11 思い込みの末路
聖女のお茶会での騒動はあっという間に社交界に広まってしまった。
ヴァイオレット・フェレッラはマーガレットへの殺人未遂、そして無差別に貴族令嬢や聖女を傷つけようとしたことが罪に問われ、あのお茶会の後そのまま牢に放り込まれた。
フェレッラ伯爵はさらに失態を重ね、罪を犯した娘を許さなかった。ヴァイオレットが投獄されたことを知ると彼は直ちにヴァイオレットの籍を抹消した。伯爵は彼女の誕生まで遡って籍を抹消したので、そもそもフェレッラ伯爵家にヴァイオレットという娘は存在しなかったことにされた。
ヴァイオレットの身分は最初から平民だったという扱いになり、平民が貴族を傷つけた罪、無許可で高威力の攻撃魔法を放った罪も追加され、最終的には絞首刑となった。彼女は最後まで聖女ローズへの恨み節を吐いていたが、誰にも聞き入れられることなく刑が執行され、その遺体は処刑場の端に野ざらしにされ朽ちていった。
マーガレットはヴァイオレットとの件では被害者であり、また聖女ローズを直接害したわけではないので、ヴァイオレットのように法的なお咎めを受けることはなかった。
だがこれまで通りとは行かなかった。
王太子からは婚約解消を告げられた。
「君はもう少し聡明だと思ったのだがな。私の見込み違いだったようだ」
王太子からこう冷たく言い放たれた。
マーガレットは縋ったが王太子の態度が変わることはなかった。
「私怨でくだらない嫌がらせをし、国を割りかねないような事態を引き起こした自覚はあるのか? まさか君が聖女ローズを貶める噂を流していたのを私が知らないとでも思っていたか? ならば愚かなお前でもわかるように告げてやろう。お前のような愚か者は王家には不要だ」
マーガレットははらはらと涙をこぼした。
「殿下は私の顔が醜くなったから捨てるというのですね」
同情を引くよう儚げな仕草をするのも忘れない。だが、王太子は露骨に顔を嫌悪に歪めた。
「ああ、その通りだ。お前は醜い。聖女ローズは条件さえ整えばお前の顔を治すと言っているのだろう? だがお前はそれをしない。過ちを認められない。くだらないプライドが邪魔してな」
聖女ローズがマーガレットの顔の右側に残された火傷を治す条件、それはマーガレットが聖女ローズを貶める噂を流したことを認め、その噂が間違いだったとマーガレット自身が訂正することだった。
ローズとしては謂われのない悪名をいつまでも背負っているわけにはいかなかった。将来はジャスティン・ミランに嫁ぎ、ミラン辺境伯家の一員となるのだから。ジャスティンの隣に立つ存在としてふさわしくあるためにも、謂われのない悪評は雪がねばならないと考えたのである。
そのローズの決意にアネモネと教会一同が「こんなに立派になって」と号泣し、イキシアが「姉様と兄様がラブラブだわ!」と興奮したのは、関係者だけが知っている話で、辺境伯領地に帰っているジャスティンが知るのはもう少し後だ。
だがマーガレットは拒否した。その条件をのむということはヒロインへの敗北宣言に他ならない。そうなればマーガレットに待つのは転落しかない、そう認識したのである。
そして何も治癒術を使えるのは聖女ローズだけではないのだからと、伝手を使って治せる人物を探したが、見つからなかった。
そもそもこの国で治癒術を使えるものはそのほとんどが教会に所属しており、教会が病院や薬局の役割を担っていたのである。教会に依頼しようにも、彼らは聖女ローズを貶めたマーガレットを許さなかった。先々代聖女にも金を積んで依頼を持ちかけたがつっけんどんに断られた。
「私はお金に困っていないから、こんなお金を積まれて頼まれても不愉快でしかないわ。そもそも、可愛い後輩に嫌がらせをした輩の依頼を何故私が受けねばならないの?」
ならばと教会に所属しない治癒師を探そうとしたが、父親の公爵に止められてしまった。
「いい加減にしろ、それ以上その火傷に対して公爵家の金や力を使うことは許さぬ」
マーガレットは泣き崩れて見せたが、公爵は「やるべきことをしろ」と言うだけだった。
ならば王太子を頼ればいいと王宮に来てみれば、婚約解消を突きつけられる始末。マーガレットは心の中で王太子をさんざんに罵った。
「ふん、どうせ腹の中では私に呪詛の言葉でも吐き散らしているんだろう」
