第1話
『困るんじゃぁ、勝手をされちゃぁ』
目の前の美少女はブランシュに向かってそう言い放った。
ブランシュが最後に覚えているのは友人と使用人達の慌てた顔と、ボキッ! と自分の体から音がした事だ。
確実に死んだと思ったのに目を覚ますと真っ白な空間にいて、緩いウエーブのかかった金髪の美しい少女が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
困ったと言われても、ブランシュには何が何だか事態が飲み込めない。
『困ったなぁ、色々と台無しじゃぁ』
「あの、私はいったい何をしてしまったんでしょうか?」
『お主、友人を助けたじゃろぅ?』
「はい、咄嗟の事で受け身も取れず…」
『よくも死んでくれたなぁ!』
少女は声を荒げた。
死んだな、とは思っていたがやはり死んでいたらしい。
「死んだらいけなかったのですか?」
『良いわけあるかぁ! 勝手に死におってぇ!』
「えぇ〜〜〜」
『おまけに友人を庇うなんて… 悪役のくせに良い奴じゃこまるんじゃぁ! 何考えるとるんじゃぃ!』
そんな事言われても、ブランシュも死にたくて死んだわけではない。
一応人助けをして死んだのに、善行を褒められるわけでもなく、叱責されるなんて踏んだり蹴ったりもいいとろこだ。
「ええっと、申し訳ありません?」
『もっと本気で謝らんかぁ! 土下座せぃ! 土下座ぁ!』
取り敢えず怒りを鎮めて貰おうと謝ったのが愚策だった。
少女は余計に態度を尊大にして土下座を要求してきた。
それには流石のブランシュもムッとした。
公爵家の令嬢として生まれたブランシュはこの様な失礼な扱いを受けたのは初めてだし、人を悪役呼ばわりだとか意味が分からない。
「流石に失礼ではありませんか? そもそも貴方はどこのどなたなのですか?」
少女は目を見張るほどの美少女であるし、シンプルながら仕立ての良い白いワンピースを着ており決して卑しい身分では無いのだろうと思うが、それにしては言葉遣いが悪い。
ブランシュが訊ねると少女は両手を腰にあててまた尊大な態度で答えた。
『妾は女神じゃぁ!』
「女神?」
何をおかしな事をと思ったが、死んだと思った次の瞬間この白い空間にいたのだ。
あり得ないことでは無いかもとブランシュは思い直した。
ここはもしかしたら死後の世界という物なのかもしれない。
「えっと、女神様? 私は死んだのですよね?」
『さっきからそうだと言っておるじゃろぉ』
「ではここは死後の世界ですか?」
『否。お主らが考える死後の世界とやらは存在せぬのじゃぁ。ただ死んだ後ここで生前の行いを鑑みて次の転生先を決めるだけじゃぁ』
つまり、生前善行を積んでいれば望みの生き物に転生でき、悪行を積んでいれば望み通りの転生は出来ないと言う事だろう。
「そうなんですか。じゃあ私は次は何に?」
『お主はせいぜいドブネズミじゃなぁ』
「えっ!?」
『それが嫌ならヒキガエルじゃぁ』
「ええっ!? そんな!」
ブランシュは生前清く正しく生きてきたつもりだ。
勉学や習い事には真面目に励んで来たし、親に反抗した事も、誰かを陥れたり虐めたりした事もない。
おまけに友人を庇って階段から落下し死亡したのだ。
それなのに何故ドブネズミやヒキガエルに転生しなければならないのか。
『嫌かぁ?』
「嫌に決まってます! 何故ドブネズミやヒキガエルに転生しなければならないのですか!?」
『ドブネズミやヒキガエルにもドブネズミやヒキガエルなりの幸せはあるぞぇ?』
そうかもしれないが今世が公爵令嬢だった事と比べるとあまりにもランクが下がり過ぎではないだろうか。
「だって私、それ程の悪行はしていないつもりなのですが」
『否、お主は重大な悪行を犯しとるぞぉ』
「重要な悪行…?」
重要な悪行とはいったい何だろうか。
そりゃ虫も殺してないと言ったら嘘になるが、ブランシュはそれ程の悪行を犯した自覚はなかった。
