第19話
「お兄様、ご自分が何を言っているか分かっていますか?」
「勿論分かっているさ。私だって気持ちを押し殺そうとしていた。今の関係を壊さず仲の良い兄妹でいようと努めた。だが二度もお前を失いかけて、気持ちを伝えなかった事を後悔したのだ」
一度目はブランシュがヴェールを庇って階段から落ちた時、そして二度目は昨日の誘拐騒ぎだ。
そもそもブランシュは皇后になる事が幼い頃から定められているし、気持ちを打ち明けて気まずくなるくらいなら仲の良い兄妹とはしてずっと側にいられればそれで良いと思っていた。
結婚相手であるノワールも、ブランシュを任せられるくらい立派な男にアルジョンテ自身が導くつもりだった。
だがブランシュを永遠に失う可能性を意識した時、アルジョンテは激しく葛藤した。
人の人生とはいつ終わりが来るか誰にも分からない。
側にいる事すら叶わなくなる事もあるのに愛する女性に気持ちも伝えず秘めたままで、本当にそれが正しいのだろうか。
そう考えた時、もはやこの気持ちを抑えることが出来なくなった。
「お兄様…」
ブランシュは突然のアルジョンテの告白に戸惑い、何も言葉を発する事が出来なかった。
ブランシュは今までアルジョンテの事を『自慢の兄』としか意識した事が無く、異性として見た事も無かったのだ。
「突然こんな事を言われて戸惑うのは分かる。返事をしろとも言わない。ただ覚えていて欲しいんだ。私が女性としてブランシュを愛している事を」
アルジョンテはそう言うと、ゆっくりとブランシュから離れた。
ブランシュは戸惑いながらも真剣な眼差しを向けるアルジョンテを無下にする事は出来ず、ただ頷いた。
するとアルジョンテはいつもの優しげな笑顔を浮かべ、ブランシュの頭をポンポンと軽く撫でると部屋を出て行った。
残されたブランシュは茫然自失として立ちすくんでいた。
兄であるアルジョンテが自分の事をその様に思っているなど夢にも思って無かったのだ。
なぜ? とか、いつから? とか、様々な疑問が浮かんでは答えの出ないまま消えて行った。
もはや自分一人で抱え込める気もしない所まで混乱しているのだが、困った時はとりあえずアルジョンテに相談していたブランシュはこれを誰に相談していいのか分からない。
恋愛相談と言うのだろうか?
そんな話が出来る様な友人がいない事に、ブランシュは生まれて初めての気が付いた。
ブランシュが考えを巡らせていると、誰かが扉をノックする音がした。
「はい」
ブランシュが返事をすると、扉を開けて顔を覗かせたのはポールだった。
「お嬢様、僕はそろそろ失礼させて頂きますが、何か御用はございませんか?」
ポールの顔を見た時、いっそポールに相談してしまおうかと考えたが直ぐに考えを改めた。
雇い主の家族の相談をポールにするのは軽率過ぎるだろう。
ポールが意識してしまって働きにくくなってしまったらいけないし、実の妹を愛すると言う禁忌がどこからか漏れでもしたら大変だ。
当然ノワールに公爵家の汚点になりそうな話はできないし、ヴェールとは気のしれた関係だが家族ぐるみの付き合いなので今後の関係を考えると話すのははばかられる。
ジョーヌは的確なアドバイスはくれそうだがアルジョンテと親しすぎる。
どこかにロレーヌ公爵家と適度に距離のある関係で気の知れた会話も出来る相手はいないかと考えて、ブランシュはある人物を思い当たった。
「ポール、レターセットを持ってきてくれない? 持って来てくれるだけで、後は休んでもらって構わないから」
「レターセットですか? かしこまりました」
ブランシュはポールにレターセットを持って来てもらい、早速筆を取り書き始めた。
『カーマイン・レス・オジエ様
先日お話を頂いた件ですが、今週末お伺いしてもよろしいでしょうか?
また、個人的にご相談したい事もあるのですが相談にのって頂けませんか?
