第10話
3日後にジャックから毒を受け取る事になっているが、それまで何もせずにいるのも時間が勿体無い。
ローズは何か出来る事は無いかと考えて剣術の授業を利用する事を思い付いた。
この国の剣術の授業はフェンシングに似ている。
防具を身に着け細身の剣を使を片手に持って向き合い、技を競い合うのだが、違うのは男女混合で行われその代わり女性相手の場合は顔面への攻撃が禁止されているところだ。
女性同士で対戦する場合はお互いに顔面への攻撃が禁止される。
剣術は貴族女性の嗜みなので学園に入学する前にベルメール男爵家で仕込まれたのでルールは知っているが、貴族になりたての自分がうっかりルールを失念しても不思議ではないはずだ。
そう考えたローズはブランシュに向かって歩み始めた。
◇◆◇
剣術の授業は身分の高い者から声を掛けて対戦するのが慣例で、公爵令嬢のブランシュに対戦の声掛けが出来るのはほんの数名だ。
剣術はリーチが長い方が有利なのでアルジョンテのように長身の者が得意とする事が多いが、ブランシュは反射神経が良く小柄な割に結構得意だった。
だがデリケートな体を労りたいブランシュはなるべく対戦をしない方針で行きたい。
教員の前で最低一回は対戦をしなければならないが、それ以外は誰にも声掛けせずに大人しくしておこうと思っていた。
それとは対象的に、騎士団長の父を持つカーマインは何人にも対戦を申し込まれ、自身も何人にも対戦を申し込み、その全てで勝利をおさめていた。
「カーマイン様はお強いのですね」
「まあ俺も騎士団長目指してるならな。ブランシュは対戦しないのか?」
「ええ、私は一度だけで充分ですわ」
「そっか。その方がいいだろうな」
まさかアンデッドになって体が壊れやすい為に対戦を避けているとは思わないカーマインは、ブランシュは体が弱くか弱い為に剣術などは得意でないのだとすっかり勘違いしていた。
カーマインと話しているとローズが大股でズンズン近づいて来て二人の前で止まった。
「ブランシュ様、私と対戦して下さい!」
ローズが大きな声で言うと、周りがざわついた。
男爵令嬢から公爵令嬢に対戦を申し込むなどマナー違反であるし、それに口の聞き方もブランシュが逐一注意しているのに一向に治っていない。
「ベルメール男爵令嬢、それはあんまり「いえ、カーマイン様、大丈夫です。私、お受けしますわ」」
あまりのマナー違反にカーマインが注意をしようとした所をブランシュが割って入って止めた。
「え?」
カーマインが驚いてブランシュを見るが、ブランシュはニッコリと微笑んだ。
「ベルメール男爵令嬢はまだ貴族になって間もないので対戦を申し込めるご友人がいないのでしょう」
そう言うとカーマインはプッと吹き出しながら肩を震わして笑い、周りからもクスクスと笑いが漏れる。
「私は殿下から任命されたベルメール男爵令嬢の相談役ですから、そう言ったご相談にも応じましょう」
剣術は得意な方なので初心者のローズに負けるような事はないだろう。
それにここで主人公であるローズを手加減無しでコテンパンにやっつけてしまえば、悪役っぽくて良いのではないだろうかとブランシュは考えていた。
友達のいない人扱いをされたローズは不満が顔に現れていたが気にせず、教員に対戦する旨を申し出てるとお互いにマスクやグローブなどの防具を身に着けて向き合った。
この時点でブランシュは完全に相手を侮っていた。
実力をではなく、育ちの良いブランシュは相手も当然ルールを守って対戦をすると思い込んでいたのだ。
そのルールは開始早々に破られる事となる。
「Get Set. Go!」
教員が開始の合図を告げると同時にローズは飛び出し、あろう事かブランシュの顔面に向けて突きをお見舞いしたのだ。
防御する間もなく浴びせられたそれは、いくらマスクを被っているとは言っても顔に傷が付きかねない全力の突きだった。
ブランシュが顔面に突きをくらったと認識した時、肩がふっと軽くなりブランシュの視界は見えるはずもない自身の真後ろを上下が反転した状態で映していた。
非常にまずい状況である事を、ブランシュは本能的に理解した。
あ、これ、頭が落ちかけてる。
