Episode22.上司には上司らしい態度を求めますわ
(液状魔獣の報告例はやっぱり多いわ。あとは野菜を食い荒らす長角羊、虎熊。人を襲った報告があるのは虎熊と鬼猿と……)
仕事の休憩がてら、ロサミリスは今までの報告のあった魔獣を確認していた。
ずいぶん仕事にも慣れてきて、魔獣に関する知識も増えた。
例えば、長角羊はとても大人しく、魔獣の中でも温厚な部類に入る。人を襲うことはなく、野菜や牧草を食い荒らすのが主な報告。写真を見たら結構大きくて、牛くらいの大きさがある。だいたい群れで行動し、犬に吠えられると逃げていくという。
(魔獣によって生命力を奪う度合いも違う。魔獣によって危険度が階級付けされているなんて、初めて知ったわ)
A,B,Cの三つに分かれていて、一番危険なのはA級だ。
凶暴性が高く、一般的な騎士が数十人で対処するような危険な魔獣。生命力を吸い尽くし、放っておくと町一つを滅ぼしかねないような災害級魔獣。
人を襲う可能性があるのがB級、人を襲う可能性のない魔獣はC級となる。
(白狼っていう魔獣も少なからず報告に挙がってるのね。……人を襲うことは少ないけど馬や牛を集団で襲うからB級なのね)
事務部にある魔獣図鑑を開いてみると、火が弱点だと記載されている。
(炎の魔法ね。でも集団で活動する白狼を討伐するのって大変じゃないかしら。少なくとも炎の魔法が使用できる騎士が五、六人……いえ、白狼の数にもよるわね)
何匹で行動しているのが多いのか疑問に感じたが、図鑑には載ってない。
(セロース先輩に聞いてみようかしら)
そう思って、セロースのいる席に向かうと。
ちょうど、エルダがセロースの横を通るところだった。あっと言う間もなく、ドレスのフリルが机の上にあったインクを倒す。
「きゃあ、私のお気に入りが!!」
それだけではない。
セロースが毎日遅くまで残って書いていた、騎士団の上層部に提出する書類がインクまみれになっているのだ。
(あんなフリフリのドレスでいるからこうなるんだわ)
さすがのエルダもセロースに謝るだろう。だってセロースは、インクを机の上に置いていただけ。しかも、落とさないように配慮して内側に寄せてある。誰が見ても、悪いのはドレスの裾を気にしなかったエルダ。
はずだけれど、エルダは眉を吊り上げてセロースを睨みつけた。
「ちょっと! 大事なドレスが汚れちゃったじゃないの!!」
「す、すみませ……」
「謝って済む問題じゃないのよっ!? あなたみたいな平民上がりの小娘が一年働いても買える額じゃないのよっ!? どう弁償してくれるのよあなたっ!!」
セロースは反論することも出来ずに、俯いていた。目には、ほんのり涙が浮かんでいる。
(それよりも重要なことがあるのではないかしら?)
確かに平民からすれば、エルダのドレスは相当高価なものだろう。でも男爵位を父を持つエルダにとって、あのドレスは「たくさんあるお気に入りの一つ」に過ぎないはず。ましてお気に入りなら、同じデザインをもう一着くらい持っていてもおかしくない。
ドレスを収集する趣味のないロサミリスさえ、淑女の嗜みとして二桁を越えるドレスを持っている。
大事なのは汚れたドレスよりも、インクまみれで読めなくなってしまった書類だ。
上層部に提出する期限があるはず。
「エルダ先輩」
「リサさん、なにかご用?」
「はい。わたくしには、汚れるべくして汚れてしまったドレスよりも、セロース先輩が徹夜なさっていたこの書類のほうが重要だと思われます」
「汚れるべくしてって、私がわざとぶつかったとでも言いたいわけ……?」
そこまで言って、ようやくエルダも気付いたらしい。
セロースの机にあった書類に。
「どうしてくれるの!? これ、私が出すはずだった書類じゃないの?!」
「私が?」
エルダは、しまった、とでも言いたげな顔をしていた。
どうにもキナ臭い。
眼力を強めてエルダを見つめると、彼女は焦ったように視線を逸らした。
「いえ。そういう意味じゃないわ、上司として責任をもって提出するという意味よ」
「エ、エルダさん! 本当にすみません、悪いのは全て私です!! 許してください!!」
