37 帰船
「やあ東郷仁」
「帰るんだってな。智」
宇宙港のロビーで、智は仁へ片手を挙げて挨拶をした。
船団に戻ってきたのでお見舞いに行こうと思っていたら、何時の間にか帰る事を決めていた義妹になり損ねた相手。
余りに急だったので、仁自身戻ってきたばかりだと言うのにまた宇宙港へとんぼ返りだった。
守にまだまだ聞きたい事があったのに、出鼻をくじかれた気分だ。
その急なスケジュールとは裏腹、妙にあっさりした態度に意外さを覚えながらも仁はここにいる理由を尋ねる。
「退院したばかりだろ。少しくらい休んでいったらどうだ」
「そうしたいところなんだけどね……母さんも心配しているからそろそろ帰らないと」
「ああ……そうか。そうだよな」
親に無事な顔を見せたい。それは仁にも理解できる。
まして、姉はやはり親の知らぬところで命を落としているのだ。
妹までもと心配させてしまっているのだから少しでも早く無事な顔を見せたいだろう。
「……弁護してくれたと聞いた。ありがとう」
「別に礼を言われるようなことはしてない。俺はただ事実を告げただけだ」
彼女の言葉による、ハロルド艦隊の目的地。
その情報が無ければ第三船団はそもそも戦いの場に参じることも出来なかった。
それが意味する価値は大きい。
だからこそ、智はハロルド艦隊の他の人員の様に拘束されず、監視を付けられるだけで済んでいる。
「戻ったらどうするんだ」
もうライテラ計画は潰えた。
智が戦う理由はない。
「どうするんだろうな、私は」
だからこそ彼女も今の自分自身を持て余しているのだろう。
狂おしい程の渇望が今はもう無い。
そんな抜け殻めいた自分をどう扱うべきか。
これから先、何を目標にするべきか。
「しばらくは家で大人しくしているさ。そうせざるを得ないだろうしな」
「だろうな……」
本人が希望したとしても軍へ復帰できるかも怪しい。
いよいよ、新しい事に目を向けなければいけないかもしれないな、と智は思う。
だけどその新しい事に目を向ける気力が湧き上がってこない。
「ああ。そうだ。これを」
そう言って智が仁に差し出したのは――銃弾を受けて破損したタブレット型端末だ。
どう見ても壊れている。
「何だこれ」
ゴミなら指定の日に出せと言いかけたところでどことなく見覚えがある事に気付く。
記憶を手繰り寄せて、その正体に思い至った。
「これ、令の端末か?」
「ああ。私が艦隊から逃げる時に落としたんだがな……この前戻ってきた」
受け取ろうとしない仁へ、智はそれを胸元に押し付けた。
「おい」
「受け取れ。データが復旧できるかは分からないが、そこに姉さんの日記が入っていた」
その言葉にタブレットを手に取る。
「……アイツの日記か」
「正直見ていてこっちが恥ずかしくなったぞ」
「そう言えば言ってたな……よくパスワード分かったなお前」
普通、あてずっぽうでは当たらない。
「何だ。俺の名前とか分かりやすい物だったか」
「いや。パスワードは……MIO、澪だった」
偶然の一致、だなんて思えるほど仁も楽観的では無い。
自分がその二年後に名付けた娘の名前を令が知っていた理由。
それが出来る理屈を仁は知っている。
「ライテラは成功していた……?」
「恐らくはな」
だが、と仁は思う。
澪は失敗したのだと。
ハロルドが先んじてライテラとの接続を絶ったため自分の情報は遅れなかったと。そう言っていた。
あくまで仁が見たあの世界はハロルドの意向が反映されただけの世界。そのはずだ。
「ライテラの理屈は私も聞いている。単一のエーテルを用いた過去へのエーテル通信。だがな、東郷仁」
智は指を一本立てて、仁に尋ねる。
「そもそもその理屈で行くならば、過去に情報を送れるのはリアクターを動かしている人物だけ……つまりは澪ちゃんだけという事にならないか?」
「……確かに」
完全な単一が求められるのならばそもそもそこにハロルドが介在する余地はない。
「つまるところは、求められるのは単一ではなく高純度。イレブンナインか何だかは知らないが……100%である必要は無いと思う」
「まあそれは分かるが……つまり何が言いたいんだ」
「澪ちゃんが送った情報はハロルド様よりも先に送り終えたんじゃないかって仮説さ」
