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40 ハレの日の別れ

本日二話目の更新になります。

 衰えた。

 

 仁ははっきりとそう実感する。

 

 前程身体が動かなくなってきた。

 前程目が良く見えなくなってきた。

 前程機体の加速度に耐えられなくなってきた。

 前程判断が早くなくなってきた。

 

 まあ無理も無いと、己でも自覚はある。

 四十も越え、五十代も見えて来た。

 八年前から衰えは感じ始めていたが、ここ数年は顕著だ。

 

 それは人間である以上避けられない事。

 操縦技術でそれを補ってきたし、事実未だ自分よりも強いパイロットは居ないと断言できた。

 

 今日この日、この瞬間までは。

 

 目の前にレイヴンが迫る。

 

 反応勝負に持ち込めば勝機がある。そう読み切った上での吶喊。

 技術よりも反射神経が物を言う状況になってしまうと今の仁には辛い。

 

 一秒先の動きは見えている。

 どうすればいいのか分かっている。

 

 だけど、その指令が身体の末端まで届くのに遅い。

 機体の反応がコンマゼロ1秒遅れる。

 

 たったそれだけ。

 たったそれだけの隙間に相手は一手差し込んできた。

 

 回避が間に合わない。

 すれ違いざまのエーテルダガーが腹部を掠めた。

 衝撃。

 

 損傷は軽微。

 だが被弾したことで僅かに体勢が崩れる。

 

 まだ死に体ではない。

 まだ仁のレイヴンは生きている。

 この程度の損傷では撃墜にもならないし、動きに支障も出ない。

 

 ただショックだっただけだ。

 今までなら無傷で回避できていた物を回避しきれなかった。その事実が仁を打つ。

 

 反転し、再び向き合えば状況は振り出しに戻る――筈だった。

 

 仁のレイヴンが振り向いた時、敵手は既にこちらへ向かっている。

 アサルトフレーム同士の戦闘は運動エネルギーの奪い合いだ。

 

 シンプルに、足を止めた方が落ちる。

 だから年々速度は増すし、その機動力に耐えられるように慣性制御も進歩していく。

 

 だからこそ分かる。

 相手の反転速度は異常だ。機体が耐えられても、肉体が耐えられない。

 血液が一か所に集まって失神する。

 

 そんな超絶機動を、息をするように出来るのが自分の敵なのだと今更ながらに気付かされた。

 

 ――腕を上げたと仁は心の中で思う。

 初めて会った時は戦う力何て何も持っていないただの子供だった。

 

 気が付いたら、彼は他の同年代よりも早く軍に入って。

 気が付いたら、自分のすぐ後ろに居た。

 

 仁のレイヴンの再加速は間に合わない。

 相対速度はどちらが加速していようと同じだ。

 

 秒速6キロメートル。

 レーダーの光点だけだった存在が一気に目の前に現れる。

 

 旋回直後のGとも戦いながらのドッグファイト。

 機体がバラバラになりそうな錯覚。

 

 相手は射撃戦で決着を着ける気など無く、真っ向からエーテルダガーを構えて挑んでくる。

 故に、進路をずらせばそれは容易に回避できる。

 

 だが、その選択肢だけは選べない。

 

 彼からの挑戦を逃げた時点で己の負けなのだ。

 

 再びの交錯。

 

 相手が作り上げた、己に有利な土壌。

 その上での戦いは遂に相手に軍配が上がった。

 

 仁のレイヴンの右腕部が斬り飛ばされる。

 戦闘力的には半減だが、まだ戦える。

 そのまま加速して仁は距離を取ろうとする。格闘戦で後れを取ったのならば射撃戦だ。

 

 相手は反転が必要な分、ロスがある。

 だと言うのに、仁以上の加速で猛追してきた。一瞬の反転。

 文字通りの180度ターン。あんな変態的な動き、まともな人間には絶対できない。

 

 背面飛行に移って、エーテルライフルで射撃する。

 狙いはコックピット。

 少し弾を散らして、相手の回避を誘発させる。それで速度を落とせば儲け物だ。

 

 相手は――ライフルを手にしない。

 シールドすら投げ捨てて、エーテルダガーを二刀流で構えてくる。

 

 舐めるなという思い。

 何をしてくるのかという期待。

 等量に抱きながら射撃。

 

 その射撃をエーテルダガーで弾いていく。

 全く速度を落とすことなく、受け流す――いや。

 

