18 共に鳴り響く1
『プロセッサーを、やられた』
頭部が半壊した状態で、隻眼を明滅させながら途切れ途切れに。
エーデルワイスはどうにか声を絞り出す。
『――――が、流出している。修復の為の素材が、足りない。追いつかない』
何か固有名詞を口にした様だったが、仁の耳では聞き取れなかった。
ただそれがエーデルワイスにとって致命的な物であることは間違いないようだった。
話している内にも隻眼の明滅が弱弱しくなっていく。
『すまない』
ぎこちない動きで頭部を仁の方へと向けた。
その隻眼が仁を映す。
『共に、戦えない』
「いや、まだだ」
仁の機体も完全に停止している。リアクターは全て破壊された。
逆立ちしたってもう、戦うのは不可能だろう。
だが――まだこの機体にも出来る事がある。
「俺の機体を使え。これを全部素材に出来ればお前の損傷を直せるはずだ」
その言葉に、困惑した気配を返してくる。
『可能、だ。しかし――』
戸惑う様な明滅。
『お前はどうする。この宙域で、一人残されて』
この辺りは仁がアンブレラⅡを潰すために投げ込んだ小惑星の破片やら、撃墜された機体の破片やらデブリだらけだ。
ネジ一本……どころか砂の一粒であっても加速したそれらは仁を容易く死に至らしめるだろう。
まだ、装甲に包まれたグリフォンの残骸の中に居た方が安全である。
『死んで、しまうぞ』
だがその安全地帯を材料として提供するとなれば、仁はその即死地帯に一人置いて行かれることになる。
例えエーデルワイスが復調したとしても、仁を安全地帯に送るのは大幅なタイムロスだ。
それだけじゃない。
『最早、手遅れだ』
灯りを弱弱しくしながらエーデルワイスは言う。
『修復できても、失われた――――。お前たちの言う魂が大きく欠けた。遠からず私は機能停止するだろう』
そしてその時間はどれだけ長く見積もっても。
後数十分というところだった。
「それでも、だ。今まだ動ける可能性があるのはお前しかいないんだ……!」
無体な事を言っている自覚はあった。
死にかけの人間に鞭を打つような物だ。
エーデルワイスのいう事が正しいのかは仁には分からない。
だが少なくとも仁よりも正確な見立てだろう。
そう遠くない内に、エーデルワイスという個体は死ぬのだと。
それを感じ取れてしまった。
それでも、今澪を助けるために動けるのはエーデルワイスだけだ。
どれだけ仁が足掻いても機体を失った彼はただの人間だ。
宇宙で戦う力はない。
『無理、だろう。奴の元に辿り着いたとしても』
溜息の様な声が漏れた。
『戦えるだけの時間が、残っているかどうか』
悔しささえ滲ませた声。
第三船団で初めて声を交わした時。
その時から比べると随分と彼女も声に感情を乗せるのが上手くなった。
思えば澪もそうだったと、仁は思いだす。
あの子も最初は感情を表に出すのが苦手だった。
だからエーデルワイスも。もっと同じ時を過ごせば別の感情を見せてくれたのかもしれない。
その未来が閉ざされているのだと分かって仁は――悲しくなった。
戦友をまた失おうとしているのだと気付かされてしまった。
確かな友情を抱いていたのだと気付いてしまった。
『何故、その様な顔をする』
「悲しいからだよ」
『……あの方も、そんな顔をしていた。悲しいだったのだろうか』
灯りが消えた。
「エーデルワイス!」
『一つ、聞きたい』
再び灯りが灯る。だけどそれは先ほど以上に淡い輝きで。
残り時間が近づいているのだと嫌でも感じさせる。
『お前は、何故先ほど自分が死ぬと分かりながらお前の機体を使えと言ったのだ』
「……俺には自分が死ぬことより辛い事がある」
言葉を探しながら、仁はその問いに答える。
説明したって伝わるとは思えない。
エーデルワイスがどこまで理解できるかも分からない。
それでも真摯に。
己の胸の内を素直に。
「大切な人が死ぬこと。いなくなること。俺はもう二度失敗してる。十年前に一度。ついこの間に一度」
令を喪った時と。
――を亡くした時と。
もう、その名前は思い出せない。
ここにいる仁にとってその誰かはもう関係の無い他人なのだ。
