EP17:誘惑
スピーカーから聞こえる店内BGMと足音。店に入って間もなく、手前から二番目にある、窓側の席に二人は座った。
「えっと、この位置は三番だね」
太地がラジオスピーカーの三番のボタンを押すと、「何がいいですか?」と男の声が聞こえた。おそらく「クオン」の声だろう。
モニターでは、珠子と「クオン」とみられる少年がメニューを開いている。少年はマークシートを手に取っているようだが、それを珠子がいやいやと手を振って自分側に引き寄せようとする。
『私のほうが年上ですから、私が出しますよ』
『いえ、呼び出したのはこちらですから、今日は僕が出します』
しばらく珠子と少年のやりとりが続き、結局男の方がマークシートとプリペイドカードを機械に通した。
注文をした後、少年が立ち上がって帽子を脱ぎ、ドリンクを取りに行く。途中ちらりとモニターに少年の顔が映った。
「あれ、結構イケメンじゃない? うわー直接見に行きたいなぁ」
「今行ったらばれるだろ。じっと見てろ」
真玄が止めると、麻衣は「はーい」と言って黙った。
「見た感じは悪い人には見えなさそうだね。まあでも、見た目で判断できないっていうのが人間だから」
「とりあえず話を聞いてみないと」
身長は高いが、顔は高校生くらいに見える。短髪でさわやかな顔立ちは、女の子にはモテそうだ。
少年はコーヒーカップを二つ珠子がいるテーブルに運ぶと、スピーカーからカップを置く音と、『ありがとう』という珠子の声が聞こえた。
『さて、メッセージや掲示板でも聞いたけど、珠姫さんのこと、詳しく話してくれませんか?』
男の声にしては少し高い少年の声が、スピーカーから聞こえてくる。太地は「ここからが本番だね」と、ラジオスピーカーにつないだボイスレコーダーのスイッチを入れた。
『えっと、最初から話しますね。私には病院で働いている彼氏がいるんですけど、その彼氏と十日前くらいから連絡が取れなくなったんです』
『十日前、ですか。それは、珠姫さんがこちらの世界に来る前ですか?』
『ええ。それからしばらくして、外に出てみると誰もいなくなって、それでその日から彼氏の電話にまったくつながらなくなって』
『そうですか……彼氏さんのお仕事とかは? もしかしたら仕事関係で連絡が取れなくなったのかもしれませんよ』
『ええ。彼、以前からあるプロジェクトで仕事が遅くなることが多くて……あ、資料ありますから、読んでみます?』
珠子は持っていたハンドバッグから、紙の束を取りだした。おそらく千草に渡した資料と同じ、「リゲルズ・サーバー」に関するものだろう。
少年はそれを珠子から受け取ると、一ページずつめくってゆっくりと読み始める。
途中、メニューボックスに料理が運ばれたことを示す通知音が鳴った。少年は『冷める前にどうぞ』と、珠子に食事を勧めた。
「……それにしても珠子さんが言っていること、なんかつじつまが合わない気がするんだけど、どうしてかな」
「そうか? 俺にはおかしなことを言ってるようには聞こえないけれど」
「とりあえず、帰ってから検証しないと何とも言えないね。でもなんだろう、この違和感……」
太地がしゃべっている間に、少年は資料をトントン、と揃えて珠子に返していた。
『なるほど、患者さんを管理するためのシステムですか。でも読んでいる限り、悪用されそうなシステムですね、これ』
『やはりそう、思います?』
『ええ。狙っている企業は多いでしょうね。ということは、彼氏さんは、この件で追われている可能性がありますね』
『その通りなの。それで、会えない日が続いて……』
『なるほどね。大体わかりましたよ』
そう言うと、少年はコーヒーを口にした。
『珠姫さん、彼氏さんは、これを口実に、あなたから逃げているのではないですか? 本当にあなたのことを思っているのであれば、いくら追われているといっても、こんなに長い時間連絡が無いのはおかしい』
『え、そ、そんな……』
『あなたはどちらかと言うと、こまめに連絡が無いと不安になるタイプでしょ。でも、世の中の男は、そういうタイプの女性が嫌いな人もいるんです。彼氏さんは、きっとそういうタイプなんですよ』