高純度が求められるのならば、間違いなくハロルドという雑味が混ざった物よりも澪だけの通信の方が純粋だ。
ならば、一手早く澪が過去に情報を送れた可能性があるのだと智は言う。
「まあ実際の所は分からんが」
「そう言う難しい話は難しい事が分かるやつに言ってくれ……」
「日記に書かれていたのは、姉さんが二つの未来を見ていたという事だ」
その単語は仁にも覚えがあった。
うわ言の様に智が言っていた言葉。
瀕死の境にあった智の言葉なので余り深く受け止めていなかったが。
「姉さんは、知っていたんだ。自分が連絡船に乗ったらどうなるか。乗らなかったら、どうなるか」
「……知っていた?」
その言葉に驚きは――あまりない。
何故ならば仁は見ている。
何かを選択した結果深く後悔している令を見ている。
あれは、この事だったのではないのか。
自分の死という未来を見た結果、それを回避するために動いた世界。
それがあの時仁が溺れていた世界なのでは無いかと。
それが令の見たもう二つ目の未来なのでは無いかと。
「ああ。一つ聞きたいんだが……エースというのは二つの未来が見えるのか?」
「……いや」
その言葉に仁は首を横に振った。
そんな事は一度もない。
エース同士で、違う未来が見えたことは有っても、一人のエースが二つの未来を同時に見た事は無い。
ライテラの特性がエースの未来視と同じならば二つの未来が見えるなんてことは有り得ない。
「だとしたら答えは一つだ。姉さんは二つの未来を見たんじゃない。二人分の未来を見ていた」
「セブンスが……テルミナスの女王が言っていた。澪の元になった魂は俺の気配が色濃く残っていたって」
該当者は令だけだと思っていた。
だが仁が溺れたあの世界を考えれば該当者はもう一人いる。
「親子なら、エーテルの質は似ている……混ざったとしても全くの他人よりも純度は高くなるだろう」
「つまり、ハロルドが送った情報よりも、先に過去へ到達する可能性があると」
「仮説だ。本当にそうなるかなんてわかる人はハロルド様くらいだろう」
確かに、と仁は頷く。
今となっては分かる人間は居ないだろう。改めて研究を再開でもしない限りは。
だからこれは可能性の話。
推論に推論を重ねた……もしかしたらの話。
「つまり澪ちゃんは、姉さんじゃなくて。あの時姉さんの――」
「俺達には魂なんて見えない」
智の言葉を遮って、仁は呟くように言う。
「それが本当にあるのか何て分からないし、それがどんなものかなんてもっと分からない。テルミナスの連中はあるって言ってるけどな」
だけど仁からすればそんな形も無いあやふやなものにこれ以上振り回されたくない。
それに。
「澪は俺の娘だ。そこにどんな条件がくっついてきたって変わらないし、その条件で俺が判断を決めることも無い」
例え、その元が誰であったかなんて。
今の仁には関係がない。
「澪は澪だ。他の誰でもない」
それ以上の情報は、仁には必要ない。きっとそれは守だって同じ。
「……そうだな」
仁の言葉に智は薄く笑った。
そうして彼女は踵を返して搭乗口の方へと向かっていく。
「じゃあな東郷仁。多分、もう会う事は無いだろう」
第二船団から出ることもままならなくなる智。
そして第三船団から離れられない仁。
確かに彼女の言う通りかもしれない。
だが、と仁は思うのだ。
「俺は令に会ったぞ。二度と会えないと思ってたけど、どういう因果かまた会えた」
決して会えない筈の相手とだって会えたのだ。
それに比べれば――。
「……羨ましいな。私は会えなかった。あの私は何時でも会えると、そう思っていた」
「そうだよ。生きている相手と会うなんて簡単だろ。その気になれば何時でも会えるんだから。そうでない相手とだって会えるくらいなんだから多分また会えるだろ」
「……生きていれば、か」
そう言えばと智は思い出す。
病院であった守の言葉。澪は元気だという言葉と元気を出せと言う励まし。
彼とだって二度と会うとは思っていなかった。
でも会えた。
姉と違ってまだ皆生きているのだ。
ならば、どこかで運命が交錯する事もあるかもしれない。
「お前が言うと、何だか本当にそうなりそうな気がするな」
そう言いながら智が浮かべた笑顔は、先程の物よりもわずかに元気を取り戻し――。
仁が初めて会った頃の彼女の顔に少し近付いた気がした。




