25 選択の時1
「何の羞恥プレイだこれ」
姉の日記を読み進めていた智は赤面した頬を冷ますように手で扇ぐ。
いや、何と言うかこれは……。
「くそっ! 東郷仁め! 姉さんといちゃいちゃいちゃいちゃして!」
出会ってから姉が仁を意識していく様。
それを当人の感想付きで見せられた智は恥ずかしいやら、姉を取られて悔しいやらの感情で支配される。
「というか絶対この後その場で解散ですまなかっただろう! 絶対何かしてただろう!」
日記では寮の入り口で再開したという事しか書かれていない。
翌日に移ると東郷仁と付き合う事になったと却って深読みしたくなる程簡素な文しか書かれていなかった。
それはさておき。
「……姉さんは東郷仁の勧誘が役目だった。だけど途中でそれを辞めた」
彼に恋をしてしまったから。
随分とあっさり離脱を認めた物だと智は思った。
実際、ライテラ計画は机上の空論も良い所で、その理論を知らない姉が騒ぎ立ててもすぐに鎮静化できると考えたのだろう。
「でも、姉さんらしい」
その動機が歴史を体感したいというのは予想通り過ぎて逆に笑えてくるほどだ。
今の自分よりも少しだけ年下の頃の姉が仁に落ちていくのは微笑ましくすらある。
「……でも」
この日誌の日付から二年程度で、彼女は死を迎えるのだ。
「やはり、姉さんは死ぬべきじゃない」
ここまで読んで智は改めてそう確信した。
もっともっと、生きて沢山の事を体験すべきだった。
「そうだ、澪ちゃんは……他人何だから」
未だ割り切れない。
だけどやっぱり中途で引き千切られた姉の人生。
その一端を覗き見てやはり生きていて欲しいのだと。
智は強くそう感じてしまった。
「すまない……」
聞こえる筈の無い謝罪を口にして。
智は動かない事を決めた。
この部屋で待機していれば、いずれライテラ計画は成される。
第三船団にこの艦隊を追う術はない。
居場所が分かった頃には手遅れだ。ライテラは起動し、過去は変えられる。
戦闘員である自分一人が居なくても計画にはさほどの支障もない。
だから後は待つだけで良い。
そう決めてしまえば途端に退屈を感じる。
「……続きでも読もうか」
そう、未だパスワードの謎が残っている。
どうしてそのワードを設定したのか。
最後まで読めば謎が解けるかもしれない。
ちょっとした推理小説気分で智は姉の日記を読み進めていく。
東郷仁と付き合うようになってからの日々。
右手を握ると落ち着かない様でちょっと面白いという様な事から。
環境保護エリアで一緒に歩いただとか、どこかへ出かけた情報。
それ以外にもお互いの部屋を行き来したり。
本当に極々平凡な恋人同士のやり取りが記されていた。
「ふっ、姉さんでも苦手な料理があったんだな」
母親は料理上手で、姉もそれを受け継いでいたとばかり思っていた。
実際、記憶にある姉が作ってくれた料理の数々は美味な物ばかりだったが――確かにこれだけは作ってもらった記憶がない。
「チャーハンか。もしかしたらこれだけは私の方が上手だったかもしれないな」
練習したけど上手くできない、という愚痴が書かれている。
きっと仁は好きだと思うのにという動機に口元が緩む。
日記を見ていれば、最後の二年は色んな所に仁の名前が出てくる。
あらゆる動機が仁に集約して、令の喜びは仁が与えた物。
見ていて恥ずかしくなってくるくらいに、二人の睦まじい様子が伝わってくる。
「東郷仁め……私にはこんなに優しくしてくれたこと無いだろう」
その恨み言に関しては自業自得である。
更に読み進めていく。
残りのドキュメントが少なくなっていくこと。
それがそのまま姉の寿命の様で読むのが段々辛くなってきた。
日記に描かれた日常は本当に平穏な物で。
それが何の前触れもなく崩されるのだと分かっていると本当に辛い。
その中で、見つけた一文。
「とても嬉しい事があった……?」
だが詳細については書かれていない。
翌日のドキュメントを開く。
「ああ。なるほどな」
そこにはプロポーズされたという言葉。
当然だろう。
二人が第二船団に来ようとした理由。
それは結婚報告の為だったのだから。
「順序が逆になった……そうか。指輪か」
智が仁の家に転がり込んでいた数日間。
その時に、仁が大事そうに握っている指輪の存在を確認している。