考えても考えても思い当たる節がなく首を傾げるブランシュに、女神は思いもやらぬ事を言い放った。
『お主はなぁ、シナリオを狂わせたんじゃぁ!!』
「………シナリオ、とは?」
『お主がいた世界は乙女ゲーの世界なんじゃぁ。お主はその中で重要な役割があったのじゃぁ。それなのにシナリオが始まる前に勝手に死におってぇ。悪役がおらぬと何にも面白くないじゃろがぃ!!』
どうしよう。
何を言っているのか一つも分からない。
ブランシュは女神の意味不明な言い分に更に首を傾げた。
「あの、まず『おとめげぇ』とは何でしょうか?」
『うーむ。分からぬのもしょうがないのぉ。女性向けの恋愛ゲームの事じゃぁ。』
「恋愛ゲーム??」
ゲームと言うとブランシュの中ではカードやボードゲーム、もしくはスポーツの試合としか認識がなかった。
『好みの男と恋愛するもよし、何人もの男を侍らすもよし。遊び方はプレイヤー次第じゃぁ』
「まぁ、侍らすなんて、はしたない」
ブランシュは公爵令嬢として許婚が既に決まっているので恋愛とは無縁の人生を覚悟しているが、小説や歌劇では好いた惚れたの話は良くある。
そう言った物語のような恋愛をするゲームとは、いったいいかようなものなのか、益々謎が深まっていくばかりだった。
『お主はこの乙女ゲーの中で悪役令嬢と言う重要な役割を果たす予定だったのじゃぁ』
「悪役令嬢とは具体的に何をする者なのでしょうか?」
『主に元庶民で男爵家の養女になった主人公を虐めぬいて邪魔をする、という名目で主人公に同情票を集めて男達に守らせる役目じゃぁ』
「まぁ、それでは敵なのか味方なのか良くわかりませんね」
悪役と言うからにはもっと巨悪な陰謀などに絡むのかと思いきや、案外大した悪役ではなかった。
『うむ。後ろ立ての弱い主人公を特別な存在にする為には悪役は必要なのじゃぁ』
「そうなのですね。でも私誰かを虐めるつもりなど毛頭ありませんけども、どういった経緯でそうなるのでしょうか?」
『主人公はお主の婚約者と恋仲になる予定じゃぁ。お主が虐めるつもりはなくとも、それを面白く思わぬ輩は沢山おるじゃろぉ』
ああなるほど、とブランシュは納得した。
ブランシュの婚約者、皇太子は次期皇帝が約束されたやんごとないお方だ。
つまり公爵家の娘であるブランシュは実家の爵位を鑑みると次期皇后の大本命であり、その身分と言う甘い蜜を吸いに既に沢山の蟻が群がっていた。
次期皇后とのパイプを作ろうとする働き蟻達は女王蟻が望むと望まないと邪魔者を排除しようと勝手に動いてしまうのだろう。
そしてその働き蟻達の所業はすべて女王蟻の責任にされてしまう。
つまり、死ななければその様なくだらない権力争いの責任者にされていたのだ。
これは寧ろ死んで良かったと思わなければならないかもしれないが、その代わり来世はドブネズミかヒキガエルだ。
どちらが良かったのかは微妙なところだ。
『困ったのぉ、困ったのぉ』
「私がいなくとも主人公に嫉妬して虐める人は出てくるのではないですか?」
本気で困っている様子の女神に一応のフォローを入れてみる。
実際皇太子はそのルックスも相まって大変な人気者だ。
公爵令嬢であるブランシュでさえ嫉妬の眼差しで見られる事は多々あったのだから、その主人公とやらを良く思わない人物は当然現れるだろう。
『そうなると主人公に命の危険が迫ってくるのぅ』
「まぁ、それもそうですわね…」
ブランシュは身分から見て釣り合う相手なので嫉妬はされても何かしてくる様な命知らずはいなかったが、男爵家の、しかも養女ごときが皇太子とお近付きになろうものなら嫉妬に狂った娘達が何をするか分かったものではない。
『やはりお主が悪役令嬢をやるのが望ましいのぅ』
「え… それは生き返らせてくれると言う事ですか?」
ブランシュが死んだ事で家族はきっと悲しんでいる事だろう。
家族の為に、例え悪役令嬢としてであろうと生き返れるならそれにこしたことはない。