決して関わる事の無い、最も近い他人。
「そして今、三度目が起きそうになっている」
澪が、己の迷いのせいで失われようとしている。
「それは嫌なんだ。俺が、俺の命で澪を助けられるなら俺は幾らでも命を賭ける」
『あの方が、悲しむとしても?』
「ああ」
『それは、何故?』
何故。
何故かと仁は問われて却って可笑しくなった。
そんな事は一目瞭然だ。
ああ、だけど。自分だってその余りに明瞭な事を見失っていた。
「あの子を愛しているからだ」
その思いを。
一度だって言葉にしたことがあっただろうか。
それを一度だって言葉にしていれば。
澪は不安を抱かなかったのではないか。
「父親として、娘の事を心から愛しているからだ。世界の誰よりも、一番に」
『あい』
エーデルワイスはたどたどしい口調で繰り返す。
その言葉が何よりも大事だと言うように。
何度も何度も。
『私が知らない言葉だ』
「そんな事は無いだろう」
仁が見失っていた様に。
エーデルワイスも気付いていないだけだ。
「お前だって、澪を好きだから。愛しているからずっと見守っていたんだろう」
『そうか、これが』
呟き。輝きがまた失われる。
明滅の間隔がどんどん広くなっていく。
まるで鼓動が弱まっていくかのようで。
何時かそのまま灯りが消えてしまうのかと思えて仁はもう一度呼びかける。
「エーデルワイス! 早く! 澪を助けられるのなら俺はどうなっても良い!」
例え僅かな延命だとしても。
生き長らえることが出来るのならば選ぶべきだと仁は叫んだ。
『――陛下。申し訳ございません』
囁くようにエーデルワイスが言う。
『私は、禁を破ります』
◆ ◆ ◆
エーデルワイスが生を受けた日の事だ。
己の母親であるテルミナス・セブンスから己の役割を告げられた。
――貴女は、いずれ生まれる私の後継者。その子を守る役。その為に産み落としました。
そのオーダーに。否があろうはずもない。
喜んで頷いた。
――その為に、私は貴女に私が知る最も強き存在を模倣した力を与えました。
この長剣の事ですかと。エーデルワイスは尋ねた。
それに対してテルミナス・セブンスは否定を返した。
――いいえ。それはその力の一端。彼の者が持つ最も大きな力はここにあります。
エーデルワイスの腹部を。その奥に収められたリアクターを指す。
――それは我らが祖を圧倒した力。ですが、それを使う事は禁じます。
どうしてですか。とエーデルワイスは尋ねた。
そんなに強いのならば、それを使えば良いのにと。そうすればきっと未来の御子も守れる。
――いいえ。――よ。
再びテルミナス・セブンスはエーデルワイスの真名を呼び、首を横に振る。
――愛無き身で、それを使う事は終焉を齎す事になるのです。決して、使ってはいけません。
◆ ◆ ◆
『これが愛だというのならば』
エーデルワイスの隻眼が輝きを取り戻す。
侵食と見紛うほどの速度で、グリフォンの残骸を取り込む。
エーテルの輝きが躯体から漏れだす。
何時か見せた様に、エーテルだけで周囲の残骸を集めて取り込み始める。
『私が終焉を導く事は無いであろう』
輝きが強くなっていく。
どこにそんな力を隠し持っていたのか。
『お前は先ほど、あの方を助けるのならばどうなっても良いと言ったな』
「……ああ」
『ならばその覚悟、見せてもらうぞ』
エーデルワイスの体積が一瞬で膨張した。
その雪崩の如き勢いに、仁は身動き一つ取れずに飲み込まれた。
何も見えない。
エーデルワイスの声だけが聞こえる。
『お前の全てを私に寄越せ』
「構わない!」
その要求に仁は迷う事無く頷いた。
「それで澪を助けられるのなら全部持っていけ!」
代わりに、とエーデルワイスは続けた。
『私の全てを。お前に』
それは誓約の様な言葉。
自分の全てを相手に差し出す宣誓だ。
『どうか――私が私で無くなったら止めてくれ』
それは祈りの様な言葉。
自分自身が宇宙を犯す存在になりたくないという祈願だ。
その二つを抱いて。
『あの方への愛が、我らを繋いでくれるだろう』
最後の鍵を、エーデルワイスは回す。
『躯体制御解放。共鳴、開始』