恐らく、姉に渡すつもりだった物だろう。
そしてそれが仁の手元にあるという事は、遂に令には渡されなかったことを示している。
「幸せ、だったんだろうな」
生憎と結婚を申し込まれた事のない智には分からない感覚だ。
一緒に部屋を選びに行くという話が書かれていて、きっとそれがあの部屋だったのだろうと智は思った。
姉が選んで、姉が住むはずだった部屋。
「……アイツはどんなつもりであの部屋を残していたんだろうな」
ふと気になった。
一緒に住むはずだった相手を失って。
それでも思い出だけは残されて。
姉を見捨てたと思っていたから辛く当たっていた。
どうして助けてくれなかったのかと恨んだ時期もあった。
だが今となっては――あの頃同じ悲しみを共有できたのは同じ家族だけではなかっただろうかと思えてくる。
智には母が居た。
だけど仁には誰もいなかった。
「寂しいけど、優しい人、か」
姉が義兄になるはずだった相手を評した言葉。
令に癒された彼を再び一人きりの寒さの中に落としたのは――。
「私か……」
今になって後悔する。
遠く離れた二つの船団の話だ。出来る事は限られていただろう。
それでもあの日の選択は間違いだったのではないかと思えてしまう。
「……いいや。関係ない」
過去は変えられる。
令の死が無ければ今の後悔も消えてなくなる。
だから問題なんて無い。
そう思っているのに。棘の様に違和感が消えない。
この後悔を消しても良いのかと。
姉を亡くしてからライテラ計画に参加して、辛い事が沢山あった。
でもその中で忘れてはいけない物は本当に一つも無かったか。
「関係ない……関係ないんだ」
全て無かった事になる。
無かった事になるんだって知っていたから出来た事だ。
迷いを振り切る様に、智は次のドキュメントを開く。
残りの日数は――一日。
連絡船に搭乗する前日。
連絡船内にはこの日記データが入っていたタブレット端末は持ち込んでいない様だった。
第二船団から持ち込んだものだから、忘れてしまったのだろうかと思う。
これが最後の日記になるとは思いもせずに、何時も通りの日常を綴ってそれが最期となった。
その終わりを見るのが辛くて。
だけどここまで来たら見るのをやめるという選択肢は無くて。
久しぶりに実家へ戻ろうとする前日の姉の姿を垣間見ようと最期の日記を開く。
そこに記されていた文。
「………………これが最後の日記になるだろう?」
どういう意味か。
単に日記を付けるのをやめるという意味か。
偶然にも、この数日後に非業の死を遂げる様なタイミングで?
更に文章を追っていく。
次の一文に今度こそ智は悲鳴をあげかけた。
それほどに信じがたい内容だった。
『二つの未来を見た。全く別の道筋を見た』
智の頭を混乱が埋め尽くす。
どういう意味かを俄かに図り損ねた。
そうしてようやく空転していた思考が噛み合って。
「未来を、見た……? ライテラ計画が成功したという事……?」
時間についての理論は未だ仮説が多い。
ハロルド自身、過去改変が可能であるとは確信しているが、その過程がどうなるかは未だ実証できていない。
未だ、ライテラ計画は達成されてはいないが、この未来で達成されるのならば過去に送られた情報があっても不思議ではない。
だがそれはもう水掛け論だ。どちらが先かを論じることに意味はない。
智にとって重要なのは、姉が何を見たのか。
そこだけだ。
「恐らく、これがライテラ計画で成そうとしていた過去への情報送信なのだろう」
令の言葉を智は読み上げていく。
「『だとしたらこれは、私の未来。でも二つの内一つに私はいない』……待ってくれ」
おかしい。
これがおかしいという事に智は気が付いた。
「だって、ライテラで過去に情報が送信出来て、姉さんがそれを受け取っているのなら。何で――」
令は死んだのか。
未来の知識があっても回避できない程の事だった?
それとも令が見た未来を回避しようとした結果、連絡船の件に遭遇したのか。
「『私は、自分のいない未来を選ぼうと思う』…………どうしてだ! どうしてそんな!」
この日記に書かれていることが事実だと智は思いたくない。
何故ならこれは。これが真実ならば。
楠木令は、己が死ぬ未来を選択したという事になるのだから。




