24 裏切り6
「寒い」
ここ三日ばかり、ずっとここで待ち続けている。
今日はクリスマスイヴ。
どの船団もこの日は気象設定が雪で固定されている。
決めた昔の偉い人に今日ばかりは文句を言いたい令だった。
吐く息が白い。
自分からは見えないが、きっと頬も真っ赤になっている。
ちょっとでも暖を求めてこの場を離れるわけには行かない。
朝から晩まで。
流石に夜になったら来ないだろうと思って、その時間は令も帰っているが。
「宛が外れたかなあ」
寮の入り口でじっと待ち続けていると、寮の住人達にも声をかけられる。
正直、少々うっとうしい。
待ち人は貴方たちじゃないんですよとやんわり断っているが。
ただ三日も待ちぼうけなのは向こうも分かっているのだろう。
未練がましいという事を言われると、ちょっとだけ心が折れそうになる。
二人を繋げる場所はここと、初めて出会ったライブラリくらいしかない。
そして過ごした時間で言えばここがぶっちぎりだ……と言うか、よく考えたらこことライブラリ以外で会ったことがない。
「一緒に出掛けた事も、無かったんだねえ……」
思わずしみじみと呟いてしまう。
何かこう、過去に仁としてきたことを列挙していくと。
「早まったかな」
少し先走りが過ぎた気がしないでもない。
でも仕方ないじゃないかと令は誰かに向かって言い訳する。
自分の思いが迸るのを止められなかった。
今日だって、会える確証も無いのに二人分のチキンを用意してある。
もうすぐ日が暮れる。
でも今日だけは。
もう少し粘ってみようかと思える。
だってクリスマスイヴだし。
サンタクロースがプレゼントを運んでくる日。
だから令だってちょっとした幸運を期待したって悪くは無いだろう。
「久しぶり」
そう言われて、にやけそうになる頬を引き締める。
雪で濡れた上着を見て、何だかすれ違っていたんだなと分かるけど、それはさておき。
「今私、東郷君の事物凄く叩きたいんだけど叩いても良い?」
三日分の恨み言をぶつける事から始めよう。
「連絡するって言ったのに何で引っ越してるの?」
「いや、すまん。そこまで頭が回っていなかった」
「寮監に引っ越したって言われた時凄い驚いたんだから」
驚きもあったが不安だった。
あの時同じ気持ちを抱いたと思えたのは自分だけだったのかと。
視線を泳がせている仁の頬をミトン越しに掴む。
その布地を越しても伝わってくる冷たさ。
冷える筈なのに、指先が暖かくなったかのように錯覚する。
「ものすごく寒かった」
「何時から居たんだ」
「……朝から。と言うかここ三日ほど日参してた」
「申し訳ない」
「どこに行ってたの」
「楠木を探してた」
「何で真っ先にここを思いつかないかなあ」
「すまん」
欲しいのは謝罪の言葉じゃないんだよなあと令はちょっと拗ねる。
本当に欲しいのはそうじゃなくて。
「そっちから来るとは思ってなかった」
「連絡するって言ったってもう一回言おうか?」
「社交辞令だと思ってたんだよ」
「……東郷君、結構寂しい人間関係だね」
「ほっとけ」
ほっとけない。
ほっとけないからここにいるんだよと言いたい。
――一人で強がっているような人をほっとけなかったから、私は今ここにいる。
「そんな社交辞令で済ませる様な関係だったかな?」
「俺達の関係を言うのなら、大家と店子だっただろ」
「家賃、払ってなかったけどね」
「なら家主と居候だ」
こんなことが言いたいんじゃない。
でも土壇場で怖気づいてしまった。
恐る恐る、相手の胸の内を探る様に、己の胸中を告白していく。
「結構楽しかったんだよ。三か月」
「ああ」
「最初はホント、お金浮かせるためだったけど」
「それは知ってた」
「今日も結構楽しみにしてたんだよ」
「実を言うと俺もだ」
「でもさ、まあ当然なんだけどいきなり出ていけって言われて」
「当然なんだけどな。ルール違反は俺達だし」
「元々成り行きで始まったことだしこんな風に終わるのも仕方ないかなって。だって家主と居候だし」
「ああ。俺もそう思ってた」
だって、始まりから私は裏切っていたんだからと令は心中で独白する。
騙していたつもりはない。
だけど、唐突に終わった時、令は確かにそれを裏切りに対する罰だと感じたのだ。
「でもさ。やっぱ寂しいよ」
仕方ない。
その言葉では割り切れなかった。
「一人のホテルに帰って、誰もいない部屋に一人でいて」
どうするのが貴方の幸せか、ずっと考えていました。何て重い事口には出せないけれども。