何故それを? 顔には出していなかったはずなのに。
「舐めるなよ。王族は内外の海千山千の者共と渡り合わねばなならぬのだ。お前の腹如き読めずしてどうする」
王太子はマーガレットを見下す様子を隠しもしない。かつて婚約者として優しく大切にしてくれた男性はもうそこにはいなかった。
「お前にわかりやすいよう表情を見せてやってるのだ。理解したか? 心根の腐った者というのはお前のことを言うのだろう。さっさと私の前から失せろ!」
怒りを見せた王太子の一声とともに、マーガレットは両脇を騎士に固められ、強制的に退室させられた。
「無礼者、私を誰だと思っているの! フローレンス公爵令嬢よ!!」というマーガレットの金切り声が執務室から遠ざかっていくのを聞きながら王太子はぽつりと漏らした。
「マーガレットよ、何がお前をそうさせてしまったというのか。私の想いが足りていればこうはならなかったのか。ままならないな・・・」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
公爵家に帰宅したマーガレットは父の執務室に乗り込み、王太子に一方的に婚約を破棄され、侮辱されたと訴えた。
だが公爵は冷たく言い放った。
「お前と王太子殿下の婚約は既に解消されている。王家と公爵家で話し合った結果だ。お前の失態が原因ではあるが、王太子殿下は賠償を求めないと仰った。殿下の寛大なお心に感謝するんだな」
マーガレットは怒り、何が寛大だ! こちらから王家に慰謝料を請求すべきだとわめいたが、公爵に一喝された。
「黙れ! お前の愚かな行いが国を割りかけたのをまだ理解していないのか! お前が聖女ローズを私怨で貶め、それが教会とミラン辺境伯家の怒りを買ったのた! 聖女ローズが慈悲の心を見せ、穏便に収めようとしなければ、今頃教会とミラン辺境伯家はネイプルズ王国から離れていた!!」
マーガレットは教会や辺境伯家如き・・・と口の中で呟いたが、公爵にはしっかり聞かれ「だからお前は愚かなのだ!!」と怒鳴りつけられた。
「もうよい。お前を公爵家の籍から抜く」
「そんな! お父様、それだけは!!」
マーガレットはか弱く泣き崩れた。
すると公爵が静かにこう告げた。
「ならば一年間修道院で反省しろ。一年間修道院で反省できれば、籍を戻してやる」
「お父様の寛大なお心に感謝いたします」
マーガレットは涙を流しながら淑女の礼をとり、顔を伏せて落ち込んだ様子を見せつつ執務室を後にした。その様子は、叱られた令嬢がいかにも反省しているようであったが、腹の中では「一年間修道院でおとなしくしていればいいのね。ふふふ、お父様はチョロいわ」とほくそ笑んでいた。なので、去り際に公爵が放った「反省できるものならな」という言葉を気にとめることもなかった。
数日後、魔法封じの処置を施されたマーガレットは魔導車に乗せられた。修道院への道のりを一緒にするのは魔導車の運転手と護衛の女性騎士一人のみ。マーガレットの世話をする侍女はつけられなかった。
魔導車の揺れが酷く、マーガレットは不平を漏らしたが
「ですがこの魔導車はお嬢様が聖女様の迎えに使えと指示したものですよ? 速度は落としてますし、あの時ほど揺れてないんじゃないですかね」
と運転手に反論されてしまった。
マーガレットは憮然とした表情を浮かべ、後部座席に身を沈めたが、魔導車の揺れは酷いままだった。
やがて魔導車が停車し、修道院前に到着したことが察せられたが、扉が開けられることはなかった。何事かと思い、マーガレットは自分で扉を開けようとしたが、外側から鍵がかかっており、外に出ることは出来なかった。運転手と女性騎士が中年のシスターと何か話しているが、その内容は聞こえない。やがて運転手が疲れたような表情を浮かべ、運転席に戻ってくる。
何事かと尋ねたが、運転手は
「ここは駄目だそうで」
とだけ告げ、魔導車を発進させた。
結局その日のうちに目当ての修道院には到着せず、マーガレット一行は街道沿いの宿に一泊することになった。いかにも安宿といった風体の宿にマーガレットは不満を漏らしたが、女性騎士から「野宿するのとどちらがいいですか?」と問われては黙ることしか出来なかった。
