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夜明けの晩に屋上で  作者: 青空野光
学園の嘘
20/30

20.楽譜

「――て、ユウ。ねえ起きてよ、ユウってば」

 寝る前にセットしたアラームが鳴るよりも早く、意識の外側からやってきた呼び声で目を覚ます。

「やっと起きた」

「……ふぉふぁふぉ」

「お口の下のトコ、よだれ付いてる」

 欠伸といっしょに朝の挨拶を済ませ、ついでにパジャマの袖で口元を拭う。

「……いまって何時?」

「六時。正確には六時五分」

 確かに昨日の夜、詳しい話は明日の朝にと言った記憶はある、が。

「それにしても早すぎない?」

 そもそも男子寮は女人禁制――その逆もまた然り――なのだが、学園側の監視が全く及んでいないこともあり、今の彼女のように人の目を気にすることすらなく自由に出入りできた。


 共用の洗面所で洗顔と歯磨きを手早く済ませて部屋に戻ると、ベッドの上で三角座りで待っていた彼女に声を掛ける。

「おまたせ。それで昨日ヒナが言っていたことなんだけど」

 彼女はベッドから膝を投げ出して座り直すと、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「ユウはここに来てから、今日でどのくらいになる?」

「えっと。学園に来たのが七月のはじめ頃で、明日からお盆だから……」

 指を折りながら数えてみる。

「四十日くらいだと思う」

「その間この学園でおかしなことは起こらなかった?」

「……起きたよ」

 それも一度や二度ではなく、何度も。


 最初のそれは転入してきた翌日のことだった。

 朝の食堂で話しかけてきてくれた小早川という男子生徒は、その何ヶ月も前に転出して学園を去っていたと、あとになって関から教えてもらった。

 次のそれは体育館の倉庫で見たおぞましい幻覚と、その翌日の渡辺の変調だった。

 直近では昨日の昼。

 カーブミラーの中のクラスメイトは、その姿形がまったく異なって見えた。

 彼女の正面にいたはずの僕に至っては、姿すら映っていなかった。

 そういえば職員室の電話の件もあった。

 あの時の叫び声や泣き声は、今でも耳の奥の方にこびりついている。


「私もここに来てからね、色々と不思議なことがあったの」

「そういえばヒナは、いつ頃ここに転入してきたの?」

 この学園では自ら進んで身の上話をする生徒はまずいない。

 好き好んでやってきた者など一人たりともいないのだから、それも当然のことではある。

「あ、言ってなかったっけ? ユウより三ヶ月くらい前だよ」

「そうだったんだ。ごめん、それで?」

「前にも少しだけ話したことあったはずだけど、ここに来たばかりの頃、すぐに仲良くなった子がいたの。ピアノがとても上手な子だった」

 いつの日だったか、ヒナの弾くピアノの音に誘われて音楽室に行った時に聞いた覚えがある。

「その子にピアノを教えてもらうのが、ここでの私の一番の楽しみだった」

 僕のここでの楽しみは、日に一回の花壇の水やりという少々地味なものだが、その気持だけはよくわかる。

「あの日もピアノを教えてもらいに、彼女のいる音楽室に向かったの」

 その子とは女子生徒だったのか。

 ヒナがこれほどに優しい口調で語るその子とは、いったいどんな子だったのだろう。

「音楽室のあるB棟の一階と二階の踊り場まで来た時、彼女が弾くドヴォルザークが聞こえてきた。彼女、ドアを閉め忘れていたことがよくあったから」

 その特性はピアノの教え子であるヒナにも受け継がれていた。

「少しだけ開いていたドアの隙間に体を入れて、ドアを閉めてからピアノの向こう側にいる彼女に、『また閉め忘れてたよ』って言ったの」

 きっとその子も、あの日のヒナと同じように、『もしかして開いてた?』とでも言ったのではないか?