「ちょっとした独り言に反応してくれる人が居なくて」
たったの三か月で、隣にいることが当たり前に感じてしまっていた。
「そんなのちょっと前までは当たり前だったのにね」
「……本当にな」
一人きりは寒いのだ。
それでも令には帰る場所があった。
仁にはそれが無い。令の何倍も凍える場所にずっといる。
そんな彼を、温めたいと思ったから。
だから令は己の全てを投げ出してここにいる。
「だからもうちょっと続けたいなって思って。東郷君の所来たら引っ越したって言われるし」
「いや本当にすまない……」
「何かさ。関係清算したくて住所変えたみたいだよね」
ミトン越しに仁の頬を抓る。
もしも本当にそうだったらどうしようという怖れ。
そうじゃないよねと言う無言の確認。
「そんなつもりはなかった。思慮が浅かったのは認めるけど」
「なら」
どういうつもりでいきなり引っ越したのか。
そう重ねて問いかけようとした令の手がそっと引きはがされた。
微かな温もりが遠ざかっていくことが嫌で。
無意識に掴もうとした掌に、硬い何かが握りこまされた。
ここしばらく感じていなかった、だけど懐かしい感触。
「鍵……?」
「独身寮だから問題だっただけで、別に俺は嫌じゃなかった。いや」
仁が言葉を切った。
ほんの僅か、苦悩を浮かべた表情。
ねえ辞めて。そんな表情を浮かべて欲しい訳じゃないの。
もっと、穏やかな表情をしていて欲しいの。
「あの生活を気に入っていた。出来れば続けたいと思っていた」
握りこませた令の手の上から仁の手が重ねられる。
意識しているのかいないのか。力を込められた掌がちょっとだけ痛い。
痛いけど――その痛みが嬉しい。
「だから他の場所なら、問題ないと。そう思って慌てて準備した」
だってそれはずっと彼も自分を追い求めてくれていた事の証。
「あは……ははは。東郷君って本当に……」
先走り過ぎだとか。
もしも私が帰ってたらどうするつもりだったのとか。
悉く自分に突き刺さる言葉が沢山浮かんできては消えた。
代わりに、令も仁にお返しする。
仁と同じように、空いた手に押し付けて、自分の掌で握りこませる。
どれだけ追い求めていたか。伝わる様にぎゅっと力を込めて。
「考える事、一緒だから困る」
一方通行じゃなくて良かった。
同じ気持ちで良かった。
一緒で良かった。
「これ。何で」
仁が驚いた顔をしているのを見て令は少しだけ得意気になる。
「何で部屋借りれたんだ」
当然の疑問だ。
だから令は、己の覚悟を示すように笑って言う。
「船籍、変えちゃった」
一瞬の絶句。
「お前そんなあっさりと……」
「あっさりじゃないよ」
どれだけ悩んだかなんてそんな事を自慢する気はない。
でも軽々しい決断なんかじゃない。
それだけは伝わって欲しいと仁の眼を覗き込む。
「あっさりじゃない」
「分かったよ」
本当に? 本当に伝わった?
いいや、もしも伝わっていなかったとしても構わない。
まだ、自分にも彼の知らない事が沢山ある。
同じように、彼が知らない自分を教えていけばいいのだ。
その為の時間は沢山ある。
「それじゃあ約束通りご飯食べよっか。後一時間で日付変わっちゃうけど……」
「なあ楠木」
「何?」
「俺はお前が好きだ」
求めていた言葉。
同じだと信じていた気持ち。
それが確かめられて嬉しい。
嬉しいのだけど今は――。
「えっと……困る」
だってシチュエーションが良すぎる。
「困る、のか」
「うん。だってほら。今日クリスマスイヴだし」
「そうだな」
「でほら。ちょっと良い時間だし」
「そうだな?」
伝わってと念じるが、仁には全く通じていない様だった。
もう、と憤慨しながら――でもとても暖かな嬉しい気持ちを抱きながら更に言葉を募る。
「でこの後どっちかの家に行ってご飯食べる約束果たすでしょ」
「そのつもりだったな」
「歴史的に見ても、こういう時ってその、場の空気に流されやすいっていうし」
「歴史は良く分からんが……」
「だから、その……分かってよ」
「いや、すまん。良く分からない」
「だからあ……」
全然通じない。チョットだけ令は先行きが不安になってきた。
何の羞恥プレイだこれと令は悶える。
「今オッケーして恋人になったら絶対歯止め利かないじゃん……!」
「いや、お前俺を何だと思ってるんだ」
見ているだけで不安になる様な、とても寂しがり屋で優しい人だと思ってます。
でも今はちょっと察しの悪い人だと思っています。
だけど、そんなあなただから――私は好きになったんだと思います。