そう思ったブランシュは反射的に左手で頭を体に引きつけ乗せ直した。
「Stop! Stop!!」
「え? 私何かしましたか?」
教員が慌てて止に入ると、ローズは人さし指をマスク越しに頬に当て小首を傾げてわざとらしくルールを知らないふりをしていた。
「なんて事を!」
「あれは酷い」
「ルールも守れないのか」
「顔面への攻撃は反則ですよ! 失格とします!」
皆が口々にローズを避難する中、教員はローズに反則負けを告げるとすぐにブランシュの元に駆け寄った。
「ロレーヌ公爵令嬢! 大丈夫ですか!?」
教員がブランシュの顔を心配そうに覗き込むが、大丈夫であるはずがないとローズは確信していた。
力いっぱい突きをお見舞いしたし、手応えもしっかりあった。
それに見るからに首があり得ない角度で真後ろまで反って曲がっていた。
あれで無事なはずがない。
ブランシュはきっと怪我をしているだろうが、自分はあくまでもルールを知らなかっただけで落度はない。
完璧な計画だとローズは思っていた。
しかし、マスクを取ったローズは皆の心配を余所にいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
「ご心配には及びませんわ。この通り、無事です」
「えっ!?」
ローズは『嘘でしょ!?』と叫びそうになったが言葉を飲み込んだ。
ここで反応してしまうとルールを知らなかったと言う嘘がバレてしまう。
「本当ですか? その、首がすごい反っていましたが」
「ああ、私、体が柔らかいんですの。だから首を反って既の所で避けたので怪我もありません」
「そう、なんですか?」
「そうなのですよ。ほほほほほ」
教員はそんな事があるのだろうかと訝しんでいたが、そこは笑って誤魔化した。
「まあ、ですがベルメール男爵令嬢、相手が私だったから良かったようなものの他の方なら怪我してましたわよ。ルール違反ですし、もう二度となさらない事ですね。それで先生、私の勝ちでよろしいんですよね?」
「ええ… はい…」
「では私対戦も終わりましたし、先に失礼させて頂きますわね。ほほほほほ」
本当はと言うと、突きの衝撃で外れた頭は今首に乗っているだけの状態だ。
手当するとか言われて触られると絶対にもう一度落ちてしまい、そうなると阿鼻叫喚を招くこと必須なのでなんとか深く追求されずに終わらせたかった。
ブランシュは強制的に話を終わらせ、そそくさと体育館を後にした。
残されたローズはブランシュが何故避けたと言ったのか理解できなかった。
剣先に確かな手応えを感じたのだ。
当たっていないはずがない。
「ベルメール男爵令嬢」
気が付くとカーマインが怒った顔でローズのすぐ側に立っていた。
「何であんな事をしたんだ!」
「すみません、私、貴族になりたてなので顔面への攻撃が禁止って知らなくって」
「知らなければ何でも許されると思うなよ。ブランシュがああ言って庇ってなければお前、退学になってるぞ」
「庇う?」
動体視力のずば抜けたカーマインには、ローズの突きがブランシュに間違いなく当たっていた事がハッキリと見えていたのだ。
ブランシュが当たっていない事にした理由は考えられる限り一つしかない。
「身分が上の相手に反則して怪我でも負わせたら退学くらい当たり前だろ。ブランシュはきっとお前が退学ならないように当らなかった事にしたんだ。後でちゃんと謝れよ」
「カーマイン様!」
ローズが立ち去ろうとしているカーマインのシャツを摘んで足止めすると、カーマインはその腕を振り払って言い捨てた。
「勝手に名前で呼ぶな。気を付けろよ。あんまり礼儀知らずが過ぎると誰も相手にしなくなるぞ」
一体何なんだ。
カーマインとローズの出会いはもっと穏やかな物だったはずなのに、また悪役令嬢のせいで出会いのシナリオが変わってしまった。
それに悪役令嬢が主人公を庇うなどあるはずがないのだ。
あれはきっとローズを一方的に悪者にする為の企みに違いない。
本当に恐ろしい。
でもこれで悪役令嬢も転生者だと言う疑惑がより確信めいた物になってきた。
一刻も早く毒を手に入れて排除しなければ。
ローズは全て自分から仕掛た事だと言う事を忘れ、ブランシュに対して見当違いな恐れを抱いていた。