Ⅱ-28 確執
「――遂に蛇からの情報提供が途絶えました」
影が報告すると、アブトマットは薄く笑った。
「ほう。流石に私には付いて来られんと見える」
「……いえ。正確に言えば蛇の存在そのものが消えたのです」
「なに?」
意味が掴めず、眉をひそめる。
消えた?あの蛇が?
「どういうことだ」
「説明がつきません。王都の街中はもちろん、教会本部にすら姿がない。まるで一夜にして組織そのものが消滅したようで……」
馬鹿な、とアブトマットは奥歯を噛み締めた。
だが、もし事実なら――大僧正カルカノの力は半減する。
「確かめねばならんな」
その日のうちにカルカノの執務室へ踏み込んだ。
「どういうことだ、大僧正。蛇の影がまったく見えんぞ」
扉を乱暴に開け放つアブトマットに、カルカノは静かに顔を上げて答えた。
「蛇は――解散致しました」
「……なに?」
「ええ。組織そのものを消しました。今や蛇は存在しません」
「貴様の言葉など信用できるか」
「こちらへ」
カルカノは立ち上がり、無言で歩き出す。
地下へ続く階段を降り、鉄扉の前に立った。
「ここは……?」
「蛇が拷問に使っていた場所です。一度に百人を収容できる広さがある」
扉が開かれた瞬間、血の匂いが鼻を刺した。
薄明かりの中、床を埋め尽くすのは夥しい数の死体。
「これは……!」
「蛇です。全員、自決させました」
「なぜだ!?」
アブトマットの叫びを背に、カルカノは静かに言った。
「摂政殿。貴殿の行いは王を蔑ろにし、国を我が物とする軍事政権強奪に他なりません。私は貴殿に失望しました。――故に、蛇を棄てました。これより先、私は政には一切関わりません」
それだけ告げると、カルカノは背を向けて去っていった。
残されたアブトマットは、しばし呆然と死体を見下ろし――次第に笑いが込み上げてきた。
「ククッ……クハハハ……アハハハハ!」
全てを自らの手で葬ったかのように。
これでカルカノは牙を抜かれ、審議会からも遠からず消える。
邪魔者はもういない。
ヴィルなどどうにでもできる。残る障害は大后シャルロットだが、暗殺すれば済む話。蛇のいない今なら造作もない。
「些か時間はかかったが――これでこの国はすべて私のものだ」
†
翌日の審議会に姿を見せたのは、丞相ウィンチェスターただ一人だった。
「陛下と殿下はどうした」
「体調を崩され、床に伏せておられます」
「二人揃ってか」
「城下は血腥く、王宮ですら重苦しい。……無理もありますまい」
「それは私への批判か、丞相」
「いいえ。街の噂です。摂政殿も耳にされているのでは?」
確かに、粛清の熱狂は冷めつつあった。
「王と大后が倒れたのは摂政の暴走のせいだ」
――そんな囁きが広がりつつある。
「まあいい。審議会も空席ばかりだ。代わりに私が信頼する者を入れる」
連れてこられたのはシグ家家臣団の数名。
要は、自らの意のままに動く傀儡を並べるということだ。
その光景を前に、ウィンチェスターは思い返していた。
『私は去りますが、貴方だけは丞相として残ってください。それが王国のためなのです。』
カルカノの言葉。
彼が戻る時まで、自分は最後の砦として立ち続けねばならない。
やがて粛清の犠牲は百を超え、街では元プフ住民への私刑が頻発する。
王都の治安は急速に崩れ、毎日のように死体が転がった。
王都は、貧民窟の臭気に覆われていった。




