02 一か月前2
「危ない事なんて止めればいい」
「そうはいってもアイツらから来るんだから仕方ねえだろ」
澪の言葉に、守は忌々しいとばかりに吐き捨てる。
その荒っぽい口調に、澪は身を竦めた。
彼の口からそんな棘っぽい言葉は聞きたくなかった。
「そっちはどうなんだよ、受験勉強」
「順調。エミッサも雅もとーや君よりよっぽど覚えが良い」
自然に口元に笑みを浮かべながら澪は守をそう揶揄う。
「期末試験の時は大変お世話になりました」
中等学校に在籍していた二年間。
その際の学力テストで追試を突破出来たのは澪のお陰だという自覚のある守は素直に頭を下げる。
いや、そもそもそれ以前から勉強において守は澪に頭が上がらない程に世話になっている。
それでもいつぞや吠えていた、学力ではなく運動神経で食っていくという言葉を実現してしまったのだから澪も驚きだった。
「んで、東郷はどうすんだよ。お前飛び級しようと思えば出来るだろ」
「うーん……」
その言葉に澪は表情を曇らせる。
確かに学力的に要件は満たしている。
澪さえ望めば、飛び級で大学に属することも出来るのだ。
「でも、やっぱり普通じゃないし……」
「飛び級何てしてる奴幾らでもいるだろ。俺だってそうだし」
「だけど普通は初等中等高等って順番に行くもの」
「そりゃあまあ一般的なカリキュラムはそうだけどさ。何かお前詰まんない奴になったよな」
つまらない。そう言われて澪は目を瞬かせる。
守の言っている意味が良く分からなかった。
「どういう事?」
少し、言葉に険が混ざる。
つまらないというからには、そこには何かしらの基準がある。
その基準を下回っている。
普通から外れている。
それが澪には許せない。
「普通に拘り過ぎじゃね? 前はもっと気ままに動いてただろ」
「そんな事……無い」
今だって、自分に嘘をついてはいない。
やりたいようにしていると澪には感じられる。
「突拍子もない事はするけどさ。一回やったらもう二度としないし」
「それは……普通そう」
むしろ突拍子もない事をし続けるのは変人では無いかと澪は思った。
「あ~何って言うかさ。こう、お前の中にある普通像に自分を押し込んでるような気がするってだけ」
それは去年までずっと隣でわーわーと騒いでいた守から見た澪の姿。
己に制約をかけているのではないかと言う見解。
その言葉を聞いて澪は。
「とーや君、どれだけ私の事見てた?」
それじっくりと観察していないと分からないよね? と澪は小首を傾げる。
「見てねーし! 何となくそう思っただけだし!」
ええ……と澪は疑いの眼差しで守を見る。
絶対それは嘘だと断言できる。何故ならば。
「だってとーや君の視線しょっちゅう感じる」
「気のせいだよ! あと普通の学生は視線何て感じねえ!」
そうなのか、と澪はまた一つ普通を学習した。
澪が今後気を付けようと思おう一方で、守はつい自分も普通と言う言葉を使ってしまい苦々しい表情になる。
「兎に角、やりたい事やった方が良いと思う。いつ死んじゃうか分かんないんだからさ」
その言葉は十五歳とは思えない程の実感が込められていた。
守は一度死にかけた。
惑星メルセで奇跡の様な偶然に救われなければ今頃彼の身体は分解されて、船団の循環元素のひとつとなっていただろう。
自分自身が死んでしまう事も有り得るし、何かしたいと思っていた相手が死んでしまう事も有り得る。
澪の目からすれば生き急いでいる様に見える守の姿は、そう言う実感から生まれた物だという事が分かる。
だからこそ。
「とーや君には分からないよ。普通から外れる事がどれだけ怖いのか」
澪の今の姿は、澪の得た実感から生まれた物だ。
「私は、普通で良いの。普通が良い」
普通の平均的な日常を送りたい。
起承転結なんていらない。
ずっとフラットで居たい。
何もない、昨日と同じ今日が続けばいい。
何時しか抱いた澪の願いはそれだ。
「私がやりたいことは、朝とーや君とお喋りして、授業を受けて、エミッサ達とお茶して、おとーさんとご飯食べる事」
と、己の率直な気持ちを告げたのだが。
何故だか守は顔を背けた。
「人がちょっと真面目な話してるのに何で顔背ける?」
「ちょっと真面目な話だから背けてんだよ! くそ、この天然!」
何で怒られたのか分からず、澪は頬を膨らませる。
自然に、澪の日常の中に自分が含まれていると聞かされた守としては赤面を隠すためにはそうするしかなかった。
「と、兎に角。進路は自分で決めた方が良いぞ。普通とか、周りに流されてってのは止めた方が良い」