『否、生き返らせる事はできない』
ブランシュは落胆したが、できないものは仕方がない。
大人しくドブネズミかヒキガエルになる運命を受け入れるしかないのか。
せめてハツカネズミくらいにしてもらえないだろうか、と考えを巡らせていると、女神は顎に手を添えて何かを考え込んだ後思いもやらぬ提案をした。
『待てよ… 生き返らせる事はできないがアンデットにならできるのぅ』
「はい?」
アンデットと言うと腐りかけた死体が意識なく人を襲うアレだろうか。
『そうじゃ、アンデットになってもらおぅ』
「お断りします」
誰が好き好んで生きる屍になりたいだろうか。
そんな物になるくらいなら尊厳のある死を選ぶし、ドブネズミかヒキガエルになった方がまだマシだ。
『なんでじゃ! アンデットになればまた以前と同じように暮らせるぞぇ!?』
「同じではないでしょう! 家族にはすぐバレるでしょうし、人を襲ってしまったらどうするんですか!? 私、そんな事したくありません!」
『ちゃんと意識は残して置いてやる! 見た目も生前とそう変わらないようにしてやるぞぇ!』
「そこまでして生き返ったところで一生アンデットなんですよね? やっぱり嫌ですよ! 意識があろうとなかろうと一生アンデットなんて辛すぎます! 私に何のメリットもないじゃないですか!!」
『ならば期限を設けようぞ! アルコンスィエル学園入学から一年後に断罪イベントがある。そこまで悪役令嬢を立派に務めてくれたら来世は好きなものに生まれ変わらせてやるぞぇ!』
「断罪イベントって何ですか?」
『悪役令嬢の今までの所業を全てバラされ咎められるイベントじゃぁ。その後悪役令嬢は僻地の修道院送りとなるから、そこで正式に死んで転生させてやるのじゃぁ』
「なんですか、それ…」
女神の話が本当だとすると真面目に生きて来たのに悪役令嬢に祀り上げられ断罪され僻地の修道院送りにされる人生になるはずだったと言う事だ。
踏んだり蹴ったりすぎる人生にブランシュは絶句した。
『どうじゃ? これならお主にとっても決して悪い話ではないはずじゃぁ』
確かに、いきなり死ぬよりは家族との別れの時間を稼げるし、アンデットとして一生を過ごす事も僻地の修道院へ送られて辛い思いする事もなく、来世はドブネズミかヒキガエルではなく望むのもに転生できる。
今のブランシュにとって悪い事は特にないように思われた。
「そうですね… それならばまあ、やってみても良いかもしれません」
『本当かぇ!? いやぁ、よかった! よかった!』
手放しに喜ぶ女神を見ていると乗せられてしまった感じが無くもないが、引き受けてしまった以上しょうがない。
「とにかく主人公に男性陣の同情が集まって全て私が悪い事になればいいんですよね?」
『そう言う事じゃぁ。あと、アンデットになるにあたって他の人間と濃厚接触はしない方がいいのぉ』
「濃厚接触?」
『アンデットの体はデリケートなのじゃ、強い衝撃があると体が壊れる危険があるのじゃぁ。例えば抱き合ったりすると腰の骨が折れたりするかもしれん。まぁアンデットだから痛みは無いが相手は驚くじゃろぅ』
「それは驚くでしょうね」
『そうそう、それと粘膜接触で相手もアンデットになるから気をつけるのじゃぁ』
「粘膜接触って例えば接吻とかですか?」
『そうなるのぉ』
誰かをアンデットにしてしまう危険性があるのであれば気を付けて行動する必要が出てくるが、ブランシュは断罪イベントが終わったら今世は終了の予定だ。
未来がない事が分かっているのに婚約者や他の誰かと恋愛などをするつもりもないので粘膜接触するような事はないだろうし、第一濃厚接触を避けるつもりなので粘膜接触するような場面も出て来ないだろう。
「分かりました。それは大丈夫だと思いますが一応気を付けます」
『じゃ、よろしく頼むぞょ!』
満面の笑顔の女神がすーっと霞んで視界から消えると、ブランシュの意識も体の元へと戻っていた。