案の定部屋は狭く、ベッドは硬かった。マーガレットはさらに不機嫌になったが、着替えないわけにはいかない。マーガレットは女性騎士を呼びつけた。
「着替えるわ、支度してちょうだい」
だが女性騎士はすげなく断った。
「私はお嬢様の世話係ではなく護衛です。ご自身でお着替えください」
マーガレットは怒りを露わにし、わめき散らしたが、女性騎士はさっさと自分の部屋に戻ってしまった。前世の記憶があるとは言え、十年以上公爵令嬢として多くの使用人に傅かれる生活を送ってきたマーガレットは、もはや自分で着替えることすらままならなくなっていたのである。
仕方ないのでそのままの格好でベッドに潜り込んだが、熟睡できるはずもなかった。
翌朝になると扉をたたかれて起こされはしたが、顔を洗うための湯が持ってこられることはなく、髪を整えられることもなければ、乱れた衣服を着替えさせられることもなかった。
朝食は固いパンと野菜スープのみ。ふんわり仕上げられたスクランブルエッグや香ばしく焼き上げられた厚いハム、瑞々しい果物が並ぶことはなかった。マーガレットは苛立ち、運転手と女性騎士に当たり散らしたが
「我々にはどうすることも出来ないので」
と告げられ、無理矢理気味に魔導車に放り込まれて出発する羽目になった。
そしてこの生活は何日も続いた。
長い道のりを揺れる魔導車で移動し、修道院らしき場所に到着すると停車する。そして、運転手と女性騎士がなにやら聖職者と話し込むのだが、マーガレットは魔導車の中に置いて行かれたままで、扉が開けられることはなかった。そして運転手と女性騎士が戻ってくると「ここも駄目でした」とだけ告げられ、再び魔導車に揺られる。夕方になると簡素な宿に泊まり、夜を明かす。
初めのうちはマーガレットは苛立ちを露わにし、運転手と女性騎士に八つ当たりをしていたが、徐々に疲労が蓄積し、後部座席でぶつぶつと文句を言うだけになった。
その日はいつまでたっても到着する様子はなかった。それどころかいつもよりも魔導車の速度が速く、揺れはさらに酷かった。マーガレットは気分が悪くなり、運転手に速度を落とすよう命令したが無視された。それどころか、運転席と後部座席を完全に仕切られ、運転手と女性騎士に話しかけることが出来なくなってしまった。
ひとりぼっちの後部座席でマーガレットはただただ魔導車の揺れに耐えるしかなかった。
どれだけ走っただろうか。魔導車がようやく音を立てて停止した。そして扉が開かれた。太陽は西に傾き始めていたが、まだ宿に泊まる時間ではなかった。
「ここで降りてください」
運転手に促され、マーガレットは魔導車から降り立った。バタンと扉が閉められる音がした。
そしてマーガレットの目に飛び込んできたのは砂と岩ばかりの不毛の大地。あたりに建物はなく、砂と岩以外に見えるものと言えば枯れかけた低木くらいだ。そして魔導車が走ってきた後ろには道があるが、前には道すらない。
「ここはどこよ?」
マーガレットが呟くと運転手がこう答えた。
「南方の砂漠地帯の入り口ですよ」
それはネイプルズ王国の南にある不毛の土地。あまりにも過酷なため、ネイプルズ王国もその南隣の国も領有を放棄した無主地だ。そしてネイプルズ王国で国外追放された罪人の行き先でもある。
「なんでこんなところに連れてきたのよ!」
マーガレットは叫んだが、運転手と女性騎士は動じなかった。
「公爵閣下が仰ったでしょう。『修道院で一年間反省しろ、出来るものならな』と」
その通りだ。しかしそれが何故こんなところに連れて行かれることになるのか。
「それはお嬢様を受け入れてくれる修道院があればってことなんですよ」
どういうことなのだろうか、マーガレットには理解できなかった。運転手はため息をついた。
「つまりですね、お嬢様は今まで訪ねた全ての修道院から受け入れを断られたんです。そりゃそうですよね。教会が大切にしている聖女様に嫌がらせしてたんですから」
「何よそれ! この私が修道院に入るのよ! お父様がたくさん寄付金を積んでいるはずでしょ!?」
激高するマーガレットに、今度は女性騎士が説明する。
