一肌と人肌
シア視点
「……もう、見ていられませんわ」
王宮の回廊、人目を忍ぶようにシルクが縋ってきた。瞳が赤く腫れて、いつも整ってるはずの法衣がわずかに乱れてる。
「智様は……本当は人一倍傷つきやすい方なんです。それを必死に隠して、嫌われないように、失望されないように。心の中ではいつも大慌てで……。あんな風に他者を拒絶するなんて、本来の彼ならありえませんわ」
震える声が、胸の奥をチリリと焼く。
確かにアイツはいつも「うまくやってる」ように見えた。弱いくせに、この殺伐とした世界で誰よりも冷静に、誰よりも気を遣って立ち回ってた。
「このままでは……智様が、心から死んでしまいます。シアさん、お願いです。私ではダメでした。今のあの方の闇を、どうか……」
智の一番の理解者はこいつで間違いない。
ただ、シルクの涙は真っ直ぐで純粋すぎる。今のアイツには、眩しすぎるんだろう。
私は彼女の肩を一つ叩いて、重い槍を壁に立てかけた。
「……わかったよ。あたしがちょっと、一発入れてくるわ」
智の部屋は、冷え切っていた。
よどんだ空気と、微かな胃液の匂い。ベッドの上に座り込むその男は、まるで見えない鎖に縛られてるみたいに、一点を見つめて動かない。
「おい。いつまでそんなツラしてやがる」
「……シアか。すまない、今は誰とも話したくないんだ。出ていってくれ」
掠れた、死人みたいな声。
私は迷わず歩み寄って、その頬目掛けて強烈な平手打ちを叩き込んだ。
乾いた音が、静寂を切り裂く。
「……ウッ!」
智の顔が横に飛ぶ。驚愕したようにこちらを見上げた。頬を赤く腫らして、ようやくその瞳に「生きた人間」の光が宿った。
「シルクがどれだけ心配してたか分かってるのか。……いいから吐き出せ。何をそんなに抱え込んでる」
「……分かってる。分かってるんだ。でも、俺があの場でテンセルをあそこまで追い詰めなければ。兵士たちも言ってた。俺が彼女を壊したんだ。俺のせいなんだ……」
震える声。積み上がった自責が、アイツの首を絞めてる。
私はため息をついて、おもむろに腰のベルトを緩めた。
「……は? シア、何して……」
無言で上着を脱ぎ捨てる。薄い下着一枚になった私を見て、智の顔がさらに驚愕に染まった。
「あ? 文字通り一肌脱いでやってんだよ。……安心しろ。お前がたまにあたしの体を見てたことくらい知ってる。男ってのは、女を抱くと嫌なことを全部忘れるらしいじゃないか。欲望があるなら、全部あたしにぶつければいい」
「なっ、お前は何を……! 冗談だろ!?」
「冗談に見えるか?」
混乱するアイツをベッドに押し倒して、その上に跨がった。
「……あたしはお前に気なんてない。だから後腐れもない。誰にも言わん。遠慮しないであたしを使え」
智の肩が、私の腕の中で激しく震えてる。
私はアイツの耳元に唇を寄せて、最も重い呪縛を解くための言葉を囁いた。
「……いい。あいつにトドメを刺したのは、あたしだ。お前は何も悪くない。全部あたしのせいにして、今は寝ろ」
その瞬間、智の力がふっと抜けた。
しがみつく手の力が強まって、熱いものが私の肩を濡らす。
私は何も言わなかった。ただその震えが収まるまで、無様に泣き続ける男を、強く抱きしめ続けた。
◇
差し込む朝日に、重い瞼を開けた。
数日ぶりに、泥みたいな深い眠りから覚めた気がする。頭の芯に残ってた痺れるような痛みは消えてた。
でも代わりに、全身に妙な倦怠感が残ってる。
(……あれ?)
腕の中に、確かな重みがあった。
隣を見れば、蒼色の髪がシーツの上に散らばってる。
黒縁メガネが枕元の小棚に丁寧に置かれていた。
昨夜の記憶が、濁流みたいに流れ込んできた。
シアの、強引すぎる抱擁。
剥き出しの肌の熱。
そして――。
(……やっちまった…………)
隣で無防備に寝息を立ててるシアの横顔を見る。
あんなに冷酷に「後腐れはない」と言い放った女の顔が、今は驚くほど穏やかで、少女みたいにあどけない。
俺を救うために、彼女は文字通り
―― 一肌脱いだのだ ――
感謝と、申し訳なさと、男としての凄まじい気恥ずかしさが混ざり合って、俺は朝の光の中で、ただ天を仰ぐしかなかった。
「……どうすんだよ、これ」
独り言に、シアが小さく身悶えして、俺の腕に顔を埋めてくる。
その体温だけが、今の俺をこの世界に繋ぎ止めていた。
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