「彼女、いなくなってた」

「……え?」

「いつの間にかピアノの音も聴こえなくなっていて、ピアノの譜面台には、たったいま彼女が弾いていた曲の、ちょうど音が聞こえなくなった所のページが開かれてた」

 彼女はそう言うと、何もない空中で楽譜を閉じるような仕草をする。

「……それで、その子はどうなったの?」

「急いで寮に帰って、彼女の部屋のドアをノックしてみた。でも、返事がなくて。ドアノブを回したら鍵が掛かっていなかったから、『ねえ、お部屋にいるの?』って言いながら、ドアを開けてみたの」

「彼女の部屋には、荷物どころかベッドに布団もなくて、机の上に並べられていた本や小物類も、全部なくなっていて。唯一あったのは、彼女が寮に持ち込んでた赤い目覚まし時計だけで。でも……」

 五月雨のように話していた彼女の勢いが一瞬だけ止まる。

「でも、時計の針は止まってしまっていたの。それはちょうど、私が音楽室で彼女に話し掛けた時間だった」


 彼女が語ったそのエピソードは、渡辺がいなくなった時とよく似ていた。

 だが、この話にはさらに続きがあった。


「すぐに部屋を出て、彼女の靴を見に行った。靴はなかったし、寮で履いていたスリッパもなかった。談話室にいるクラスメイトに彼女を見かけなかったか聞いて回った。みんなは口を揃えて、『それって誰のこと?』と言った。校舎に戻って職員室に駆け込んだ。先生たちも彼女を知らないといった。彼女がどこに行ってしまったかではなく、彼女の存在そのものを知らないって」

 消えてしまった親友の話を喘ぐように語りきったヒナは、いつの間にかその瞳に大粒の涙を溜め込んでいた。

「……私は彼女のように消えたくなかった。だからその日から、ひとりで調べ始めたの。この学園が私たちについている嘘を」


 掛ける言葉が見つからなかった。

 だから言葉の代わりに横に座り、彼女の手の上に自分の手のひらを重ねる。

 彼女はすぐに手を裏返して指を絡めてきた。

 彼女の手は少しだけ冷たくて、相対的に自分の手が温かく感じた。

「……ユウ、ありがとう」

「ううん。僕にできることがあれば言ってよ」

「じゃあ……ね。もし私が消えることになったら、その時は近くにいてくれる?」

『大丈夫だよ。ヒナはきっと消えないから』

 本当はそう言ってあげたかった。

 しかし、彼女がそんな気休めの言葉を望んでいるわけではないことを、僕は知っていた。

「わかった。でも、その時は僕も一緒に消えてあげるよ」

 繋いでいた手を少しだけ持ち上げてみせる。

「こうしたままでさ」

「……だったら、うん。ぜんぜん恐くなくなっちゃった」

 いつの間にか彼女の手と僕の手は同じ温度になっていた。


「ユウ。もうちょっとだけ時間もらってもいい?」

 彼女はそう言いながら、繋がっていた手をゆっくり離す。

 触れ合っていた部分に触れた空気が、少しだけ冷たく感じた。

「昨日、宗方先生に返しておいてもらった封筒の中身なんだけど」

「あ、ごめん。うっかり廊下で落として、その時に一番上の一枚だけ見ちゃった」

「それって、安上先生の?」

「うん」

 その記事に書かれた事件の被害者は、ほぼ間違いなく担任の安上先生だった。

「あの封筒には、この学園に今いるか、もしくは過去にいた人たちに関係した物が入っていたの」

 そんな物がなぜ、図書室の資料室にあったか?

 それ以前にヒナはなぜ、資料室にそれがあることを知っていたのか?

「でもね、全部が断片的なの。たとえば」

 彼女はスクールバッグからコピー用紙を取り出す。

「こういうのとか」

 それはペンギンのキャラクターがプリントされた便箋(びんせん)で、行の半分ほどが丸みのある文字で埋められていた。

「コピーする前は封筒に入っていて切手も貼られていたけど、でも宛先と宛名は書かれてなかったの」

 彼女の手からコピー用紙を受け取り、その内容に目を通す。



先生、あのとき私に声をかけてくれてありがとう。

先生の優しさのおかげで、何度も学校へ行こうと思いました。

でも、本当はほんのもう少しだけでいいから、ふみ込んでほしかった。

『大丈夫だよ』って言うだけじゃなくて、もっと別の言葉を掛けてほしかった。

でもそれは先生のせいではなくて、弱い私のせいです。

先生のせいみたいに言ってしまって、ごめんなさい。


先生は私のあこがれの人でした。

私は先生のことが好きでした。

最後にそれだけ伝えたかった。

さようなら。

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