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13.最後のアドバイス

「ぷはぁっ……」


 『歯周病』が逃げ去ったことで体の自由を奪っていたベルトが消えたはづきは、執事ブラッシュと共に薄暗い密室から抜け出し、元の豪邸へと戻る事が出来ました。そして執事に連れられ洗面台へと向かった彼女は、そこにあった大きなグラスを使い思いっきり口をすすぎました。たっぷりと歯のケアをした後のうがいは、最後の仕上げに欠かせないものです。

 これで彼女の口は、今までにない爽やかさを感じる事が出来る場所に変わりました――とは言え、あくまでも夢の中だけですが。


 そしてはづきは、ずっと側で見守っていた執事ブラッシュの体に抱きつきました。ずっと嫌味で冷たいと想い続けていた彼の体は、まるでお嬢様を優しく包むような暖かさを持っていました。


「ごめん……本当にごめんなさい、こんな迷惑をかけちゃって……」


 改めて、彼女は今までの無礼や迷惑、そして短絡的な考えで彼をクビにしてしまった事を謝りました。ですがブラッシュは怒らず、これまでのような嫌味も言わずに彼女の頭を優しく撫でました。お嬢様が執事にそこまで謝る必要はない、むしろ彼女に厳しい言葉を言い続けてしまった自分の方が責任は大きい、と謝り返しながら。その感触は、ペリオンと名乗っていた『歯周病』による偽りのものより遥かに優しく、そして柔らかいものでした。


『……それにしても、安心しました』

「どうして?」

『お嬢様が、『歯磨き』の楽しさを分かって頂けた事ですよ』

「……ああ!」


その言葉を聞いて、はづきはある事にようやく気づきました。あの悪魔のようなイケメンの正体が、彼女から歯を奪おうとしていた『歯周病』なら、それからずっと身を守るべく奮闘し、様々な歯をケアする道具を駆使して戦った彼の正体は――!


「ブラッシュ……もしかしてアナタは……!」

『……やれやれ、お嬢様は相変わらず勘が鈍いですね』

「むう、また嫌味……でも、本当なの……?」

『ええ、その通りです』


 ――いつも彼女が丁寧に使ってくれるのを待ち、『現実の世界』にある洗面台で寂しく佇んでいた1本の歯ブラシ、それこそが自分である、と執事ブラッシュは改めて彼女に告げました。自らのフルネームは『トゥースブラッシュ(Toothbrush)』、日本語に訳せばまさに「歯ブラシ」と言う意味になる言葉だ、と付け加えながら。ずっと彼がお嬢様に厳しい態度を取り続け、とりわけ食べ方や食後のケアについて口煩かったのも、まさしく歯を守ると言う彼の使命故だったのです。


 とは言え、流石の彼でも過去に歯ブラシが嫌いになってしまう出来事があったと言う事までは、把握しきれていませんでした。ドSを通り越して嫌味ったらしく傍若無人とも取れる発言ばかりしてしまったのも、そういった事情を知らず、無理やり彼女に歯を磨くよう促そうとしたためだ、と『歯ブラシ』は語り、そしてもう一度謝りました。でも、もうはづきはそのような事を気にしていませんでした。夢の中とは言え、今までずっと抱えていた不安が拭え、歯磨きが好きになったのですから。それに、体がボロボロになってもなお『お嬢様』を助けるために奮闘した執事に怒るなど、とても出来なかったのです。


 ただ、彼女には1つだけ、執事に言いたい事がありました。


「……それに、ねぇ……♪」

『どうしましたか、お嬢様?』


 何かを言いたげな表情を見せたはづきに近寄り、不思議そうな顔を見せた執事に向けて、彼女は元気そうな声で言いました。


「……ぺこぺこ私に謝るブラッシュを見れただけでも、十分良い夢見れちゃったからねー♪」

『……お、お嬢様……』

「ふふーん、今までの『嫌味』返し♪」


 勿論、はづきも執事も嫌な顔は見せませんでした。

 これで互いにおあいこだ、と言い合いながら、二人は心の底から思いっきり笑いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


