Ⅲ-42 狂王
「……確かに、第十三代までの国王はベルテルブルグ家であったと、記録されております……」
大僧正カルカノのその言葉が放たれた瞬間、王宮の大広間「鏡の間」を支配していた熱狂は、一瞬にして氷点下まで凍りついた。
諸侯の間に戸惑いと疑惑が走り、静まり返る会場。その沈黙を切り裂いたのは、鎖に繋がれ、泥にまみれた敗残兵の姿をした男――クーガー・デュ・ベルテルブルグの、狂気じみた勝ち誇った笑い声だった。
「アハ、アハハハハハ!聞いたか、この愚物どもめ!何が正統なるバーテルバーグだ!簒奪者は貴様らの方ではないか!私こそが、奪われた玉座を取り戻そうとした真の救世主。そして、この国を本来の姿に戻すための光なのだ!」
クーガーは叫び、泥だらけの顔を歪めて天を仰いだ。彼の背負っていた「真の王家」という自負が、敗北の淵でついにその正当性を得たと確信したのだ。その高揚は、鏡の間の壁に反響し、不吉な予感となって諸侯の背筋を撫でた。
「しかし!」
その時、温厚なことで知られるカルカノには珍しい、落雷のような大声がクーガーの悪態を遮った。その一喝は、広間の空気を物理的に震わせ、沸き立とうとしていた疑惑を一瞬で沈黙させた。
「クーガー殿。貴殿が仰ったことと、弊教会本部に秘蔵される正式な『歴国王史』の記述には、致命的かつ決定的な齟齬がございます」
カルカノの冷徹な言葉に、クーガーは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で絶句した。
「……齟齬だと?教会が歴史を書き換えたとでも言うのか!」
「いいえ。事実をありのままに述べているに過ぎません。……貴殿が仰る通り、第十三代国王はストーム・エクレール・ロア・デュ・ベルテルバルグ。その御名に間違いはありません。そして、雷光王という異名についての記述も確かに存在します」
「ならば!」
「しかし!」
カルカノは、教会の従者が捧げ持ってきた、重厚な革綴じの古文書を鋭い指先で指し示した。
「この十三代国王の異名として真っ先に書かれているのは、『雷光王』ではありません。その第一行目に刻まれている名は――『狂王』。今と同じく魔王軍の侵攻を防いでいた王国を破滅寸前まで陥れた、『歴代国王で最も恥ずべき存在』として記されています」
会場に、先程までとは質の違う、戦慄を伴うざわめきが広がった。
捌神正教教会本部にのみ所蔵される、門外不出の正史『歴国王史』。カルカノが朗読し始めたその内容は、クーガーが信じていた「輝かしき王統の物語」を、根底から腐り果てた泥濘へと変えていく。
十三代国王、ストーム・エクレール。彼は確かに戦上手であった。だが、彼の狂気は、己の権威が揺らぐことへの異常なまでの恐怖心から始まった。
「……ストーム王が『狂王』と呼ばれ始めたのは、審議会の惨劇よりもずっと前のことです」
カルカノの声が、冷たく事実を積み上げる。
「それは、彼の実子であるロック王子が成人し、周囲から次期国王としての声望が高まり始めた頃でした。ストーム王は、自らの地位が血族によって奪われることを病的に恐れた。彼はロック王子を『唯一の例外』とし、それ以外の王位継承権を持つ親類縁者を、逃げ惑う子供に至るまで一人残らず殺し尽くしたのです。さらにその疑心暗鬼は、自らの后五人に対しても向けられ、全員がその手で手に掛けられた。この徹底した粛清の段階で、彼はすでに『狂王』の名を歴史に刻んでいたのです」
会場のあちこちから、吐き気を催したような呻きが聞こえた。自分たちの先祖が仕えていた王が、一族を根絶やしにした殺人鬼であったという事実。
「……内政を顧みず戦に明け暮れ、財政を破綻させた狂王を止めるべく、当時の審議会は南部戦線のキャンプから王を強制召集しました。しかし、これが最後の引き金となった。会議の場に現れた王は、内政再建を説く宰相ブラック・フォン・バーテルバーグ卿を、一切の躊躇なくその場で斬殺。止めに入った当時の大僧正の左腕をも切り落としたのです」
エンフィールドは、自分の隣でボーチャードが拳を固く握りしめているのに気づいた。
「……さらに凄惨なのは、その時です。唯一、王が殺さずに残していた実子、ロック王子。彼が父をなだめようと歩み寄った。だが、逆上した狂王は、自分が守ろうとしたはずのその最後の血脈、ロック王子すらその手で斬り殺したのです。……これにより、ベルテルブルグ家の王位継承者は、文字通りこの世から消滅した。これを止めたのは、近衛隊長シュミット・フォン・シグ率いる隊士たちでしたが、王宮に残されたのは、返り血で染まった狂王と、絶絶した王家の死体のみでした」
