03 一か月前3
一日の授業が終わり。
半年前までは部活の時間だったが、受験生になった今は素直に受験勉強をすべく帰路に着く。
変哲もない、普通の一日。
この八年間続いてきた平穏な日。
ずっと変わらずにこのまま過ごしていきたいと澪は思う。
普通で良いのだ。
仁と出会った最初の年みたいな波乱万丈は欲しくない。
「ただいまー」
と、言いながら澪は家の扉を開ける。
返事を期待した物では無かったが、予想に反して仁からの答えがあった。
「おかえり澪」
「おとーさん。早いね」
「ああ。今日は午後から休みだったからな」
「珍しい」
言いながら澪は鞄を自分の部屋において、水を飲む。
仁は五年前から教導隊に転属した。
澪には教官との違いが良く分からなかったが、要するに訓練生ではなく正規兵と模擬戦をして鍛える部隊……らしいという程度の理解はある。
教官時代よりも帰ってくるのが少し遅くなったし、偶に任務だと言って泊まりで出かけることもあった。
だからこそ、こんな澪の帰ってくる時間に既に帰ってきているのは珍しい事だ。
「実はまた任務が入ってな」
「そうなんだ。今度は何日?」
「まあそうだな。ざっと一週間ってところか」
結構長い。澪はそう思った。
とは言え、普段から家事は分担している。
別に仁が居なくとも何とかなるだろう。
「分かった。気をつけてね」
と言っても、澪は散々いろんな人から聞かされてきた。
仁の操縦者としての実力ははっきり言って異常の域だと。
三十代も半ばになって、ピークは過ぎたがそれでも尚、トップクラスを維持している。
事実、澪の記憶にある限り仁が怪我をしているのは――最初の一年以外で見た事が無い。
あの一年は船団の歴史の中でも異常な一年だったらしいので、例外中の例外だろう。
そんな訳でそれほど澪は心配していなかった。
また今回も少し留守にして、直ぐに帰ってくるのだろうと。
「それでだ。この辺の説明しておこうと思ってな」
澪の視界に被さっていた仮想ディスプレイへ仁がいくつかのドキュメントを転送する。
何気なく眺めていたそれの内容を理解して澪は訝し気な声を出した。
「契約書?」
「この部屋の契約書だ。こっちは光熱費の契約。それからこれがうちの銀行口座。全部使ったりするなよ」
「待って」
「後は、何かトラブルがあったらこの人に連絡してくれ。俺の上官だ。上手く取り計らってくれる」
「待っておとーさん」
今まで言われた事の無い言葉。
それはまるで――。
「何で、そんな事を今言うの……?」
遺言のようだった。
澪の中で嫌な予感が膨らんでいく。
普通が良い。
今までと同じ日常が良い。
そう思っていたのに。
「……正直に言えば、今度の任務が危険が大きい」
渋々と言ったように仁は口を開いた。
「宇宙移民が始まって以来の大規模作戦だ。ASIDの大本を叩く作戦になる」
その言葉に澪は制服のスカートを握り締めた。しわになるのも構わず。
「第三船団の護衛艦隊ほぼ全てで討伐することになる。正直に言って、それで勝てるか分からない相手だ」
仁は説明する。
船団をも超えるサイズの超大型種。
その内の一体が第三船団を捕捉してしまったのだという。
既にオーバーライトによる逃走は試みたが、相手はこちらを見失っていないらしい。
いずれ追いつかれる。そうなれば船団を守り切る事は出来ない。
「本当は、他の船団とも連携して討伐する予定だった」
だが、その時間的余裕が失われた。
戦力の逐次投入と言う愚を犯すことが分かっていながらも、船団を失う事だけは避けなければ行けない。
つまり、第三船団の護衛艦隊は――そのための時間稼ぎをしないといけない。
「まあ勝ち目がないって分かったらその時点で時間稼ぎに徹して逃げ回るから大丈夫だ。ただ万が一があるからな」
早口で仁はそう言うが、それに澪は素直に頷くことが出来ない。
「……危ない所行かないで」
我儘を言っているという事は澪にも分かっている。
だけど、今の話を聞いてしまったら澪には幼い日の様に我儘を言うしかできない。
そんな危険な所に行ってほしくないと思う。
「おとーさん、教導隊だって言ってた。他の人に教える所だって。だったら、そんな危ない所に行く必要、無い」