ブランシュ・ド・ロレーヌ』
◇◆◇
翌朝、カーマインは机の引き出しに入っていたブランシュからの手紙を見つけ、食い入る様に3回通して読んだ。
クラスメイト達はニマニマしながら手紙を読むカーマインを気持ち悪そうに避けているが、そんな事は気にならない。
ブランシュとの約束が実現しそうな事にまずはガッツポーズをした。
それにしても個人的な相談とはいったい何だろうか?
わざわざ手紙でお願いしてきたと言う事は口に出すのが憚れる様な内容なのだろう。
猫を見せると言う約束がただの口約束にならず実現しそうな事も嬉しいが、個人的な相談をしても良いと思える程信頼を寄せて貰えている事が嬉しかった。
そんなこんなで待ちに待った週末、ブランシュはオジエ伯爵邸にやって来た。
オジエ伯爵邸には姉の飼っている猫達の為の猫部屋がある。
その猫部屋に立ち入る為、姉には『猫好きな友達が来る』とだけ言っておいた。
嘘では無いし、万が一その友達が女だと知られたら非常に面倒くさい事になりそうだからだ。
幸い姉からは特に詮索されず、今朝騎士団の鍛錬が有るからと出掛けて行った。
「カーマイン様、本日は無理なお願いを聞いていただき、ありがとうございます」
ブランシュは真っ白な日傘を差しながらやって来た。
初めてブランシュと会った時も強い日差しで気分が悪くなったと言っていたが、今日はその時より更に日差しが強い。
体の弱いブランシュに日傘は必需品だろうし、可憐な彼女に白い日傘はよく似合っている。
「いや、全然! 誘ったのはこっちだしな。今日は暑かっただろ? 中に冷たい飲み物を用意してるから、早く中に入れよ」
また具合が悪くなる前にと急いでブランシュを猫部屋へと案内した。
猫達の為に風通しの良い部屋になっているので、ブランシュにとっても居心地は悪くない筈だ。
「か、可愛い!」
猫部屋には様々な猫達が思い思いに過ごしていた。
種類も様々であれば、活発に動き回る子もいれば、隅っこでのんびり昼寝をしている子もいるし、初めて見るブランシュを警戒している子もいれば、興味津々で近付いてくる子もいて、性格もそれぞれ千差万別だ。
見ているだけでなんと癒やされる事だろうか。
「それにしてもこれだけの猫を揃えるのは大変でしたでしょうね」
「姉貴の猫好きは異常だからな。この猫なんて、わざわざ東方の国から取り寄せたんだと」
カーマインは一匹の三毛猫を抱き上げながら言った。
「まあ! 珍しい! この子オスですのね」
「オスは珍しいのか?」
「三毛猫はメスがほとんどですから珍しいですよ」
「あーなんかそう言えばそんな事言ってたっけかな?」
ブランシュとカーマインが話していると、ブランシュの周りを赤茶色の猫がグルグル周り、やがて足に体を擦り付けていた。
「こら! ブランシュに迷惑だろ!」
「大丈夫ですよ。それにこの子、何だかカーマイン様に似ています」
「えっ! そうか??」
この猫は猫達の中で誰より活発で、ブランシュが部屋に入った時から見知らぬ人間に興味津々な様子で人懐っこい子だった。
いつも元気でフレンドリーなカーマインに似ているなと思ったのでそう言うと、カーマインは何だか恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
よく見れば猫達の中にはブランシュが良く知る者達に似ていると感じる猫が何匹もいた。
こっちの小さくて翠色の目の猫はヴェール、あっちの背筋を伸ばして賢そうに座っているオレンジ色の猫はジョーヌみたいだ。
そちらの真っ黒で気高い雰囲気の猫はノワールに似ているし、プライドが高そうで輝く様な毛並みの猫は…
「ブランシュ?」
楽しそうに猫達と遊んでいたブランシュが唐突に動きを止めたのでカーマインが不思議に思い顔を覗き込むと、ブランシュの表情は固く固まっていた。
「あ、ごめんなさい! 私ったらつい考え事を」
すぐ元のブランシュに戻ったが、何となくすっきりしない。
そう言えば相談があると言っていたが、それと何か関係があるのだろうか。
カーマインがブランシュに相談があると言っていた件について切り出そうとした時、猫部屋の扉が思いっきり勢い良く開け放たれた。
「ただいまー!」