カルカノの宣告が、クーガーの顔から血の気を引かせていく。
「……王位を継ぐべき者が死に絶えた王国を救うため、当時の審議会は、亡くなった宰相ブラック卿の弟、ジョンソン・フォン・バーテルバーグを新たな王として推戴した。これが、現王朝の始まりです。一方、捉えられたストーム王は『狂王』として廃位され、ベレッタ城の最下層の地下室に永久軟禁となったのです」
カルカノは、証拠品として提示された一枚の羊皮紙を高く掲げる。
「クーガー殿。貴殿が所持しておられたこの書類ですが」
それはクーガーがマカロフに自信満々に披露していた『第十三代国王直筆の王命書』である。
「これを根拠に玉座を、と仰っているようですが、まずこの古式の一角獣の印章は『ベルテルブルグ家の紋章』であって、当時の『国王の爾』ではありません。王位を剥奪された後に作られたものか、あるいは単なる私文書であることを示しています」
カルカノの指摘は、さらに鋭さを増していく。
「さらに、決定的なのは日付です。ストーム王が廃位されたのは、旧暦である王歴四〇二年。しかし、この王命書の日付は『王政歴二年』となっている。……お分かりですか? 王政歴とは、バーテルバーグ家が王位を継いだ翌年を元年とする新王朝の年号です。廃位され、もはや国王ではない身のストーム王が、自らを廃した新王朝の年号を用いて王命を書くなど、論理的にあり得ぬ話です」
クーガーの膝が、ガクガクと震え始めた。
「真の王家」を主張し、十万の軍勢を動かし、カイツール坂を血で染めてまで突き進んできた自分の全て。その根幹を成していた「高潔なる物語」が、日付一つ、印章一つで瓦解していく。
「……では……、ベルテルブルグ家は、とうに滅んでいたと……?」
「ストーム王は、残りの人生をベレッタ城の地下室で過ごされました。そこには、王の世話をする数名の女中と、逃亡を監視する衛兵たちが数名。それが当時のベレッタ城の全てです」
カルカノは、残酷な真実を口にした。
「……恐らくは、幽閉されていたストーム王と、その世話をしていた女中との間に、子が生まれたのでしょう。狂王は自らの罪を省みる代わりに、その子に『自分こそが正統なる王であり、バーテルバーグは簒奪者だ』という怨念を吹き込み続けた。……それがベルテルブルグの名を継ぎ、血を繋いできた一族の正体。……すなわち、貴殿らは王家の庶子ですらない。幽閉された狂人と、名もなき女中の間に生まれた、記録にも残らぬ子供たちの末裔なのです」
カルカノのその言葉が、決定打となった。
鏡の間を支配していたのは、もはやクーガーへの恐怖や敵意ではなく、底知れない「憐憫」と「軽蔑」であった。
「……では、ベレッタ城にあるという『真の王家である証拠の書類』というのは……」
ウィンチェスター丞相が、軽蔑の視線を投げかける。
「……狂王の妄言。……あるいは、奪われた王位に対する憎悪が書かせた、哀れな恨み言でしょうな」
クーガーには、それを跳ね返す気力すら残っていなかった。
「……クーガー・ヴェリテ・ロワ・デュ・ベルテルバルグ。『ヴェリテ・ロワ』などと名付けられ、狂王の亡霊に苛まれた哀れな子」
ニニオの声が、静かに響く。
「単に、ベレッタ城の地下室で狂王が見せた、醜い夢をなぞっていただけ。……救う価値さえない、哀れな夢を」
夕刻。
鏡の間の窓から差し込む夕陽は、泥にまみれた敗北者を無慈悲に照らし、次代を担うべき若き「正統」――エンフィールドの姿を、より一層際立たせていた。
かつての狂王ストームは、一族を殺し、国を滅ぼしかけた。
そして眼前の「狂王」クーガーは、自軍の兵を肉の橋に変え、存在しない血脈に殉じた。
三日後。クーガー・デュ・ベルテルブルグは王都北門にて、王位への簒奪、および不当な内乱の首謀者として打首に処された。
かつて白銀に輝いたその首は、一週間に渡り、寒風吹き荒ぶ王都正門の外に晒された。かつての「光」は鴉に啄まれ、泥に汚れ、見るも無残な髑髏へと変わり果てていった。
【 次回更新予定 】 4月24日(金) 20:50
毎週 水・金 の週2回更新
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