第61話 カルマを運ぶ者
――――殺しに行く。
この無慈悲な世界にいてもなお、今までの俺はどこか平和ボケが抜けていなかった。
日本という世界平和度指数十二位。年によっては一桁台に位置する安全な国で生まれ育って根付いた価値観や倫理観は、これからは捨てなければならない。
いや。 ――――もう捨てた。
俺は心のどこかで、自分の手を血で汚すのを拒んでいた。恐れていた。
踏み越えてしまったら、もう戻ってこれないような気がして、怖かった。
魔族や魔物の命は平気で奪ったくせに。くだらなく傲慢なエゴだ。
――――その恐怖や倫理観を捨ててこの手を血で染めた苦悩と、大切な人を失う辛さを天秤にかけた時、苦痛はどちらに傾くのか。
それはやってみないと正確にはわからない。
だって ――――俺はまだ誰も殺したことがないんだから。
ただ、今の俺にもう迷いはない。
苦しくても構わない。俺にとって大切な人たちを守れるのなら、それが最善だと今の俺は思うから。
アミールを死なせてしまったこの苦しみや後悔を超えるものは、そうそうないと、どこかで確信している。
「――リント様、大丈夫ですか?」
フェリドゥーンの声が聞こえる。どうやら俺を心配してくれているようだ。
セレイナもセフィリアも、心配そうに俺のことを見ている。ベルセフォネだけが意味深な笑みを浮かべている。そんなに何が可笑しい。
目が合うと、ベルセフォネは俺の前に来て膝をついた。
「このベルセフォネ、どんな望みでも叶えて御覧にいれます。何なりとお申し付けください、――主様」
忠誠を示すポーズとは裏腹なその口調と表情に、俺は幾許の不快感を覚えた。
一体何のつもりだ。
「白々しい態度はやめてくれ。今まで通り接してくれればいい」
「――――そう。わかったわ、凛人 ……でも、真意は言葉の通りよ」
「ああ。ありがとうベルセフォネ、心強いよ」
と、その時。
これは…… 近くに何かがいる。この反応は――――
俺は、井戸から少し離れた小さな小屋の方へと向かった。
「凛人さん?」
「――ここに誰かいる」
「え? あ……そう言われてみれば」
「私も言われるまで気づきませんでした」
アミールの死を目の当たりにしてから、俺の感覚は自分でも不快なほどに研ぎ澄まされていた。
今の俺には、地を這う虫や辺りを飛ぶ羽虫の気配さえ手に取るようにわかる。
その時、カタリと納屋から音がして、ドアが開いた。
「――――エリオ」
出てきたのは、アミールの弟のエリオだった。エリオは頭を打ったのか、側頭部を抑えフラフラとしている。
「エリオ、無事だったのか。よかった」
「え?……リント兄ちゃん、どうしてここ……に……」
エリオは、俺の腕の中で眠っているアミールを見て言葉を詰まらせた。
「ね、姉ちゃん…… どうしたんだよ!姉ちゃん!!」
アミールの手に触れたエリオは、驚いてその手を離した。
「つ、つめ……たい……」
「――――アミールは、レヴィアタンに殺された」
「そ、そん……な…… ――――父ちゃんと……母ちゃんは……?」
その問いに、俺はゆっくりとかぶりを振った。
エリオの顔色が青ざめていく。
「……思い出した。たくさんの悲鳴が聞こえてトイレから出たら……父ちゃんが来て隠れてろって。そこから……覚えて……ない」
おそらくユーノリアさんはエリオを気絶させてトイレに隠したんだ。そして、アミールのところで……
エリオは静かに眠るアミールを再び一瞥すると、膝から崩れ落ちた。
「ね、姉ちゃん……父ちゃん……母……ちゃん。……うわあぁぁあ――――!!!!」
エリオの鳴き声が、今は誰もいなくなった村に響いた。
俺は泣き叫ぶエリオを、無理になだめたりはしなかった。
家族を失うショックや悲しみは、俺もよくわかっている。今は、気の済むまで泣かせてあげよう。
――――その時が来た時に、流す涙を残さないように。
♢
どれくらい泣いていただろうか。エリオは泣き疲れて眠ってしまった。
「――エリオさん……」
セレイナが心配そうにエリオに膝枕をしてあげている。
「これでいい。……今はこれでいいんだ」
「……はい」
俺たちはアミールの家に向かい、エリオをベッドに寝かせた。
「今日は気温が高いから、村の人たちの遺体が腐敗しないようにしたいんだけど、だれか氷魔法を使えない?」
「――すみません。氷魔法は……」
「私も他属性の魔法はちょっと」
「……そうか」
その時、セフィリアが控えめに手を上げた。
「氷魔法は練習中で、凍らせたりまではできませんけど、冷やすくらいなら私できます」
「それでも助かるよ、セフィリア」
俺たちは村人の遺体を中央の広場へと集め、セフィリアがそれを冷やしていく。
薄く肌に霜が付いた程度だが、これでも十分だ。エリオが起きるまで持てばいい。埋葬にはやはり村の人間であるエリオも立ち会うべきだと俺は考えていた。――家族の遺体もあるから尚更だ。
「ありがとうセフィリア。疲れただろ?俺たちも少し休もう」
セフィリアが俺の顔を凝視している。なんだ?