「む。何か一人先に進路決めたからって大人ぶってる」
「惰性で決めると後で後悔するって話だよ。自分で決めたのなら納得できるけど、流れで決めたらああすればよかったこうすればよかったって思うだろ」
流石、自分でさっさと決めた人はいう事が違うと澪は思い、己の進路に想いを馳せた。
「人任せに何てしないよ。ちゃんと自分で選んで決めてる」
「なら良いんだけどよ……俺も気合入れないとな。後七年くらいで兄貴を追い越して東郷の親父よりも強くならないと」
「……? 何でおとーさんが出てくるの?」
「……お前は知らなくていい事だよ」
言われたのはもう八年も前の事になるが――その言葉を思い出した守は表情を青ざめさせたという。
◆ ◆ ◆
「おはよう澪。旦那に送ってもらったって?」
「おはようエミッサ。旦那って?」
誰? と尋ねてくる澪にエミッサは深々と溜息を吐いた。そのまま抱きしめて頭を撫でまわす。
「うんうん。澪はそのままでいてね」
「良く分かんないけど分かった」
赤い髪を後ろで束ねた元フェンシング部のエースは、相変わらずの親友が抱く某人物への認識に安堵を抱く。
ここでさっと名前が出てくるようではちょっと心配だ。
――何しろ、この娘天然の人たらしだ。その気になれば少なくない人数が澪の為に働こうとするだろう。
誰かを特別視したらそれだけで一騒動が起こりそうである。
「あ、澪ちゃんおはよう。それじゃあ始めよっか」
登校してきた澪に気付いた雅が柔らかく挨拶する。
親友二人の姿を、澪は見比べる。
エミッサは背が高い。守と並んでも見劣りしない位には。
全然伸びなかった澪とは対照的に、制服も一度買い替える程にぐんぐんと伸びた。
文芸部の雅は、黒い髪を編み込みにしている。
身長はそれほどでもないと言っても澪よりは高い。
何より。この三人の中では最も性徴著しい。
どちらも平均以下である澪は少し羨ましさを覚えずにはいられない。
流石にこればかりは普通――言い換えれば平均を求めても簡単には行かない。
毎朝三人で集まっている受験勉強。
文系は雅が、理系は澪が得意なので互いの得意分野を教え合う形だ。
尚、エミッサはどちらかと言うと教わる側である。
「この制服を着るのもあと四か月」
「ここの制服可愛かったから愛着あるよね」
「雅の志望校は私服だっけ?」
「うん。一応制服もあるみたいだけど……ちょっとね」
「あーあの茶色いやつね……」
「茶色はちょっとね……」
「茶色」
無いな、と言う結論が無言の内に三人の中で出た。
「エミッサの所のは白くてカッコいい」
「面白みのない学校よ。第一船団の物真似だし」
「全寮制の女子高って他にないよね」
「レア」
「古臭いだけよ。馬鹿馬鹿しい価値観だわ」
エミッサの志望校は、完全に親の意向だ。
彼女と同じような政治家や資産家の子女が集まる学校。
今の内に人脈構築に励めと言う意図が見え隠れする。
「澪の学校は……普通よね」
「シンプルで可愛いと思うよ」
「二人とも正直に言っていい。地味」
澪の志望校は第三船団でも最も偏差値が高い。
大学レベルの学力を持つ澪にとって、高等学校へ進学するのならば他の選択肢は無かった。
「結局、進学先はバラバラになっちゃったね」
「仕方ない」
「雅だったら澪の学校行けない事も無いんでしょ?」
「うーん。ちょっと背伸びすれば行けるかもしれないけど……今の志望校の方が文芸関係強いし」
「それにエミッサ一人仲間外れになったらエミッサ泣きそう」
「泣かないわよ! むしろ私は澪が心配よ。このド天然」
うりうりと、澪の頬に人差し指を押し付けるエミッサ。
されるがままになりながら澪は反論する。
「私は天然じゃない」
「学校で鍋作ろうとする奴が何か言ってるわよ」
「あれにはびっくりしたね……」
「校則では禁止されてなかった……」
東郷鍋事件と言う、中等学校でちょっとした語り草になっている出来事があった。
まあ内容としてはそのままだ。冬のある日に、澪が学校のお弁当に鍋を持ってきたのだ。
「あれで躊躇なく鍋を囲んだ東谷君は凄いよね……」
「正直、私はアイツをあの時尊敬したわ」
結局四人で鍋をつついて、四人で仲良く注意を受けたのだが。
「澪一人になって心配だわ、ホントに」
「エミッサ。私も十五になって常識を身に着けた。もうあんなミスはしない」
「十三になって学校に鍋を持ち込まないって言う常識を身に着けてなかったアンタの申告は当てにならない」
どうやら澪の常識に対する信用度は相当に低い様だった。