 一発、真っ直ぐに己向かってくる弾丸。

 その余りに鮮やかな打ち返しに仁は自失した。それは己が得意とし――そして今は出来なくなった絶技の一つ。

 

 受け流したのはこの一発の為。

 初撃ならば仁も無意識に警戒しただろう。だが後方へ流していくのを見て、それも解けた。

 

 そこまで読んでいたのだろうかと仁は考える。

 読んでいたのだろうなと静かに認める。

 相手がどれだけ自分を研究しているのかはよく知っている。

 それこそ自分が気付いていない様な癖まで、きっと向こうは把握している。

 

 打ち返されたエーテル弾でエーテルライフルを失った。

 残された武装は、もう一本のエーテルダガー。

 それを引き抜こうと左手を伸ばし――そこで敵のレイヴンが眼前に迫っていた。

 

 一秒先の動きは見えている。

 だけどもう、どうすることも出来ない。

 そうなる様に相手が場を作り上げた。

 

「――お見事」


 その言葉を言うが早いか。

 エーテルダガーがコックピットを貫く。


 その日、初めて東郷仁が東谷守に撃墜された。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ふっと、半年前の事を思い出した。

 仁が守に模擬戦で初めて撃墜された日。

 

 人類初の植民都市。テルミナスの母星に生まれた新たな故郷には天頂スクリーンは無い。

 眩しい程の青空と、太陽が地平線まで広がっている。

 

 未だに、太陽光という物には慣れないなと仁は思った。

 強い日差しを浴びて白昼夢でも見てしまったのか。

 

「仁?」


 隣で、シャーリーが顔を覗き込んでくる。

 

「緊張してます?」

「それなりに、な」

「きんちょー?」


 シャーリーに手を引かれた幼い女児――先祖返りかピンクの混じった様な金色の髪をした少女が仁を見上げながら言う。

 

「パパ、きんちょー?」

「そうだよ。ドキドキしてる」

「ティアもドキドキしてる!」


 ティア。澪の妹――つまりは仁とシャーリーの娘がニコニコしながらそう言った。

 幼子でも今日が特別な日って言うのは良く分かるらしい。

 何時もより頬を紅潮させて、落ち着きがない。

 

「でも何て言うか……あっさり認めましたね仁」

「何がだよ」

「結婚の事。てっきりごねるかと」

「お前俺を何だと思ってるんだ」


 考えなかったと言えば嘘になるが。


「だってあんなに負け惜しみ言ってたじゃないですか。全盛期だったらなーって」

「全盛期だったら絶対に負けん」

「ほら」


 と呆れた様にシャーリーは溜息を吐いた。


 だが仁としてもそこは譲れない。確かに衰え始めた今では遂に勝ち越されたが、若い頃なら絶対勝ち越せる。

 

「それと別に、俺は澪に結婚して欲しく無い訳じゃない」

「本当ですか?」

「本当だよ」


 ただ。心身ともに強くないとダメだと思っていただけだ。

 だから最低でも自分よりも強く。

 そうでなければとても安心できないからそう言っていただけ。

 

「あれだけ妨害して置いて?」

「妨害はしてない!」

「いや、守君の事相当ボコボコにしてたじゃないですか」

「アイツだけじゃない。他の求婚者もまとめてだ」

「まあそうでしたけど」


 澪は今は重要人物だ。ともすれば、その婚姻にも政治的な判断が絡んでくるほどに。

 その悉くを仁は力づくで打ち破ってきた。

 

 俺より弱い奴に娘は託せないと。

 仁は気付いていないが――それが無ければどこかで澪は無理やりに誰かと結婚させられていたかもしれない。

 現役最強パイロットという肩書はそれなりに役立っていたのだ。

 

「おねーちゃ怒ってた!」

「怒ってましたねえ」

「か、勝てないアイツが悪いんだし……」


 家に帰る度に三人から無言で責められてちょっと帰りたくない時期があったのは内緒だ。

 仮に手加減して勝ったとしても守なら見破れる。それはそれで向こうとの関係がこじれていた気がすると仁は思う。

 

「はい、この話はやめやめ」

「やめやめ!」


 笑いながらティアが仁の真似をする。

 幸いと言って良いのかどうか。

 今の所ティアにはバイロンの血筋らしい機械への偏愛は見られない。

 普通に他人に興味を示しているのは喜ばしい事だった。

 

