12.磨け!はづき
突然掌に現れた、いつも洗面所にある自分の歯ブラシを使って丁寧に優しく歯を磨いただけで、目の前で必死に戦い続ける執事の体力や傷が回復し、より力が増す――そんな意味の分からない都合の良すぎる話が、現実に起きるはずはありません。ですが、ここははづき自身の夢の中。彼女が自らの思いを込めて歯を丁寧に磨けば、彼女に仕える執事ブラッシュはさらに強くなり、『歯周病』を少しづつ追い詰め始めていくのです。
『ぐっ……貴様……』
『聞こえていませんでしたか?お嬢様を舐めてもらっては困る、と』
巨大な歯ブラシを武器に、鋭いサーベルによる攻撃を受け止めながら、ブラッシュは懸命に歯を磨くはづきにアドバイスを送り続けました。強く擦ると効果が薄れてしまう、優しく丁寧に歯を綺麗にしていくように、と。
『歯にこびり付いた汚れを取る、それを意識してください!そうすれば、悪魔の巣窟を払いのけられます!』
彼の言葉に従い、自らの歯を丁寧に磨き続けるはづきは、少しづつ口の中がすっきりしていくように感じ始めました。今まで苦手としていたのが嘘のように、彼女はこの感覚を気持ちよく感じていたのです。
それと呼応するように、ブラッシュも次々に鮮やかな技を繰り出していきました。はづきが奥歯を磨けばブラッシュは『歯周病』の蹴りを瞬時に受け止め、歯の裏側にブラシを当てればブラッシュもまたサーベルを軽やかに避け、武器である巨大歯ブラシを『歯周病』へと向けました。
そして、ついに彼の巨大なブラシが、悪魔のようなイケメンの体に当たりました。それを見たブラッシュは、渾身の力を込め、目の前にいる敵の体を擦ったのです。
『うおおおおお!!!』
『があああああ!!やめろおおお!!!』
その途端、悲鳴と共に『歯周病』の体が少しづつどす黒い泡へと変貌していきました。こびりついていた汚れが、ブラシの一撃によって消えていくかのような光景でした。ブラッシュによる攻撃と勇気を振り絞ったはづきの歯磨きが、ついに悪魔のような病気に一打浴びせる事に成功したのです。
やりましたね、とブラッシュは口元に笑みを浮かべました。ずっと厳しい表情ばかりを見せていた彼が、初めてはづきお嬢様に笑顔を見せたのです。それを見た彼女も、その嬉しさを存分に表わそうと笑顔を見せようとしました。
ですが、その直前――。
「……!!」
――はづきの首に、信じられないものが突きつけられました。いつの間にか彼女の元に現れた『歯周病』が、悪あがきと言わんばかりに彼女にサーベルを突き立て、人質にしようとしたのです。夢とはいえ、目の前に恐ろしい武器がある状況にはづきは瞬時に笑顔を失い、顔を蒼ざめさせてしまいました。そして、歯ブラシを持っていた右手も、口元に近寄れない状況になってしまいました。
少しでも動けば、こいつの命はない、と『歯周病』は脅しました。歯だけではない、それ以外の全ての部分を奪い尽くしてやる、と。ですが、ブラッシュは全く動じる姿勢を見せず、『歯周病』へ冷たい視線を向けるだけだったのです。その状況に苛立った『歯周病』が、サーベルを持った手を動かそうとした瞬間、突然ブラッシュが何かを投げつけました。その直後――。
『う、うわああああああ!!』
――何とか助かったはづきが目にしたのは、白い矢のような何かが手の甲に刺さり、その部分がどす黒い泡になって消えていく『歯周病』の姿でした。そして彼女は、右手に持っていたはずの歯ブラシが、取っ手がついた小さな弓のような何かに変わっている事に気づきました。
「これは……?」
『『フロスピック』、歯の隙間に潜む連中を掻き出す特殊な装備です』
少し痛いかもしれないが、これを歯の隙間に入れて掃除をすれば、ほぼ目の前の悪魔を追い払う事が出来る、もう一息だ――ブラッシュの言葉に励まされながら、はづきは『歯磨き』の最後の仕上げを始めました。
『や、やめろ…ぐはっ……!!』
歯磨きの方法を学び、執事ブラッシュを助ける決意を固めたはづきに『歯周病』は敵いません。彼女が歯の隙間に溜まった歯垢をフロスピックで取り除いていくうち、どんどん彼の体は泡になって消えていったのです。執事ブラッシュがわざわざ手を出さずとも、勝敗は既に決定していました。
『……もう良いでしょう』
「……ふう……あ!!」
一仕事を終えたはづきが見たのは、悪魔のような『歯周病』の成れの果てである、汚く黒い泡の塊でした。人間の姿を保てなくなった彼は、もうはづきの夢の中にいる事は出来なくなりました。彼女はついに、勝利を収めたのです。
ところが、消えていく間際に彼ははづきたちに向けて恨み節のような言葉を告げました。既に自分たちははづきに狙いを定めた、これからも絶対彼女を奪う事を諦めない、と。
『また会おう、憎き執事とお嬢様……ははははは!!!』
そして、倒れていた部下たちとともに、『歯周病』ははづきやブラッシュの目の前から消え去っていきました……。