「ああ。そうだな……本当は、行かなくても良いんだ」
澪の懇願めいた言葉に仁は頷いた。
頷いて首を横に振る。
「すまん。今回は俺から志願した」
「なんで……」
「澪には話したことが無かったけど。俺は澪と出会う二年前に大事な人を喪った。この超大型種に殺された」
その時仁の瞳に宿った輝きは、遠い昔に見た覚えがあった。
まだ出会ったばかりの頃。おとーさんではなく仁と呼んでいた頃にあった輝きと同じだ。
「意味なんて無いのは分かってる。だけど俺は……どうしてもアイツの仇を討ちたい」
苦し気に、仁は胸元の指輪を掴んだ。
ずっと、仁が肌身離さずにいる歪んだ指輪の事を、澪はもちろん知っている。
何なのかと聞いた事も有る。笑って、大事な物だとはぐらかされてしまったが。
初めて聞いた今の話と統合すれば、これはその大事な人の遺品という事になるのだろうと澪は思った。
合わせれば十年。
それだけの時を経てもその誰かは仁の中に存在を残している。
行かないでと。
泣いて縋りつけばきっと仁は今からでもその仇討ちを諦めてくれる。
その予感が澪にはあった。
それが出来れば仁を引き留められるという予測。
八年間の娘としての経験がそう告げている。
「――絶対、絶対帰ってきて」
だけど澪は一歩引いた。
「危なくなったらすぐ逃げて。無理しないで」
ここで止めたら仁はずっとその誰かを引き摺るだろうという確信。
それは嫌だった。
自分のせいで父親が何かを我慢するのは澪には耐え難い。
代わりにぎゅっと抱き着く。
友達にファザコンと言われても構う物か。
ここが宇宙で一番安心できる場所なのだから。
「大丈夫だ。ちゃんと澪が大人になるまで死ぬつもりは無いから」
頭の上から笑い交じりの声が降ってくる。
髪を撫でられると、澪は幼い頃に戻ったような気持ちになった。
こうやって仁に抱き締められるのが何よりも好きだった。
「だめ。おばあちゃんになるまで生きてて」
「それは結構大変そうだな」
「絶対、絶対、絶対に帰ってきて」
危険な場所に行くというのならば、後はもう無事を願うしかない。
止められないのならば帰ってきてくれと祈るしかない。
「来月の誕生日。絶対お祝いしてね」
「約束する」
◆ ◆ ◆
そう約束したのに。
『派遣艦隊未だ帰還せずか。行政府からの正式発表無し』
そんなニュースが視界に入ってきて澪は無言で仮想ディスプレイを消す。
仁は約束を破った事は無い。
履行が遅れた事は結構あるが、約束したことは期日が過ぎても守ってくれた。
「……だから大丈夫」
そう自分に言い聞かせる。
予定を三週間超えた。
まだ仁は帰還していない。
どころか。共に出撃した艦隊が丸ごと姿を消したという。
誕生日まであと一週間。
おとーさんはまだ帰ってこない。
「普通が良いのに……」
八年越しに、また自分の周囲が混沌としてきたことに澪は唇を噛む。
父親が見つかりますようにと祈ろうとして――澪はそれを意識的に考えないようにした。
一年目に同じことを祈ったことがある。
やはり同じように仁が行方不明になって、見つかりますようにとお願いした。
何に願ったのか。
澪にも良く分かっていない。
だがその願いは叶った。
澪の知らない何かが叶えてくれた。
それが澪には怖い。
過去に澪が心の底から願った事が三回ある。
一つは、仁が宇宙で行方不明になった時。
一つは、惑星メルセで守が刺された時。
一つは、――仁と初めて喧嘩した時。
最初の一つ以外は願いを叶えてくれた相手を知っている。
その相手に、自分が恐怖を覚えていない事が怖い。
だってあれは。
人間の敵だとみんな言っている。
今までの歴史の中で、多くの人を殺したと言っている。
そんな相手に何故――自分は親近感を覚えているのか。
怖い。
怖い。怖い。
もしかして自分は、普通の人間じゃないかもしれないと思えてしまう事が怖い。
「おとーさん……」
父親の側にいればそんな不安は消えていた。
仁なら何が相手でも守ってくれるという安心感があった。
だけど今はその父親が居ない。
それだけで澪は己の恐怖に押しつぶされそうになる。
「早く帰ってきて……」