「それじゃあ仁。また後で」

「あとでー」

「ああ。また後で」


 そう言って仁は二人と別れる。

 これから仁には大仕事が待っている。

 

「……おとーさん?」


 チャペルの入り口で、澪が待っていた。

 純白のウェディングドレスで身を包んで。

 

 ヴェールと銀色の髪が溶け合うように重なっている姿は、きっと宇宙一美しいと親バカを発揮する。

 

「良く似合ってる」

「さっきもそれ聞いた」


 控室でシャーリーとティアと三人で散々に褒め称えた後だ。少し苦笑した様な気配を見せる。

 

「ありがとう、おとーさん」

「ん?」

「私をここまで育ててくれて」

「前にも言ったぞ。澪。お礼を言うのは俺の方だ」


 仁は笑いながら言う。

 

「お前のお陰で俺は十六年間幸せだったよ」


 それからと付け加えた。

 

「そう言うのは後にとって置け。お互い泣いたらどうするんだ」

「そうだね」


 これから結婚式本番だと言うのに。

 

 チャペルの扉が開く。

 赤いバージンロードを、仁は歩く。

 

 初めて会った雨の日を思い出す。

 あの出会いは、必然では無かった。

 少しボタンを掛け違えただけで澪と出会っていたのは別の誰かだっただろう。

 

 だからこそ、仁はあの時の出会いにこそ感謝したい。

 その出会いがあったからこそ、この十六年があった。

 

 最も幸運だった出来事と言えば真っ先にそれを挙げる程だ。

 

 色々な事があった。

 大きな出来事で言えばハロルドの乱だがそれ以降も。

 

 テルミナスとの同盟に反対する勢力が澪を暗殺しようとしたこともあるし。

 最古の部類に含まれる強大な群れ三つに纏めて第三船団が襲われた事もあった。

 

 そうした中で、ティアが生まれる事で澪が妙に張り切ったりだとか幸せな出来事も色々とあった。

 そうした澪と共に歩んできた歴史を、一歩一歩己の中に刻み込む。

 

 バージンロードの半ばで、守が緊張気味の表情で立っていた。

 戦場に居る時よりも緊張している姿に仁は噴き出しそうになる。

 

 今となっては船団でも指折りのパイロットに成長した守。

 仁を打ち破った事で他船団でも名が轟いている。

 いざとなれば、誰よりも早くに澪の元へ駆けつけてくれるのは仁が一番よく知っている。

 

 嗚呼、と溜息の様な声が唇から微かに漏れた。

 彼ならば、澪を託すのに何の不安も無いと。

 

 エスコート役が変わる。

 

 澪と守が一歩一歩己から遠ざかっていく。

 彼らは先に進む。

 だけど仁は何時か先に進めない時が来る。

 三十年後? それとも四十年後? 或いはもう少し長いかもしれない。

 

 だけど何時か必ず死ぬ。

 そこで仁という人間の歴史は終わる。

 

 それが仁には怖かった。

 死ぬことがではない。

 そこでもう自分には何も出来なくなることが――まだこの後何百年と生きる娘の助けになれない事がだ。

 

 ――守は教えたわけでもないのに、軍の記録を読み漁っていつの間にやら仁の技術を物にしていた。

 正直に言えば、仁はそれが嬉しかった。

 自分のやってきたことが、誰かに受け継がれていく。

 ならばきっとまた別の誰かがそれを。

 東郷仁という人間が刻んだ歴史を読み解いて。誰かが己の道を切り開いていく。

 

 そうして十年、二十年、百年先。

 きっとそうした誰かが、まだいる己の娘の助けになってくれる。

 

 そう思った時、怖さは無くなった。

 

 ただ理解したのだ。

 令が、どうして歴史を掘り起こそうとしていたのか。

 失われた過去の知見を取り戻そうとしていたのか。

 

 そこにあるのは過去の事実じゃない。

 誰かの願いであり祈りだ。

 歴史が残る限り、その誰かの軌跡が無価値になる事は無い。

 

 その背中を、見送る。

 

 仁は昔に比べて背が伸びたと感想を抱いた。

 流石にもう、抱きかかえるのは無理だろうなと仁は思う。

 

 他人になる訳ではないが――ここで道は別たれるのだ。

 ここから先澪を真っ先に守る役目はもう仁の物じゃない。

 彼女を幸福にする役目は仁の物じゃない。

 