「どうした?セフィリア」
「さっきのリント様が……ちょっと怖かったから。変わっちゃったのかなって少し心配で……」
「……何も変わってないよ。ただ」
「ただ?」
「――――ただ、覚悟を決めただけさ」
そう。この世界で、大事なものをこれ以上無くさないための覚悟を――――
♢
やがて日が沈み夜も更けたころ、エリオが目を覚ましてきた。
顔色も悪く、ボーっとしていて目の焦点もどこか合っていない。
「――エリオさん、もう起きて大丈夫なんですか?まだ休んでいた方が――」
「ごめんセレイナ、俺が話すよ」
俺は歩み寄ろうとしたセレイナを制止して、エリオの前に歩み寄った。
「――――アミールは。姉さんはレヴィアタンに尊厳を傷つけられて、弄ばれながら失意の中、死んでいった」
俺の言葉に、放心状態だったエリオがピクリと反応を示した。
「り、凛人さん。もう少しエリオさんに――――」
俺は、セレイナに待つように手でジェスチャーをした。
俺がエリオに放った言葉は、普通に考えれば傷心し、失意の中にいる人間にかける言葉ではない。ましてや、エリオはまだ11歳の子供だ。
でも、今のままではエリオはろくな人生を歩むことはないだろう。この世界は無慈悲だ。ティーレの町に逃れたとしても、天涯孤独な子供が一人で生きていけるほど甘くはない。高確率で悪い大人に捕まり利用され、そして野たれ死ぬ。
例え運よく良い人に拾われても、俺たちが気を使って匿っても彼の心を深く抉った傷は一生消えず、何れ死ぬその時まで彼を繰り返し蝕み続けるだろう。
今彼に必要なことは優しく包むことじゃない。彼に必要な言葉は、砂糖を吐くような甘い言葉じゃない。
彼はただの悲運な被害者のままで生きてはいけないんだ。
「――――エリオ」
「…………」
「これからレヴィアタンを殺しに行く」
「…………」
「――――家族を殺したやつは俺が探し出す。だから、そいつらをお前が殺すんだ」
その言葉に、エリオは力なく顔を上げた。
「――――俺……が……?」
「そうだ。お前がとどめを刺して、姉さんたちの敵を取れ。強い冒険者になりたいんだろ?」
「…………うん……なり……たい。でも……」
俺は剣が収まった腰の鞘を外し、エリオに差し出した。
「この剣はヴォルフ・ガーナインの王様に貰った由緒ある剣だ。これをお前にやる、取れ」
「これ……を? ――あっ!!」
エリオは剣を受け取ると、支えきれずに床に落とした。この剣は前に俺が着ていた鎧と同じガエラ金属が使われていて、重さは通常の剣の数倍はある。その代わり切れ味もそこいらの剣より数段上だし刀身も丈夫な高価な剣だ。
「すごく重いだろ?その剣を使って練習しろ、俺が知っていることを全てお前に教えてやる。その剣を意のままに扱うことが出来たら、お前は一人前だ」
「これを……」
消え入りそうだったエリオの瞳の輝きが、少しずつだが生気を取り戻していく。
「生きていればいつか必ず、大切な人がまたお前にできる。その時はその力で守ってやるんだ。二度と失わないように」
エリオの顔が完全に復活した。いや、以前よりもいい顔だ。
ボロボロに打ちのめされた少年は、必死に悲しみを乗り越えようとする漢の顔になっていた。まだ辛いだろうに……この子は本当に強い子だ。俺なんかよりずっと。
「わかった。――俺は必ず、称号持ちの冒険者になる。そして、大切な人を守れる男になる」
「そうだ、強くなれ。もう、奪われる側になるな」
「……うん。強くなりたい」
これでエリオは、多分もう大丈夫だ。あとは――――
「アルマ、いるんだろ?」
部屋の隅にアルマがスーッと姿を現した。
「さすがでございます、リント様。つい先ほど戻ってまいりました」
「アルマ、レヴィアタンのアジトはどこかわかるか?」
「はい。ここから東へ十キロほどのところに廃村がございます。元はイルエという村でしたが、現在はそこの村民を皆殺しにし、ねぐらにしているようです」
「……現在は?」
「はい。やつらは村々を襲いながら定期的に拠点を変えている模様」
なるほど、村を襲ってはアジトを変えているのか。騎士団と繋がっているようだからその対策ではないか。冒険者を使った報復を避けるためか?
