逸らされない。

 声をかけたのは、その佇まいを心配したからだけではない。可愛いなと思い、守ってやりたいなとも思った。妹と同じような歳に見えたからだとそのときは考えていたが、今思えば、恐らく明確に下心があったのだろう。

 ……妹だと思っていたのだ。そのときには。


「あなたの目、鋼みたいな色をしてるのね」


 しみじみとした感嘆の声は、うるさい鍛冶場の中でもはっきりとシュテルに届いた。

 そう、これは誇りの色だ。困難に立ち向かうための剣と鎧の色。今日まで出会った多くの王都の人間は、この色を華やかさに欠けた無粋な色だと言う。つまらない色ではないのだとわかってくれたことが嬉しくて破顔した。

 まさか偶然出会った彼女が、ずっと思っていた流れ星の君だなどとは想像だにしなかった。

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