08 決戦前夜1
仁が報告したハロルドの目標座標。即ち母星を目指しているという情報はやはり様々な意見を産んだらしい。
だがハロルドの息が掛かった艦隊――第二船団に残留する艦隊と区別するためにハロルド艦隊という身もふたもない名前が付けられた――が第二船団に向かっていないのは事実。
恐らくはライテラ計画を知らない部隊から分かれて別行動を取り始めたのだという。
その最終航路の先には――確かに母星が存在している。
同時に、第二船団からは一連の出来事はハロルド・バイロンの独断によるもので、一部の暴走だという見解が発せられた。
「これはハロルド兄さんに全部おっ被せるつもりですね」
その声明と、自身の実家が経営しているBW社の広報を見たシャーリーはそう言った。
場所は『ゲイ・ボルク』内の仁にあてがわれた士官室だ。
曹長のシャーリーは二人部屋らしく、秘密の会話をするには向かない。
先日補給された物資に混ざっていたコーヒーを淹れて飲みながらの休憩。
二人は先ほどの報道をそれぞれの仮想ディスプレイに表示して公表された情報を集めていた。
「失敗したら全部ハロルド・バイロンに押し付けて。上手く行ったら過去を変えて全部無かった事に、か」
「どの道、兄さんも失敗したら二度目が無いなんて分かっていたでしょうし。全責任は取るくらいの事は言ってたかもしれませんね」
ハロルド・バイロンが反逆行為を企てた。
公表された情報はそれだけだ。
時間跳躍がどうこうという話は流石に出回っていない。
知っているのは当事者や防衛軍の一部だけだ。
「見て下さいようちの株価。初めて見る下がり方です」
「うわ……えぐい降下具合だな」
「この勢いで大気圏突入したら燃え尽きますね」
パイロットとメカニックにしか分からないジョークを飛ばしながら、仮想ディスプレイに表示されていた情報を全て閉じる。
「智の奴はシップ1の病院に搬送されたよ。意識は一度取り戻したんだが……また意識不明の重体だ」
「そうでしたか。パイロットに話を聞いておきたかったんですが……残念です」
智の乗ってきたグリフォンから部品を取り、輸出版のグリフォンを正規版に改造するにあたって、シャーリーはパイロットの意見も聞きたがっていた。
必然、乗ってきた智にとなるのだが、彼女の意識がいつ戻るか分からない現状、当てにするわけには行かない。
「……なあ、シャーリー」
「何ですか?」
「仮に、俺とお前が結婚するとして」
「漸くその気になりました?」
「いや、まだだ。仮に、な。仮に」
無言でボディを殴られた。
結構痛い。
「それで、か、り、に! 結婚するとして。何ですか」
「うぐ……その直前にお前が死んでしまったとしたら」
「何て縁起でもない事を!」
「仮に! 仮にだから!」
正直、この事を聞くのにシャーリー程の適任者はいないのだが、同時に不適任でもあると思う仁。
それでも聞くしかない。他にそのもしもに適切な回答を出せそうな人間が居ない。
「その時、お前は何を願う?」
「ええ? それは、まあ……死なないで無事結婚出来る事を願うと思いますけど……」
「だよなあ」
そこだけは信じて疑っていなかったのは智だけでなく、仁も一緒だ。
だが、智は違うのだという。
ならば令が残した願いとは何だったのか。
いや、そもそも。
「いや、ダメだな……この質問だと回答者は自分が将来死ぬことが分かっている事になる」
「何の話です?」
言っても良い物か。
逡巡はあるが、やはり他に適切な回答を出せる人間が居ない。
智の意識回復を待っても良いのだが、出撃にその回答を引き摺って悪影響を出すのは避けたい。
「実は、だな」
先日の智との会話をシャーリーにも話す。
それを聞いたシャーリーは顎に指を当てて考え込む。
「まあその智さんの発言が全て正気の物だったと仮定した場合」
「そこからか」
「そこからですよ。うわ言の可能性だってあるんですから」
その場にいなかった第三者としてシャーリーはフラットに考察してくれた。
「最初に言った二つの未来を見たって言葉」
「……いや、それこそうわ言だろ」
「だから仮定ですってば。これが事実だとすると令さんは別の未来を見たって事です」