しばらく経った後、執事ブラッシュ――いえ、はづきの家にある『歯ブラシ』は、そろそろこの『豪邸』を去る時間が来たようだ、と彼女に告げました。真剣ながらもどこか寂しそうな表情に一瞬驚いてしまったはづきでしたが、すぐに状況を理解しました。何せ彼女は学校に通う女の子、もう少ししたら夢の中から現実へ戻らなければならないのです。

お菓子がいっぱいあるこの豪邸や目の前にいる執事とは、これでお別れしないといけないかもしれない、と考え、それを口にしたはづきでしたが、執事ブラッシュは彼女の目をじっと見つめ、真剣なお面持ちで言いました。ここからが、本当の勝負の始まりになる、と。


『覚えていませんか、お嬢様?あの時『歯周病』が、去り際に放った言葉を』

「言葉……ああ!!」


 いつでも機会があれば、彼女の元に現れて、その歯を奪ってみせる――執事ブラッシュの猛攻を受けても倒されなかった『歯周病』は、そう捨て台詞を残し、高笑いのまま消え去りました。これからもし、彼女が油断でもしたら、奴はまた夢の中に現れ、現実世界でも歯を脅かさんと動き出すでしょう。

 一体どうすれば良いのか、と不安な顔を見せたはづきに対し、執事ブラッシュは安心させるような笑顔を見せました。こう言う時のために自分――歯ブラシがいる、と。


『あの時のアドバイス、覚えているでしょう?』

「優しく丁寧に……そうすれば歯ブラシは痛くない……うん!」

『流石お嬢様です』


 そして、ブラッシュはより歯を守る力をさらに高めるためのアドバイスをはづきに伝えました。朝起きた後は食べる前に口をすすげば舌に潜むバイキンを追い出せる、歯磨き粉を有効活用するのも一手だが歯磨き粉を使う時は歯ブラシは濡らさない方が効果が上がる、フロスピックなども使えば歯ブラシが届かない歯の隙間も掃除出来る――恐ろしいバイキンから身を守るために様々な手段が編み出されている事を、改めて彼女は知りました。


『それと、もし歯ブラシの毛並みが悪くなってきたら、取り替えてください』

「え……じゃあブラッシュは……」

『ご心配なく。貴方が大事に歯ブラシを使ってくれる限り、私は不滅ですから』

「良かった……」


 イケメン執事からの説得力ある発言やアドバイスを、はづきはしっかり心に刻みました。ところがそんな彼女に、執事は意外な言葉を述べました。確かにこれらの方法を使えば歯周病の被害を防ぐ事ができますが、歯に溜まった歯垢が固まった『歯石』、大量のバイキンがこびりついた根城『バイオフィルム』などは、歯磨きを行っても決して取れず、どうにもならないのです。

 あの時、去り際に歯周病が言った捨て台詞は、まさにこの事だったのかもしれません。


「じゃあ、どうすればいいの……?」

『決まっています、『歯医者』の力を借りるんですよ』

「……ああ、そっか!」


 確かに治療は少し痛いかもしれないけれど、『歯周病』など歯を狙うミクロの悪魔たちとって最大の天敵である彼らの力をぜひ頼りにして欲しい、と執事は言いました。歯医者さんは決して私利私欲で動いている人ばかりではない、誰かの病気を治したい、患者さんの明るい笑顔が見たいという強い信念を持つプロフェッショナルが圧倒的に多い、と自信たっぷりに告げたのです。

 そして、なるべく定期的に訪れて歯のメンテナンスを行って欲しい、と彼は付け加えました。はづきお嬢様が綺麗な歯を持ち続けていられる事こそが、自分にとって何よりの幸せだ、と笑顔を見せながら。


『……目覚めてからしっかり出来ますよね?』

「勿論。ブラッシュ、私を舐めないでね」

『了解しました』


 もうすぐ目覚ましのアラームが鳴る事を察知した二人は、改めて固い握手をしました。夢の中では暖かい執事の手を握っているはづきの右手には、目覚めた後からは白い毛並みの歯ブラシが握られる事でしょう。


『……これからも、よろしくお願いします。はづきお嬢様』

「こちらこそ、ブラッシュ」


 やがて、はづきやブラッシュの周りの景色は眩い光に変わっていきました。長いようであっという間だった夢を、ハッピーエンドで終わらせるかのように……。

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