Ⅳ-4 到着
シェリダー川の双子城が視界に入ったのは、王都を発って四日目の午後のことだった。
南へ向かうにつれ、空気の質が変わっていく。北の石畳と城壁の匂いから、水と泥と腐葉土の匂いへ。道の両側には葦原が広がり、その向こうに鈍く光る水面が見え隠れする。シェリダー川は広い。王都の運河とは比べ物にならない。川幅は四、五百メートルはあろうかという規模で、流れは緩やかだが、その底の深さを想像させる重みがあった。
エンフィールドは馬上から、前方に積み上がる影を無言で見つめた。
遠目には「城壁の重なり」にしか見えない。だが近づくにつれ、その構造の異様さが輪郭を持って迫ってくる。城門から城に向かって、街そのものが階段状に積み上がっているのだ。最下層の城壁、その背後の市街地、また石壁、また市街地——幾重にも重なる防御の層が、まるで生き物の鱗のように城を覆っていた。
夕暮れ前の傾いた陽が、その石積みの表面を橙色に染めている。美しい、とさえ思えるその光景が、同時に恐ろしく見えた。
「……堅いな」
エンフィールドの呟きに、隣に馬を並べたフリッツが小さく頷く。
「王国随一の交易拠点ですから。攻めるためではなく、守るために作られた街です。シグ家の遠縁のゲドラ殿が城主を務めて二十年余り——その間に、あの階段構造は何度も改良されています」
「アブトマットがここを正面から攻めなかった理由が分かる」
ボーチャードが静かに言った。三人の中で最も長く戦場に立ってきた男の声は、城の構造を観察しながら、淡々と事実を積み上げていく。
「一段目の城壁を破っても、その先の市街地で詰まる。攻め込んだ兵は左右の建物から挟み撃ちにされ、前には次の石壁がある。市街地を抜ければまた壁、また市街地。……際限なく消耗させられる。どれほどの兵力があっても、力押しでは落とせない」
エンフィールドは城壁の継ぎ目を目で追いながら、無意識のうちに別の記憶を引き出していた。ピダーセンの館の裏口、厨房の通用口、馬小屋と主屋をつなぐ細い通路。下男として動き回っていた頃、どんな構造の建物にも必ず「内側の道」があることを、体で覚えていた。
立派な表門を誇る建物ほど、裏の通用口は目立たない。堅固に見える城ほど、内側から見れば脆い場所がある。問題は、誰がその内側を知っているかだ。
だが——その前に、別の違和感が先に来た。
†
H&K城の北、街道沿いに広がる平地。
八万の軍勢が数日間を過ごした痕跡は、確かにそこにあった。
踏み荒らされた草地。無数の足跡と蹄の跡が泥に刻まれ、炊事の灰が点々と残っている。放棄された木材、壊れた荷車の残骸、そして——異臭。数万の人間と馬が密集していた場所特有の、重く淀んだ空気がまだ漂っていた。
しかし、人が一人もいない。
「……どういうことだ」
フリッツが馬を止め、周囲を見渡した。城壁は無傷だ。攻城の跡もない。血の痕もない。矢が刺さった形跡も、石が投げ込まれた跡もない。戦いは、起きていない。
「八万が……消えた?」
「消えたのではない」
ボーチャードが馬から降り、地面に膝をついた。踏み固められた土を指でなぞり、草の倒れ方を確かめ、灰の残り具合を見る。しばらくそうしてから、立ち上がった。
「撤収したのは二日以内だ。……荷物を捨てて動いている。急いでいた」
「撤収? 八万が一斉に?」
「いや」
ボーチャードは平地の端まで歩き、地面を眺めた。足跡の向きがばらばらだ。一方向へ向かう大軍の跡ではなく、複数の方向へ散っていく無数の個人の跡。
「散った。……三手か、四手か。方向がばらばらだ」
エンフィールドは馬上から、その光景を黙って見ていた。
八万の軍勢が、戦わずに消えた。攻城もせず、撤退もせず——ただ、散った。まるで煙のように。
「……解体した」
エンフィールドが呟くと、ボーチャードが振り返った。
「軍を解体して、ばらばらに動かした。追えないように」
「追いかけるより、逃げる方が速い。……しかし」
フリッツが城壁を見上げた。
「ならば、アブトマット自身はどこへ? 将が軍を捨てるとは思えない。何か目的があるはずです」
誰も答えなかった。風が葦原を揺らし、川の方から湿った匂いが漂ってくる。
エンフィールドは城壁の継ぎ目を、もう一度、今度はゆっくりと目で追った。
どんな構造にも、必ず内側がある。問題は、誰がその内側を知っているかだ。
「……城主に使者を。まずは話を聞きましょう」
そして——城下を、もう少し丁寧に見る必要がある。