「教会は金を積んでも動きませんよ。そもそも教会は金に困っていません。派手なのを好まないのでよく勘違いされるそうなんですが、教会は治癒師や薬師を抱えていて、治療院の経営や薬の販売で健全経営が出来ているんです。なので、各種の寄付金もあらかじめ国と話し合って決めた額しかとりません。これ、わりと常識だと思っていましたが、まさお嬢様はご存じありませんでしたか? 先々代聖女様に金を積もうとしたと聞いておかしいと思ったのですが、お嬢様がこれをご存じなかったのなら納得がいきますね」
女性騎士はさらに続ける。
「公爵閣下は我々にこう指示しました。お嬢様を受け入れてくれる修道院があればそこにお嬢様をお送りしろ。もしどこの修道院もお嬢様を受け入れなければ、南の砂漠地帯に置いていけと」
「酷い! お父様は私を捨てたのね!!」
マーガレットは泣き叫んだが運転手と女性騎士の表情は変わらない。
「公爵閣下はこう考えたのしょうね。お嬢様が教会から償いの機会が与えられるのであればやり直させるが、償いの機会すら与えられないほどであれば処分するしかないと。まあ、そこまで教会の怒りを買った娘なんて置いておかないですよね」
あまりのことに呆然とするマーガレット。運転手と女性騎士はそんな彼女を一瞥すると、素早く魔導車に乗り込み、元来た道を走り去っていった。
マーガレットは砂漠地帯に一人取り残された。
前は文字通り不毛の大地、後ろも道が1本あるのみで、それ以外の人工物は見当たらない。
マーガレットは当てもなくさまよった。日差しは容赦なく照りつける。特に火傷が残った顔の右半分は熱を持ち、じくじくと痛んだ。
やがて日が暮れ、辺りが闇に支配されると昼間の暑さから一転、突き刺すような冷気が辺りを支配した。
マーガレットはとうとう膝を折った。そして砂に身を横たえた。砂漠の夜の寒さは容赦なくマーガレットの体温を奪っていった。
マーガレットは薄れゆく意識の中で思った。
どうしてこうなった、と。
ここは「聖なる薔薇乙女伝説」の世界。
私はその悪役令嬢マーガレット・フローレンス。
ヒロインは聖女ローズ。
もしローズが乙女ゲームを始めれば私は断罪されてしまうが、私は乙女ゲームの始まりを防ぎ、断罪を回避した。
そのはずだった。
なのに何故こんな何もないところで朽ちようとしているのか。
マーガレットは最後まで理解しなかった。
この世界の聖女ローズは乙女ゲームのヒロインなどではなく、一人の人間なのだと。ローズだけではない。王太子も、公爵も、この世界に生きる人々は皆生きている人間なのだと。マーガレットが利用するだけして捨てたヴァイオレット・フェレッラだってそうなのだと。
そして現実を現実として受け入れられず破滅するのはヒロインだけではないのだと。
聖女ローズの情報は父親であるフローレンス公爵が正確なものを持っていた。だがそれでは満足せず、自分の欲しい情報をかき集めた。そう、“マーガレットが望むいかにも性悪聖女らしい情報”を。集まったのはゴシップ記事のような、正確性は二の次で面白おかしさを追求したような話ばかりだったが、それがマーガレットが望んでいたローズの情報だったので、マーガレットはそのままそれを信じ、そしてヴァイオレットにそれを吹き込んだのである。本当は性悪聖女なんていないというのに。
マーガレットがローズに余計な手出しをしなければ、きっと彼女はそのまま王太子と結婚し、王太子妃ひいては王妃になれただろう。
その後、マーガレットの姿を見たものはいなかった。
フローレンス公爵はマーガレットを病死したことにした。
王太子は新たな婚約者を隣国の王家から迎えた。隣国の王女は王太子をよく支え、王太子も王女を大切にした、国民からは仲睦まじい王太子夫妻―後の国王夫妻として記憶されることになった。
第23代聖女ローズは成人を迎えた後、ジャスティン・ミランと結婚した。そして次の聖女候補が無事第24代聖女を襲名すると、彼女はミラン辺境伯領に移り、辺境の土地で聖女の勤めを続けながら穏やかに暮らしたという。聖女ローズの名は東方の聖女として後生の人々の記憶や書物に記録されることになった。
一方、マーガレットの名前は徐々に人々の記憶から消えていった。
そしてフローレンス公爵家の家系図に記されたその名前と15歳で病死という短い説明だけが、後世に残されたマーガレット・フローレンスの唯一の記録となった。