『で、でも、もう付き合って一年経つのよ? そんな、今更……』
『だったらなおさらです。ちょうど相手のことがお互いわかってきて、嫌なところがどんどん目についてくる頃です。そんな時に仕事の忙しさが重なって、相手は連絡を欲しがる。そうなったら、しばらく距離を置きたいと思っても、不思議ではないでしょう?』
『それは……』
『もっとも、電話がつながらないということは、この世界にはいないかもしれません。それに、いつこの世界から抜け出せるかわからない。下手をすれば、永遠にこの世界で暮らさなければいけないかもしれないですよ』
『だ、だうぅ……私は一体どうすれば……』
珠子はそう言うと、頭を抱えてふさぎ込んでしまった。
「……なんだか、最初の方と様子が違うね。今は感情を出しているけど、最初はあまりそういう感じがしなかったんだよね」
「あー、言われてみれば確かにわかるわぁ。なんていうか、最初の方は言わされている感じだったもんね。それに、顔つきがなんか違うもの」
「あれ、麻衣ちゃんもわかった? 僕たち気が合うんじゃない?」
「いやぁタイチと気が合ってもなぁ」
麻衣と太地のやりとりに、真玄は何がどうなっているのかモニターを見ながら考え込む。
「うーん、俺にはさっぱり……」
「あれ、マクロ君はこの感覚、わからないかなぁ? そんなんじゃ、うまい出会いはできないよ?」
「出会いはともかく、太地や麻衣は違和感があって俺に無いのはなんか悔しい」
「まあ、それは帰って説明するとして……」
太地が言いかけた時、ラジオスピーカーから「そうですね」と少年の声が聞こえた。
『しばらく、僕と一緒に暮らしませんか? この世界では、何が起こるかわからないし、犯罪者がうろちょろしているというじゃないですか』
『……たしかに、何が起こるかわからないけど、私は彼氏以外の男の人と同棲はできないの』
『彼氏さんが、この世界にいないとしても?』
『今は彼氏のことしか考えられませんから』
『そうですか。わかりました、今日の所は食事会ということで、今からはゆっくりと食事を楽しみましょう。この世界は、本当に厄介な奴がいるかもしれませんからね。例えば……』
そう言うと、少年は立ち上がってカメラの方を指さした。
『あのカメラを使って、僕たちのことを監視している奴とか、ね』
少し小さ目の少年の声に、真玄たちは思わず心臓が止まりそうになった。
「え、ちょっと、私たちのことばれてるじゃん? どうするのよ、タイチ」
「こ、これはちょっとマズイかな……」
慌てる麻衣と太地に、真玄は「と、とりあえず落ち着こう」と言ってなだめる。
「ひとまずモニターの配線を戻して、延長コードをどこかに隠せば……」
真玄が言いかけた時、ラジオスピーカーから会話の続きが聞こえてきた。
『ど、どうしてそんなことが分かるの?』
『さっき来る時に、ファミレスの勝手口から変な黒いコードが見えてね。隣のコンビニの裏口まで来てたから、どうも怪しいと思ったんだよ。それに、あのカメラ、単なる防犯カメラかと思ってちらっと見たけど、配線が雑すぎ。直接厨房につなぐとか、ありえないでしょ』
『い、一体誰がこんなことを?』
驚いている珠子を見ながら、少年は席に座った。
『わざわざ誰もいない世界でこんなことをしているってことは、僕たちがここに来ることを知っている人に決まっているでしょう。僕にはこの世界に知り合いはいないから、珠姫さんの知り合いじゃないですか? フレンドシーカーは管理がずさんなことで有名ですから、およそメッセージボックスの情報を盗んだのでしょう』
少年の完璧な推理に、真玄たちは全員頭を抱えていた。
「ダメだ、完全にばれてる」
「これは逃げたら完全に悪者扱いだね。こうなったら、珠子さんに事情を説明するしかないよ」
事務所内にため息がこぼれる。同時に、押しつぶされそうな重い空気が漂い始めた。
『とりあえず、先に食事にしましょう。いろいろ思い当たることもあるでしょうが、きっと彼らも逃げる気はないでしょうから、そのあと会いに行きましょうか』
モニターには、こちらを睨みつける珠子と、ゆっくりと食事を始める少年の姿が映っていた。