「そうだな」
「だとしたらそれはどんな?」
「令の願いが、俺と無事暮らし続けられる未来以外を望む場合って事か」
「完全に想像ですが――私がそれ以外を望むのだとしたらそれはきっと、その未来が見えなかった時」
シャーリーのその言葉に仁はハッとなった。
「俺か、令。どちらかしか生きられない未来だった……?」
「一つは仁が、一つは自分だけが。そんな未来を見たら……私だったら仁を選ぶかもしれませんね」
「つまり、智が言おうとしていた令の最後の願いって言うのは」
「仁に生きていて欲しい、という事じゃないですかね」
その言葉に、喜びと痛みの入り混じった表情を浮かべる仁。
それを見て、シャーリーの表情にも痛みが走った。
十年で、仁の心を傾かせてみせると息込んだのだが――仁の気持ちは見ての通りだ。
未だ彼は、心の比重を大きく令で占めている。それと同じくらいで澪が。自分は精々その次だろうと。
「……ねえ仁」
どうしても。確認しておきたい事があってシャーリーは口を開く。
ずっと、ライテラ計画の目的が明らかになってから聞きたくて、でも聞けなかった事。
「仁は、令さんと澪ちゃん。どっちを選ぶんですか?」
「何?」
本当に何を言われたのか分からないという表情を仁は浮かべる。
「だって、仁は澪ちゃんに言ったんでしょう? 澪ちゃんを令さんの身代わりだなんて思った事ないって」
「当然だろう」
そう。それは仁にとっては当然。
故に澪にもそう言った。
澪と令は別の存在だと。
「じゃあ。今仁の前には令さんを救える可能性が有ります。澪ちゃんを犠牲にすれば、助けられる。仁は、どうするつもりですか?」
そう仁は澪を止めた。
澪が消滅するかもしれないというリスクを口にすることで、澪を思い止まらせようとした。
決して、令よりも澪を望むとは口にしなかった。
そうすれば何よりも澪を説得できると分かっていながら。
分かっていたからだ。
令も澪も大切な存在だ。
その二つを天秤に乗せた時――きっと釣り合うくらいに。
「仁は澪ちゃんを失いたくない。でも本当は令さんも助けたい。違いますか?」
「だが、そんな都合の良い方法はない」
澪と令が全くの無関係ならば。
そんな都合の良い未来も有り得たかもしれない。
だが、状況証拠が澪は令の魂と呼べる何かを基としていると告げている。
そんな未来は有り得ないのだ。
「だから仁は選ばないといけないんです。二人の内、どちらを選ぶのか。澪ちゃんの意志じゃなくて、仁の意志で」
シャーリーの言葉に仁は愕然として固まる。
理性は、澪だと言っている。
当たり前だ。
父親なのだから。
例え娘から拒絶されたとしても仁は澪の父親だ。
それは変わらない。
だけど、感情が邪魔をする。
澪を助けろと言う愛情。
そして令を救えと言う愛情。
どちらも正しい。
どちらも大切だ。
そしてその曖昧さが澪に決断させたのだと今更仁に気付かせた。
その態度。即断が常の仁が回答を避けた。その意味が澪にも分かったのだろう。
「仁はどうしたいんですか。その意思を固めないと。きっと土壇場で動けなくなりますよ」
シャーリーには感謝しかない。
もしもこの自己矛盾に戦場で気付きでもしたら。
きっと撃墜されていた。
その前に突き付けてくれた彼女には感謝しかない。
だがそんな仁にとって究極の選択。出来る事なら一生目を逸らして居たかった。
「……こればっかりは私も冷静に判断できそうにないです。だから、自分だけで考えてください。大尉」
肩を軽く叩いて。
シャーリーは士官室を後にする。
一人取り残された仁は、膝に頭を埋める。
自分の中の悪辣な部分が言うのだ。
良いじゃないか。澪の好きにさせろと。
自分の命をどう使うかはそいつの自由だ。
自分だってそうしてきただろう? と。
娘が最愛の人を取り戻そうとしている。
その事に感謝して、得られるはずだった幸福を得てしまえば良いと。
そんな自分に気が付いて反吐が出そうになる。
「何で、この二人なんだ」
天秤の片側が自分だったらいいのにと仁は苦悩する。
それならば迷う事無く自分を犠牲に出来るのにと。
だが実際は違う。
決して答えの出ない問いに、仁は飲み込まれていく。