「どうか、幸せに――」


 何時か、その命が尽きる日まで幸福でありますようにと。仁は願った。

 きっと、自分を乗り越えていった男がそれを叶えてくれると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 二つの未来を見た。

 

 後から見たのは私が生きている未来。

 仁と、私だけが生きている未来。

 

 そこには本来居るべき三人目が居ない。

 

 ――私たちの、子供が失われてしまった未来。

 

 ああ、と溜息の様な声が漏れた。

 もしも、これがライテラ計画による未来情報だとしたら。

 

 私はどうすればいいのだろうか。

 

 未来が知れても人間に出来る事は限りがある。

 

 生まれる前に失われてしまった命を、どうやって救えば良いのだろう。

 生まれた後ならばいくらでも手はある。

 第三船団に来て分かった事だが、ナノマシンによる治療は万能だ。

 例え脳だけとなっても、脳死前ならばきっと全身復元できる。

 

 だけど、その前の段階では……。

 胎児へのナノマシン使用は違法だ。

 いや、法の適用を置いても、危険すぎる。

 未だ生命として確立していない存在に対して干渉を行う事は、人間以外へと変質させる恐れがある。

 

 まだ、人類はそこまで生命の領域に踏み込めてはいない。

 

 ライテラは、やはり人を不幸にするのだと私は今更ながらに実感する。

 未来を知る事で回避できる悲劇がある。

 グレイス大尉はそう言っていた。

 

 だが――同時に未来を知る事で必要の無かった苦しみを負う事になる。

 どうしようもない未来を知らされた時、人はどうすればいいのだろう。

 

 最初に見た未来。

 

 私が居ない未来。

 仁と、誰かが居る未来。

 

 それは先ほど見た未来とは全く別の世界。

 私を失って、失意に沈んだ仁が、少しずつ立ち直っていく未来。

 その光景を見ている誰かと出会って、その子を守るために戦う波乱の未来。

 

 誰かは、人間ではなかった。

 己がASIDであることに恐怖して泣いている子供だった。

 自分なんて生まれてくる価値が無いと苦しんでいる子供だった。

 

 その子は仁に抱きしめられていた。

 大事な娘だと言われていた。

 

 そしてここでもやはり、二人だった。

 何故別の未来が見えたのか分からない。

 ライテラ計画が成功したとして、二通りの未来が見えるのはどういう理屈か。

 

 理屈は分からないが――半ば直感で理解した。

 これは私の未来では無いと。

 私達の、子供の未来であると。

 

 だから二つ見えたのだ。

 自分の子供が辿る未来と。

 自分自身が辿る未来。

 

 ライテラ計画の理論が正しければ、その二つの可能性は重なっているのだろう。

 どちらかを選べばどちらかの未来が消える。

 

 仁に相談するべきだろうか。

 だがどうやって説明すればいいのか。

 ただ未来を見たというだけでは夢を見たとしか思われない。

 

 マリッジブルー? などと言われるのが目に見えている。

 

 ならば、ライテラ計画の事を話すか。

 ……言えるはずも無い。

 言うならば何故それを知っているのか話す必要がある。

 そうなれば、きっと仁と出会った本当の理由までいう事になる。

 

 それだけは言いたくない。

 

 それに、二つ目の未来では仁はライテラの事を全く知らない様だった。

 知らないままに、赤の他人だと思って、子供を育てた。

 もしも知ってしまったら、その未来が消えてしまわないだろうか。

 

「……そっか」


 私は気が付いた。

 二つの未来が見えた。

 自分か、子供か。

 

 そのどちらを犠牲にするかという問いだ。

 

 やはり未来何て見る物じゃない。

 見なくてもいい選択の結果を見せられて、臆しない筈がない。

 

 どうして、別の未来が無いのだろう。

 どうして、これしか見えないのだろう。

 どうして、親子三人で揃っている未来に届かないのだろう。

 

 分かっている。

 そんな未来は無い。

 あったとしても可能性は限りなく低い。

 或いはそんな未来ではライテラ計画は実現しなかった。

 

 だから今私の手元にはこの二択しかないのだ。

 

 もう一度、思い返す。

 私と仁、二人だけの生活を。

 

 幸せだったと思う。

 流れ込んできた情報の中だけでも、幸福だと断じられる十年間だった。

 だけど、同時に寂しさと後悔の付き纏う十年間だった。

 

 私は納得した。

 この自分が、選択の結果だとしたら。

 これは子供を見捨てた未来の私だ。

 

