向かい合うグラス
大和が部屋に戻ると、
空調の音だけが静かに響いていた。
スーツの上着を椅子に掛け、
ネクタイを外す。
立呑屋で飲んだ一杯が、
まだ喉の奥に残っている気がした。
ふと、
スマホを手に取る。
通知は……特にない。
でも、開いてしまう。
タイムラインを指でゆっくりと滑らせたとき、
見慣れた名前がふっと目に入った。
aoi
写真が一枚。
キッチンの柔らかい光。
左側に寄せて置かれたビールのグラス。
#今週もおつかれさま
#たまにはいいよね
大和は、
息をひとつだけ飲んだ。
……左側。
自分の投稿は、
右側に寄せて撮った。
向かい合うように置かれた二つのグラスが、
画面の中で静かに並んでいる。
乾杯の構図だ。
偶然かもしれない。
意図なんてないのかもしれない。
でも──
胸の奥が、
じんわりと熱くなる。
> ……及川さん。
声にならない名前が、
喉の奥でほどけた。
彼女がビールを飲む姿なんて、
想像したことがなかった。
仕事帰りに、
ひとりで、
こんなふうにグラスを置いて写真を撮るなんて。
そして、
“たまには”という言葉が
自分の投稿と重なる。
偶然にしては、
できすぎている。
大和はスマホを持つ手を
そっと膝の上に置いた。
画面の中で、
二つのグラスが向かい合っている。
距離は遠い。
会ってもいない。
言葉も交わしていない。
なのに──
触れてしまった距離が、
また少しだけ近づいた気がした。
大和は、
小さく笑った。
> ……おつかれさま。
誰にも届かない声で、
そっと呟いた。