なんにせよ、早めに始末しないとこの村のような悲劇が繰り返される。
「ありがとうアルマ。すぐにその廃村へ向かう。夜更けだから奴らもアジトにいる可能性が高い」
俺は大事そうに剣を抱えているエリオに声をかけた。
「エリオ、一度手を汚したら後戻りはできない。その覚悟はあるか?」
「――俺は……家族を殺したあいつらを許せない。もう覚悟はできてる」
「そうか――――」
そういったエリオは震えていた。しかし、その拳は力強く握られていた。
♢
俺たちはフェリドゥーンが落雷で開けてくれた穴に、一人一人丁寧に遺体を埋めていった。
本来なら、伝染病などの対策に火葬のほうが良いんだけど、この国のしきたりを重んじて土葬にした。
アミールたち三人は、エリオが土をかけ埋葬した。
「――――母ちゃん、父ちゃん、姉ちゃん…… 必ず仇は取ってくるから。俺……強くなるから、安心して眠って」
「――じゃあ行こうか、エリオ」
「はいっ!!」
「それではどうしましょう。凛人さんとエリオさん二人ならなんとか私が――」
「大丈夫。アジトまではそう遠くない、俺とエリオとアルマで行く。みんなはティーレの宿で待っていてくれ」
「――は、はい。わかりました……」
まただ。最近、セレイナはふとした時に悲しそうな顔をすることがある。
俺が何かしたんだろうか。特に心当たりはないが――――
「どうかしたの?セレイナ」
「い、いえ、なんでもありません。お気をつけて行ってきてくださいね」
「ああ、じゃあ行ってくる」
この世には業という言葉がある。因果応報ともいうが、俺はその言葉が好きだった。
じいちゃんはよく言っていた。悪いことをすると必ず返ってくるからね。だから良い行いを沢山しなさいと。
だから俺は、人を不快にしないように、笑顔を振りまいて真っ当に生きてきた。
俺がいた世界でも、悪人はいくらでもいる。犯罪者ではなくてもだ。
その人間の陰では、いくつもの涙が流れ、その悲しみや苦しみの上にそいつらは富だったり地位だったり、幸せを築いている。
じゃあ、因果応報、悪因苦果というものが本当にあるのなら、その人間たちはみんな報いを受けて不幸になっているのか?
答えは否だ。
どれだけ人を苦しめても傷つけても、幸せな人生を送っている人間は大勢いる。俺は向うでの四十年の人生でそういう人間を何人も見てきた。
捜査力も司法制度も、日本の足元にも及んでいないこの世界なら尚のことだ。このエルカデ村の悲劇も、誰も取り締まることもなく野放しにされている。
因果応報なんて言葉は、奪われる側の弱者が『そうであってほしい』と思って縋りついているだけに過ぎないと、今の俺は思っている。
――――でも、俺はその言葉が好きだったんだ。
報われないと頭の隅では思っていても、どこかで俺もその言葉に縋りついて、正しくいようとしてきた。
――――人を傷つけて、奪っておいて、幸せであっていいはずがない。
そう、俺自身がそいつらの業となって、自分がしたことの報いを運んでやろうじゃないか。
今の俺ならそれができると、確信している。
持てるすべての力を使ってでも、俺がこの世界の秩序になってみせる。
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