 寂しいだろう。

 自分の手に抱えるはずだった温もりを失ってしまって。

 悔しいだろう。

 自分の手で抱えるはずだった温もりを失ってしまって。

 

 子供を犠牲にして生き残ったのだと。

 そんな後悔をきっとこの後も抱え続けるのが分かってしまった。

 その慚愧の念は一生消えない。

 

 もう一つの未来を想起する。

 私じゃない。私たちの子供と仁の未来。

 

 仁はずっと私を探していた。

 子供が気付いたかは分からない。

 だけど彼の視線は何時も私を探して、定位置だった右側を彷徨っている。

 右拳を、何も握る事の無い手を固く閉ざしている。

 

 子供は、何時も左側だった。

 話しかけるたびに、仁は一瞬右を見てから、左を見る。

 

 それが何時からだろう。

 右側を見なくなった。

 右手が緩やかに開かれるようになった。

 声をかけられると、まず左側を見るようになった。

 

 その変化が寂しくて、嬉しい。

 

 仁は私を失って、その欠落を抱えている。

 だけど、それは時間と、この子が癒してくれる。

 彼は私みたいに慚愧に囚われない。

 

 ライテラ計画をちらつかされて。

 私と生きる未来を――後悔を綴る未来を得られると聞かされても。

 最後にはその全てを振り切って、仁は自分の子供を抱きしめに行った。

 

 だから大丈夫だ。

 こちらの十年後は、波乱に満ちて、きっと人類全てに影響を与える様な出来事となるだろう。

 そこから先は、私にはもう見えない。

 

 でも、きっと幸福になれる。

 仁と、私たちの子供は幸せになれる。

 過去を引き摺らなくても良い。

 未来だけを見据えて、生きていける。

 

 その分岐点は、明日だ。

 

 第二船団行きの連絡船。

 家族に結婚を報告しに行く日。

 

 その連絡船が撃沈される。

 

 選ぶのは簡単だ。

 乗るか、乗らないか。

 

 乗らなければ――私は死なない。

 そうして行き着く先はその選択を恥じ続ける後悔の日々だ。

 

 乗れば――私は死ぬだろう。

 自分に宿った小さな命も、生まれる前に散る事になる。

 

 だけど、新しい身体を得て、その子は仁と出会う。

 それはどれだけの奇跡だろう。

 人の手では産み落とせない命を、未来に託せる。

 

「簡単、な選択だったね」


 怖くない筈がない。

 本来知る筈の無かった未来のせいで、私は予期出来る死にこれから数十時間怯えないといけない。

 だけど、私は子供を犠牲にしてまで自分だけ生き残りたいとは思えなかった。

 

 何も知らなければきっとこのまま連絡船に乗れた。

 怯えることも無く。ただ定まった運命のままに。

 

 或いは、一つ目の未来だけならば。

 きっと迷う事無く船には乗らなかった。その先に理想の未来があると信じて。

 

 だから、私は知れて良かったと思う。

 知れたからこそ、私の幸福だった十年を知れた。

 それは想像していた物と寸分違わずに、仁が私をどれだけ愛していてくれたのかを教えてくれた。

 その未来の思い出を抱きかかえていける。それは十分すぎる程のご褒美だ。


「ねえ仁。私は幸せだったよ。貴方に幸せにして貰えた。それだけでもう、お腹いっぱいかも」


 だからどうか泣かないで。

 後悔しないで。

 十年後に、私を見捨てたと泣いた貴方がどうか笑えますように。

 

 そして知れて、選択したからこそ、一つだけ残せる思いがある。


 自分のお腹を撫でる。

 何時か未来に、仁が澪と名付ける女の子の存在を感じ取る様に。

 

「ねえ、澪ちゃん」


 貴女は十年後に、望まれて生まれてこなかったって嘆いていたけどそんな事は無いよ。

 沢山いるあなたのお母さんの最初の一人が保証する。

 

「貴方は、私が望んで選んだから生まれてくるの」


 どうかこの思いが。

 十年後の貴女に届きますように。

 

「どうか、幸せに」


 生まれ落ちてからの日々を過ごせますように。

ご愛読ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 毎回読む度に涙出るし毎回新しい発見があるし毎回文学作品を読んでいるかの様な気分になるんですよね・・・
[一言] このような素敵な作品に出会えてとても嬉しく思います。 ありがとうございました。
[良い点] この作品に出会えてよかった
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