「謝れば良い問題じゃないのよ!? 良いこと、あなたの上司は私なの。部下の失態はすべて上司である私の失敗になるのよ。私の輝かしい出世をふいにするつもり!?」
肩を震わせていたセロースは、ついに跪いてしまった。
額を床にこすりつけている。
「き、期限までには作成し直します。どうか、どうか弟への援助は……」
「作り直すなんて当たり前でしょう」
これは見てられない。
なぜセロースがあそこまでエルダを怖がっていたのか分からなかったけれど、これでよく分かった。
「エルダ先輩は、よくセロース先輩に仕事を任されてましたよね」
射抜くように、ロサミリスはエルダを見た。
「え、ええそうよ。私はセロースさんの良き上司であって……」
「良き上司にしては、ずいぶんと多大な量の仕事をセロース先輩一人に押し付けていたようですが」
ロサミリスが帰宅する時間になっても、セロースは頭を抱えて書類と向き合っていた。
『私は大丈夫ですよ。それよりもリサさんはまだ若いんですから、さっさと帰ってくださいね!』そう言ったセロースの目下には、化粧で誤魔化しているつもりでも濃い隈が浮かんでいたのだ。
「ある程度の残業は仕方ありません。人員も少なく、今もなお魔獣たちと格闘されている騎士様に比べたら、わたくしも頑張らなければと思います」
「なによ、あなたもそう思うなら──」
「ですが、それは本当に必要な時だけです。エルダ先輩がやるべき仕事を押し付けられてまで、先輩が睡眠時間を削られる謂れはありません」
職場は騒然とした。隅っこにいた部署長も、ぎょっとした顔でロサミリスを見つめる。
「おい、リサさんエルダさんに向かって……」
「大丈夫か…………リサさん標的にされるぞ」
「男爵令嬢に歯向かって……あぁ、どうしましょう?」
「いいや、ここは知らんふりだ。俺達じゃどうしようもないんだから」
「そうね……」
ざわざわ、と。
驚いていたのは、セロースも同じだった。跪いたまま、顔だけ挙げてロサミリスとエルダを交互に見ている。
「り、リサさん……」
(セロース先輩、安心してください。わたくしは味方です)
心の中で言うと、セロースと目が合った。
小さく頷いておく。
「上司への口の利き方がなってないようね。それにね、元はといえば大事な書類の前にインクを置きっぱなしにしてる方が悪いのよ」
エルダは厚めの化粧が浮きそうなほど顔を歪め、毅然として立つロサミリスを睨んだ。
「確かにそうかもしれません、でも失敗は取り返せるものです」
「は、はあ?」
「その報告書、内容はどんなものでしょうか」
「こ、ここ一年間の魔獣の記録をまとめたものよ。量は膨大だし、セロースさんはこれをまとめるのに一か月かかったわ。提出は三日後なのに!」
「エルダ先輩はとても優秀な事務員だったとオルフェン様からお聞きいたしました。エルダ先輩にかかれば、三日後までに出来るのではありませんか?」
「は、はあ!? い、嫌よ!! 私は絶対に残業をしたくないわ、早く家に帰って肌や爪の手入れをしなければならないのよ!? それに、さすがの私でもそんな早く出来るわけないじゃない?!」
声を荒立てるのは、動揺している証拠。
昔が優秀だったのは事実かもしれないけれど、今はもう仕事なんて真面目にしたくないのだろう。
(じゃあこれでどうかしら……?)
「確かに、一人でやるのは難しそうですね。でも提出しなければなりません。そこで、どうでしょう? わたくしとエルダ先輩で分担するのは」
「は? あなたが?」
エルダはバカにするように鼻で笑った。
正直、今の言い方はイラっときた。おかげで眉が、少し、本当に少しばかり吊り上がってしまう。
おっといけない。
淑女らしく、毅然とした対応をとらなくては。
「セロースさんですら一か月もかかったのよ。入って一か月も経ってない新米が、そんなこと出来る訳ないでしょ?」
「ではセロース先輩を補助にくださいませ。期限までには範囲分を仕上げてみせます」
「いいわ。私がどれだけ優秀か、新米に見せつける絶好のチャンスね」
にやりと口角をあげるエルダに、ロサミリスはニッコリと笑顔を見せる。
(わたくし、怒るとほんの少ーしばかり怖くてよ?)




